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眠れるオペラ  作者: 空烏 有架(カラクロ/アリカ)
埋(うず)められた過去
46/85

buried record:no title(2)

 ────,XX



 毎日のように身体を重ねた。

 自室だけに留まらず、オフィスや給湯室、トイレに物置、エレベーターホールの暗がり──人気のない場所ならどこでもそれは行われた。

 知性を放り投げて繰り返された行為はもはや、動物の所業だった。


 ほんとうに苦痛だったのは最初のうちだけだったように思う。

 身体が慣れてしまうのがいちばん早くて、そのうちメイカのほうから誘うようにすらなった。


 人目を忍んで身体を繋げるたびにリクウは死んでしまいたそうな顔をする。

 最初にメイカをレイプしたのは彼なのに、まるで自分がいちばん辛い罰を受けているみたいな表情だった。

 けれどたぶん、それも間違いではなくて。


 メイカに拒まれたらきっと彼はほんとうに死んでしまうのだ。

 そう思えてならなかったし、それはまた、メイカにとっても耐え難いことだった。


 前の班長だったナヅルが死んで、その職を引き継いでからのリクウは重責と焦りのために日に日におかしくなっていた。

 体調不良もあったろう。

 彼もすでに疾患を発症していて、基本安定剤に追加された複数の投薬によってかろうじて正気と思考能力を保っているような状態だったから。


 そしてその最後の均衡を崩したのは他ならぬメイカなのだ。

 メイカが黙っていたせいで、リクウは心構えをせずに事実を突きつけられてしまった──メイカの体調がほんとうは思っているより悪化していたことを突然に知ってしまった。


 想定していたよりも時間がないと悟ってから、彼の言動は一段とおかしくなった。


 あれが引鉄だったのは間違いない。

 だからつまり、メイカが彼の心を壊したのだ。


「……リク、()()


 今日もメイカを抱きながら、リクウの瞳にはなんの色も着いてはいない。

 一連の行動をプログラムされた機械のように繰り返すだけの存在に堕ちてしまった、彼をどうして責められるだろう、リクウをそんなふうにしてしまったのはメイカなのに。

 だからこれは当然の罰で、報いで……罪でもあり、そして、甘美でもあった。


 繰り返し与えられるそれは地獄の業火のように熱い。

 そして、罪びとの頸を狩る死神の刃のように冷たい。


 彼をぎゅっと抱いてその衝撃に耐えてから、メイカは深く息を吐いた。

 いつになったら()()を終えられるのだろうと、なかなか結実の気配を見せない己の腹を憎らしくさえ思った。

 行為を重ねれば重ねるほどリクウが壊れていくのに、しかし同時に、この秘かなふたりの犯罪は、他のどんな行いにも勝る多幸感と情動をメイカにもたらしてもくれる。


「泣かないで」


 リクウの頭を撫でてそう囁くと、彼は凍ったような眼でメイカを見る。

 そこは少しも濡れていないけれど、もう泣きたくても泣けないのだと知っているメイカは、いつも同じ言葉を紡ぐ。


「大丈夫だから……」


 それは前から彼に聞かせた声で、けれど意味合いは少し違ってしまっている。

 かつては彼をひとりにさせまいという誓いだった、どんな手を使っても自分が先に死ぬことだけは避けたい、その覚悟があることを伝えるための言葉だった。

 けれど今はもう、それだけではない。


(リクだけに背負わせたりしないから。……私も、共犯だから……)


 彼がメイカを愛するように、メイカも彼を愛している。




 そんな日々が二カ月あまり続いたが、終わりもある日突然にやってきた。

 いや、自分の身体のことだ、メイカだけは薄々気付いてはいた。


 いつになく体調の悪い日が続き、悄然とするリクウを宥めながら、メイカは医務部に相談をした。

 身体に起きたことを伝えていくつかの検査をしているうちに職員の顔色が変わり、そして、彼は困惑に少し憤りを含ませた声で言ったのだ。

 ──きみは恐らく妊娠している。


 それからが大変だった。


 ラボの人間は大いに慌てながら状況を把握しなければならず、リクウとメイカは引き離されたうえで、それぞれ取り調べのようなことをされた。

 身体の都合でメイカはそれほど長時間詰問されることはなかったが、たぶんリクウはそうはいかなかっただろう。

 聴取は仔細に渡り、いつどこで何をしたのかを残らず白状させられた。


 妊娠したという現実がある以上、それに至る行為があったことは隠しようがないのだし、伏せる必要もない。

 メイカはすべて正直に話したが、職員は納得いかないようだった。


「嘘は言ってないわよ。……でも思い違いはあるかもしれない、正直いって、自分が記憶障害を起こしてないっていう自信がないから」

「いや……おおよその内容はリクウの証言と一致してるし、こっちも疑ってるわけじゃない」

「なら、何?」


 メイカはまだ膨らんでいない腹部を守るように両手で包みながら、少し不満げに尋ねた。


「……リクウは自分が強要したと言ってる。で、きみは合意の上だと言う。そこだけが食い違っているんだが……庇ってるのか? それとも何か脅されたりしてるんじゃないのか?」

