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data05:ネコ目ネコ科の女王様

───,5



 ヒナトが棚の整理を頼まれてから、もう三十分以上が経過した。


 ちなみにこの棚を占拠している大量のファイルたちの中身は、それぞれ紙やディスクの形をしているが、どれも花園のデータのバックアップだ。

 いちおう中を見ずとも分類できるようにラベリングされてはいるものの、ヒナトには暗号文にしか見えない。

 どうしてここではなんでもかんでもアルファベットと数字だけで構成されているのだろう。


 それでも今までの経験をフル動員して、どうにかこうにかあたりをつける。

 ヒナトだっていちおうはここで十数年生きてきたのだ。


 しかしながら量が量なので、いつまで経っても終わらないんじゃないか……と感じてしまう。


「そういえば、一班の棚もこんななってたっけ?」


 はて。


 ふと思って記憶を辿ってみても、ここと同じくらいの数のファイルがあるはずの棚が、こうしてぎゅうぎゅうに詰まっている光景は思い出せない。

 でもヒナトは秘書のくせに棚を整理した覚えがなかった。


 ということは、一班の誰かが代わりに整理をしてくれているということになるのだが……。


 ──はっ!


 ヒナトは無意識に身体がぎくりと固まるのを感じた。

 背後に冷たい視線を感じる。


 もちろんそれが誰かなんてことは、ヒナトには考えずともわかるのだった。

 タニラだ。

 なんだかもう、このダメ秘書が……という呪いの声さえ聞こえる気がする。


 ヒナトは一瞬身震いしてから、それでもまとわりついてくる(ような気がする)タニラの怨念を振り払うように、できるだけ作業スピードを上げた。


 なにかひとつ区切りをつけないと。

 後ろの怖いお姉さんのことは極力考えないで!


