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data43:葬り去られたもの

 ────,43



 階段を下りながらサイネはずっと考えていた。


 連絡通路がない以上は隣の棟のガーデンから入る手段はない。

 真下の十階には人が出入りした形跡がなく、これといって目ぼしい手がかりがなかった。

 可能性が高いところから順に潰していくしかないわけだが、こうなってくると残る選択肢というのは、もともとの期待値が低かったところばかりになる。


 つまり、敢えていちばん『幻の十一階』から遠いところ。

 地面よりも下、そしてある意味空よりも天国に近い場所──誰もが最後に行きつく空間だ。


「……地下墓地くらいしか、今は思いつかないのよね」

「同感だ。それで何もなければ今度こそ十階の壁に穴を開けるしかないな」

「それってどうするの? 椅子で殴ったくらいじゃ破れなさそうだけど」

「次に外に出たときに工具か何か買ってくるしかないだろう」

「どう考えても没収される」


 ふたりにしては冗談めいたやりとりをしながら、そのうち四階についた。

 地下墓地へは階段がないのでエレベーターでしか行けないし、もうラボ階を過ぎたのだから、よほど職員に出くわすことはないだろう。


 一班のオフィスを横目にかごに乗り込み、ふたりはさらに下へと向かう。


 少ししてエレベーターが止まり、扉が開くが、目の前はおぞましいほどの闇が広がっていた。

 幸い手探りで届くところに電灯のスイッチがあるのを知っていたので、すぐにそれを探して押したはいいが、配線が古いのか点灯するまでに少し時間がかかった。


 次第に輪郭を表す、整然と並んだ無数の棚。

 そこに収められた真四角の箱に、()()()()()()()を記したラベルが貼られていなければ、一見するとただの資料庫のようだった。

 かすかに保存液の臭いが漂っていて、あまり長居すると気分が悪くなりそうだ。


 一歩踏み出すと足音がいやに大きく反響した。


「……さすがに気味が悪い」

「遺骨を調べに来たわけじゃないし、棚は無視して。そういえばここの警備システムは覗いたんだっけ?」

「見はしたが触ってはないな。自動監視じゃないからすぐには来ないだろう」

「そ。なんにせよ手早くやるに越したことはないけど」


 地下墓地はふたつの建物に跨って広がっているため、他のどの部署よりも面積が広い。

 物言わぬ遺骨ばかりが並んだ虚ろな空間に靴音を響かせながら、ふたりは壁をぐるりと見て回ることにした。


 ここに来たこと自体は初めてではないが、これほどじっくり内部を探索するのは初めてだ。


 白く塗られた壁はどこに触れてもひんやりと冷たい。

 そのどこかに隠された扉がありはしないかと、数メートルおきに軽く叩いてみたが、とくに音がおかしかったりする箇所はなさそうだ。

 もちろん継ぎ目なんてものも見当たらない。


 ユウラには無視するように言ったものの、サイネはときどき横目で遺骨の並ぶスチールラックを確認していた。

 九十年分の遺体とはいえ、その大半が荼毘にふされているのだから、このだだっ広い部屋をそれだけで埋め尽くせはしないだろうと思ったからだ。


 それに、十階には資料がほとんど置かれていなかった。

 あそこはほんとうにただの物置で警備も手薄、つまり誰でも簡単に侵入して調べられる。

 捨てるわけにはいかないが人目に晒したくない情報なら、できるだけ人の来ない場所に保管するのが自然だろう。


 それが墓地であってもなんらおかしくはない。

 誰も好んで来ようとはしないだろうし、そもそもここは花園の過去の()()()()を葬るための場所なのだから。


 そしてサイネは気づいた。

 遺骨を納めた四角い樹脂製の箱の中に、ときどき名前のラベルがないものがあることに。


「……扉よりこっちのほうが面白いかも」

「手分けするか?」

「うん」


 たった一言でこちらの意図を察せるあたりが、ユウラがサイネの相棒たる所以だろう。