「まさか。そんなことする理由、誰も持ってないわ」


 毅然として否定するメイカに、職員はそれ以上追及してこなかった。

 ただそのあと他の者と交わしていた会話の中で、ストックホルム症候群なのかもしれない、などという言葉を出してはいた。


 そんなんじゃない、とメイカは思った。

 脅されても庇ってもいない、強要されたのは初めのうちだけ、あとはすべてメイカも同罪だ。

 勝手に一方的な被害者にするなと言いたかったが、結局こちらにも反論の機会が与えられることはなかった。


 もっとも、後からリクウへの怒りが衝動的に湧き上がることがあったのも事実で、それを思えば職員の考えもあながち的外れではなかったのかもしれない。



 それからメイカの生活は一変した。

 当然ながらリクウとは一切会えなくなり、GHのソアとしての仕事はすべて取り上げられ、それまで以上に細かく体調を管理されることになった。

 必要な栄養素を漏らさず摂るためにサプリメント漬けにされ、適度な運動を義務付けられると同時に行動の自由は一切奪われた。


 職員たちの関心が胎児にあることは間違いない。

 それまでソア同士で性行為をして妊娠出産したという話を聞いたことはなかったし、恐らく花園が開所して以来初の試みであったはずだ。


 つまり、初めメイカは中絶を宣告されることを恐れていたのだが、そんな言葉はついぞ聞くことがなかった。

 それどころかかつてないほど大切に慎重に扱われたが、すべては確実にソアの子を手に入れるためなのは明らかだったので、到底ありがたいという気持ちにはなれなかった。

 むしろ不安だった──この人たちは赤ん坊をどうするつもりなのだろう、と。


 ラボは胎児の状態についてメイカに一切教えず、ひたすらメイカの不信感を助長させた。

 腹部がすっかり丸く膨れて中で我が子が動くのがわかるようになっても、あまつさえ出産の瞬間まで、性別すら知らされなかったのだ。


 その理由は明白だ。

 メイカから赤子を取り上げて他のソアと一緒に育てるつもりなのだろう。

 もちろんそんなことを許したくはなかったが、とてもそれを拒む力はメイカに残されてはいなかった。


 ソアには通常、麻酔薬が使えない。

 過去にそのまま昏睡状態に陥った例が複数記録されている。

 ただしアマランス疾患の初期症状で情緒不安定になりやすいという特性を抱えているため、手が付けられないほど興奮することが少なからずあり、その際は沈静剤と併用してごく少量の麻酔が用いられる。


 つまりメイカの出産に際しても、陣痛を和らげるに足る量の麻酔を使えなかった。

 それどころかラボはなぜか──もちろんちゃんとした理由はあっただろうが、例によってメイカには説明がなされなかったという意味で──帝王切開を行ったのである。


 満足な麻酔処理を受けられないまま開腹され、よく死ななかったと自分でも思う。


 筆舌に尽くしがたい激痛のあまりメイカが気絶しているうちに、赤子はガーデンの育児室に連れていかれた。

 術後の数日に渡って意識が朦朧としていたうえに妊娠と切開とでぼろぼろになった身体では、その事実を知ってももはや怒る気力すらなく、悔しさに泣きながらもふた月近くベッドを離れられなかった。

 どのみち立って歩けるようになっても、ラボはメイカを自由にはしなかったが。


 あれこれ理由をつけて医務部に軟禁され続け、ようやくメイカがガーデンを訪れたのは出産から一年近く経ってからで、そのときすでにガーデンは新しいソアたちでいっぱいだった。

 色とりどりの幼いソアが無邪気に笑っているのを見て、メイカはその場に崩れ落ちた。


 一度もこの腕に抱かせてもらえなかった。

 母乳だって、絞ったのを渡していただけで、自分の手からはあげられなかった。

 何よりいちばん悲しかったのは、もはや戯れる新芽たちの顔を見ても、どれが自分たちの子なのか確信が持てないことだった。


 そのあとガーデン配属を希望したのは、たぶん失われた我が子との時間を別の形で埋めたかったからだろう。

 実際にメイカがガーデンに入ったころ、ふたりの子が含まれるであろう一群はガーデン内でも上の養育段階に繰り上げられていたため、我が子との直接のふれあいは一瞬すらも叶わなかった。


 だが、確実に()()()にいる。


 名前も性別も知らない、しかし十月十日(とつきとおか)この胎に抱えていた唯一無二の命は、研究所のどこかで何も知らずに暮らしているのだ。

 この世代は誰も死んでいないから、つまり我が子は生きている。


 ──あれからもう十年以上が経った、今もなお。



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