 そいやっ、と元気の出そうな掛け声をつけてファイルを突っ込む。


「よ、よーし、一段目終わりー!」

「あらぁ、まだ一段しか終わってないのね、ご苦労さま」


 ……この嫌み秘書め。


 でもここでまた喧嘩して、サイネあたりからソーヤに漏れたら面倒だから、耐える。

 幸いタニラもそれ以上の挑発はしてこなかったので、比較的落ち着いて作業を続けることができた。


 なおそこにサイネの監視の目があったことをヒナトは知らない。

 班長もふたりの仲の悪さには辟易していたのである。


 さすがのタニラも自分の上司であるサイネに逆らう気はないようだ。


「……仕事に私情をはさむなよ」


 珍しくユウラが独り言なんて言っている。


 そして彼の小さな呟きが聞きとれる程度には、二班のオフィスは静かになっていた。

 ヒナトがファイルの束を落っことしたり、うっかり棚を崩落させたりしたこと以外には、とくに問題も事件もなかったのだ。


 キーボードを叩く音が、薄い緑色をしたオフィスの壁に反響している。


 ちなみに壁の色はオフィスによって異なるらしい。

 ソーヤ率いる一班では彩度の低い水色で、扉と平行になった壁にだけ白いラインが一本入っている。

 二班では同じくラインが二本。


 ということは、アツキのいる三班もまた淡色の壁に三本のラインが入っているのだろう、と予想できる。

 ヒナトは入ったことがないので壁の色までは知らない。


 なおその三班のオフィスは二班と同じ階ですぐ隣接しているのだが、壁に防音機能でもついているのか、とくに物音などは聞こえてこなかった。


 電子音が軽やかなワルツを奏でる。確認を促すランプの点滅。

 回転椅子の軋む音。

 へっくちっ、と誰かのちょっとかわいいくしゃみ。

 カップをソーサーに戻すかちりという音。


 それは楚々として穏やかな仕事風景。

 ヒナトはファイル整理がもうひと段落したのを機に、しばし手を止めて少しだけそれを楽しむことにした。


 一班ではこんな空気で仕事をすることなどまずないからだ。

 よく言えば和気あいあい、あえて悪く言えばだれてしまいがちなのである。


 悔しいが、羨ましい。

 この空気が生まれるのはタニラが優秀だからだということが、見ているだけでヒナトにもわかる。


 やっぱり二班は恰好いい──そうヒナトが思ったそのときだった。


「ちょっと、これ何?」


 怪訝そうな声を出したのはサイネ。

 彼女が画面上に見ているのは、部下ふたりから送られてきた処理済みデータだ。


 どうやらここでは班長が逐一チェックする体制をしいているらしい。

 一班ではどうやっているのかは、やはりダメ秘書なヒナトのあずかり知らぬところである。


「どうかしたの?」

「こっちのB群の処理プロセス、おかしいんじゃない? これやったの誰?」

「Bなら俺だが」


 ユウラが椅子を回してサイネに向き合う。


 どうでもいいがヒナトは今日ユウラを正面から見たのはこのときが初めてだった。

 わりと端整な顔立ちをしている。


「この方法で問題はないはずだろう」

「結果じゃない。合理的じゃないからやめろっていってんの」

「タイムロスは出さなかったが」

「私が気に入らないから嫌」


 サイネは一歩も譲る気はないらしく仁王立ちで答える。

 しかし理由があれである。


 対するユウラもまた、相変わらずの無表情ながらわずかに口調を強めていた。


 いかにもめんどくさそうな組み合わせの対立に、タニラもそして思わずヒナトも、おろおろとしながらふたりの間に入ろうとした。

 さっきと状況が真逆だ。


 しかし対立に至った経緯も内容もよくわかっていない(状況からして仕事の方法か何か?)ヒナトには、この仲裁はお茶くみよりも高難易度である。

 そうこうしている間もふたりはああだこうだと言い合っている。


 ヒナトたちの喧嘩と違うのは、ふたりとも語気を荒げたりはしていない点だ。

 いや、後半になるにつれてサイネのほうはややヒートアップしつつある。

 ユウラは落ち着いているというのか、はたまた憮然としているのか、その表情から読みとるのは難しい。


「まあまあふたりとも、そんなのどっちでもいいんじゃないかなぁ……ね?」

「よくないから話し合いになるんだ」

「ていうかヒナトに言われても」


 ひどいです。そのとおりだけどひどいです。


「とりあえず今はどっちかが妥協したらどうかな? 話し合いは後にして」

「……腑に落ちないな」

「私は嫌。じゃあ聞くけどタニラはこういうやりかたどう思うの」

「えっ……あ、えーと……」


 ちらりとヒナトを見たところから察するに、タニラもどうやらどちらでもいい派だったようで、返答に詰まっている。

 大方ヒナトと同じだとは言いたくないのだろう。


 そういうところでつまらないプライドを発揮してしまうタニラは、ヒナトとしても尊敬できない。

 もともと尊敬はしても好きにはなれないけど。

 仕事の出来不出来と性格の良しあしはまた別の話である、と思う。


 とにかく仲裁役としてはヒナトもタニラもかなり力不足だった。


 しかし。


 そもそも、サイネとユウラにはそんな役は必要ないのだということを、ヒナトは思い知ることになる。


 いや、なった。

 今まさしく眼の前で。


「……わかった、五分くれ」


 なんのことはない。

 議論開始から十分もしないうちにユウラのほうがあっさり折れてくれたのである。


 サイネは当然でしょと言わんばかりのようすで、早くしなさいよ、とだけ言った。


 嫌み秘書とかもうそんなレベルではなかった。

 きわめて高圧的、かつ絶対的な権力。


 それを助長するかのように輝く黄金の双眸は苛烈で、しなやか。

 まるで猫科の猛獣のよう。


 いや、女王と呼ぶべきか。


 つまりここは、専制君主制の女王様が統治する国だったのだ。



・・・・・+



 そういうわけで仲裁に無駄な体力をつかったヒナトなのだが、今度は女王様から飲みもののおかわりが欲しいと仰せつかった。


 先にすばやく動いたのはタニラ。

 ヒナトもいろんな理由でタニラにくっついてオフィスを出る。


 ……いやべつにサイネが怖いとかそういうことではなくて、えーっと、秘書ライバルとしてタニラのお茶くみのようすを偵察するためだ。たぶん。

 もしかしたらタニラもお茶くみだけは苦手だったりするかもしれないし。

 そうでなかったとしても、やりかたをよく見ておいて真似するのも練習になるだろうし。


 とにかくごちゃごちゃと理由をつけてはそれを自分に言い聞かせるようにしながら、ヒナトはやや遅れて給湯室に入る。

 コンロにかけられたやかんが最初に目に入った。


「あなた何しに来たの?」


 いきなりひどい言い草だ。


「し、仕事ないんで荷物持ちくらいしようかなって思って!

 ところであのふたりっていつもああなんですか?」

「サイネちゃんとユウラくんのこと?」


 タニラは慣れた手つきでインスタントコーヒーをカップに入れ始めた。


 分量を見ておきたいヒナトだったが、腹が立つことにちょうど胸に隠れて見えない。

 相手がこのタニラでなかったら胸を大きくする手段を聞きたいものである。

 

「まあ、そうかな。……あのふたり、仲がいいの、すごく」


 ……いや、あれのどこが?


 思わず心中でツッコミを入れるヒナトだが、声に出すことはしなかった。

 というのも、そのときのタニラのようすがどこか寂しげで、なんだかそれが気にかかったからだ。


 ヒナトには気にしてやる必要も義理も筋合いもないはずだったが。


 タニラはユウラのティーカップも持ってきていた。

 ユウラ自身は何も言わなかったのだが、カップが空になっていたからだ。


 茶葉を掬う手つきさえもきれいなのは、やはり彼女が美人だからだろうか。

 それも外見だけでなく、何か内側から発散されるオーラのようなものが、タニラにはあるような気もする。

 それはヒナトにはない何かだ。


 自信? 才能?

 でも、それならこの悲しい気配はなんだろう……?


「いつも折れるのはユウラくん。サイネちゃんはそれがわかってて、たまにどう考えてもわざといちゃもんつけたりしてるの。

 でも、ユウラくんは文句ひとつ言わないで、いつもサイネちゃんに寄り添ってるのよ」

「……はあ」

「でもね、サイネちゃんはユウラくんを否定しない。口ではいろいろ言うけど、それでも一度だって副官を変えてくれなんて言ったことない。

 ユウラくんもサイネちゃんの愚痴を言うところなんて見たことない。

 ──思えば『眠り』につく前からずっとあのふたりは一緒にいたから……でも、ソーヤくんは──」


 そこまで言って、タニラが急に振り返った。


「なんでこんな話あなたにしなきゃならないの。もう出ていってよ」

「はい?」

「邪魔なのよ、出ていって!」


 突然すごい剣幕でヒナトを追い出そうとするタニラの、あまりの理不尽さにヒナトは言葉が出てこなかった。


 確かに先に質問したのはヒナトだ。

 だがそのあと聞いてもいないことまでぺらぺら喋り出したのはタニラのほうだ。

 それを出ていけ、とはこれいかに。


 聞いてほしかったから喋ったんじゃないのかな、とヒナトは思う。

 例によって相手がヒナトだから拒否反応を出しただけかもしれないが。だったらさっさと別の人に好きなだけ話してすっきりすればいいのに。


 そういえば、タニラには友だちはいるのだろうか。


 ヒナトはアツキと給湯室でお喋りする仲だし、困ったことは大抵ワタリに相談するようにしている。

 ソアたちに言いにくければ適当に暇そうなラボの職員を捕まえてもいい。このあいだのコーヒーの相談のように。


 アツキは意外にサイネと仲がよいらしい。

 ワタリは誰とでも親しくするタイプだし、アツキ情報では三班の班長とユウラも親しいと聞く。


 だがタニラと親しいという相手は、ヒナトの知る限りソアにはいないのだ。


 しいて言えばタニラ自身がよくソーヤにくっついているようだから、仲はいいのだろうが、どうも彼女とソーヤのつき合いというのは、友だちという感じではないようにヒナトは感じる。

 上手く言えないのだが、例えるならサイネとユウラのちょうど真逆をいくような感じだ。


「……うーん、なぁんかすっきりしないなあ」


 ヒナトはヒナトで変だった。

 理不尽な言い草とは別で、何かタニラにおかしいことを言われたような気がしてならないのに、それが何なのかわからない。


 気のせいかな、とひとりごちた。



・・・・・+



 オフィスに戻るとサイネとユウラは早くも休憩していた。

 いや既に充分仕事はしているからいいのだが、飲みものを待たなくてもいいのだろうか。


 休憩中のくせに、なにやら小難しい話をしているところが彼ららしい。


 もちろんヒナトにはちんぷんかんぷんなのだが、手にしているのが先ほどヒナトの整理していたファイルなのだから、まあ仕事とか花園の研究内容とかに関する話なのだろう。

 ヒナト的にはそれはもはや休憩時間にする話題ではない。


 ただ、タニラの言う「仲がいい」の意味は、なんとなくわかった気もする。

 すごく仲がいい、のかはわからないが。


「あれ、あんたも淹れにいってたんじゃないの?」

「うーんなぜか追い出されちゃった。あ、失敗したとかじゃないからね!」

「はいはい」


 そして軽くあしらわれるヒナトであった。


「にしても、どーしてタニラさんてあたしのこと嫌うのかな。そりゃあ無能だけど」

「何それ愚痴?」

「うー……そうなる、と思う」


 そういうつもりではなかったが、結果として、愚痴になってしまったと思う。


 ほんとうに理解できないのだ。

 タニラがどうして執拗にヒナトを非難し続けるのか、そして自分のあまりのダメさ加減にも辟易している。


 たしかに、ヒナトは仕事ができない。

 それを見ていて腹が立つと言われるのは仕方がないとも思う。


 だが、タニラの言いかたがいつもひっかかるのだ。


 見かねて助言をくれるわけでもない。

 ただひたすらに否定の言葉をぶつけてくる。

 それも、単なる秘書としてのヒナトに対してではなく。


 ──必ず彼女は、ソーヤくんの秘書として、という言いかたをする。


「なんでだと思う? サイネちゃんわかる? ユウラくんは?」


 ここしばらくずっと考えていて、そろそろ行き詰ってしまっていたヒナトは、状況を打開するべくふたりに意見を求める。


 ふたりは頭がいい。

 だからきっと、答えを見つけてくれるだろう……。


 サイネとユウラは打ち合わせでもしたかのように絶妙なタイミングで顔を見合わせた。


 一瞬だが、ユウラが間の抜けた表情になったのが少し面白い。

 彼もちゃんと表情を変えることがあるらしい。


 だからますますヒナトの期待ゲージが上昇したというのに、


「いや、ここへきて分かってないあんたのほうがなんでって感じ」


 ずどん、といつかのように叩き落とされる結果となったのだった。


「俺は仕事に私情をはさむなと言っているんだが……」

「それはユウラが言っても説得力ないんじゃない」

「ええええ逆にユウラくんがどのへんに私情はさんでるのかわかんないよ!?」

「わからなくてもいいから気にするな」


 いや気になるよ!


 そのあたりをもっと問い詰めたくなったヒナトだが、ユウラはサイネのほうをちらりと見たきり黙ってしまった。

 そういう意味ありげなアクションはよくないと思います。

 余計に気になってしまいます。


 よくわからないがサイネはそれを知っているらしい。

 やっぱり仲がいいのだろうか。


「とにかくあんたが鈍すぎて話にならないってことは確かね。

 ……まあ、特別にヒントをあげるとするなら、タニラはものすごーくあんたが羨ましいってことくらいかな」


 しかもサイネの言うことはもっとわからないのだから問題だ。


 だってだって、羨ましがられる要素がいったいどこにあるのかと!

 毎日ソーヤにいじられ機械を壊しまずい茶を淹れては転んでこぼし、それでまたソーヤにいじられワタリに渋い顔をされ、挙句の果てにじつは毎月末提出の書類を連続五回ボツにされているこの貧乳いやヒナトの、いったいどこに!


 自分で言っていて悲しくなってきたのは秘密だ。せめて胸があれば……。


 ぽかんと間抜け面を晒しているヒナトに、サイネはさらに言った。

 有利なのはあんたのほう、と。

 何のことだろう。


「それなのに何の努力もしてないように見えるから「ずるい」って言いたくもなるんでしょ。

 悪いけど、私はどっちの肩も持たないから」

「……実際タニラは可哀想だな」


 俺だったら堪えられないかもしれない、とかすれた声で呟くユウラを、なぜかサイネが馬鹿とかなんとか罵った。


 どういうことかまだ聞きたかったのにそこでタニラが戻ってきてしまった。


 それから四人でコーヒーや紅茶を飲んだ。

 ヒナトの配当は砂糖入りミルク多めのカフェオレで、コーヒーが苦手なはずのヒナトでも飲みやすくて美味しかった。


 ……やっぱり、どう考えても羨ましいのはこっちのほうだ。



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