 壁のほうは彼に任せ、サイネは無記名の納骨ケースを改めていくことにした。

 いくつかは単に空だったりしたが、予想どおりメモリや廃棄書類を詰め込んだものもいくつか見つかった。

 紙媒体はざっと目を通し、メモリはついているラベルから中身を推察する。


 ある箱は古いソアの製造データが主で、また別の箱は経理の記録、またある箱はシステムの管理記録と、一応中身は内容ごとにまとまっている。

 どれもそれなりに興味深くはあるが、すべてを持ち出すことは不可能だ。

 それぞれの箱の位置をメモにとっておき、あとでオフィスに戻ってからリストを作成しようと決めて、今は調査に没頭する。


 そして、これでいくつめになるだろうか。

 持ち上げた箱は妙に軽く、手に取った瞬間は空箱かと思ったが、中で何かが滑ってぶつかる音がした。


「……スティックメモリ、一個だけ?」


 蓋を開けて中を覗き込んでみたが、他には何も入っていない。

 紙の一枚もなければ、メモリ自体にラベルもなく、中身を推理する手がかりは何一つない。

 こればかりはリストに載せようがないからと、サイネはメモリをポケットに入れた。


 しかも気付けばすぐ後ろは壁で、つまりサイネは最後の列に到達していた。

 墓地の最奥に隠された、ラベルのない奇妙な記録媒体──これで大した中身ではなかったらがっかりだ。


 棚の調査を終えたサイネは、近くに姿の見えない相棒へと声をかける。


「ユウラ? もうこっちはキリがついたけど」

「こっちも終いにする」

「何か見つかった?」


 言いながら壁伝いに歩いていくと、角を曲がったところでユウラの姿が見えた。

 壁に両手をついて妙な恰好だ。

 もしかして薬品の臭いで気分が悪くなったのか、という疑念がよぎり、サイネは少しだけ歩調を早めて彼の隣に行く。


 覗き込むようにして見た顔は、しかし古い電灯の明かりのせいで顔色まではよくわからなかった。


「……大丈夫?」

「何がだ?」

「なんともないならいい。で、調査結果はどうなの」

「上じゃないことがわかった」

「は?」


 意図が汲めずに聞き返したサイネに、ユウラは足許を指し示す。

 そこにはリノリウムを鋼の枠で真四角に切り取った、たしかに扉と呼べなくもないものがあった。


「下だ。……墓地の下にさらに地下がある」

「これがその入り口ってことね」

「ああ、これで次の手は決まった。この扉の管理システムを探して開けることだ」


 当然そこは固く封じられている。

 だがすでに何度も花園のシステムに侵入しているサイネたちに、この研究所内で開けられない扉など存在しない。


「私も怪しいメモリを見つけた。戻って中身を見ましょ」

「そうだな」


 ふたりは頷き合って、それから元来たエレベーターに向かって歩き出した。


 途中でつんと保存液の臭いが鼻を突く。

 振り返れば火葬前の遺体を安置するスペースがあり、その中のひとつ、ふたりの知っている少女の名前を記したラベルが目に飛び込んでくる。

 まるで呼び止められたような気がした、というのは非科学的すぎるだろうか。


 霊魂などというものが存在しているかどうかサイネは知らないし、証明する方法も思いつかない。

 ただそこに思念が残りうる可能性は否定しない──人は生きていれば汗をかき皮脂を分泌する、それらの成分に他のものが混じることも稀にはあるかもしれない。


 サイネが足を止めたのに気付き、ユウラもふり返った。


「……そういえばここに()()んだったな」

「もう昔のことみたいな気がする」

「そのうちほんとうに昔になる」

「……だといいけどね」


 いったい何年経てば昔と呼んでもいいのだろうか。

 まだひと月にもならないけれど、サイネはあまり彼女と言葉を交わさなかったので、正直あまりよく覚えてはいない。

 それでも印象が強烈なのは死を目の当たりにした数少ない経験だったからだ。


 これまでのソアの死は、あくまでデータ上の文字でしかなかった。

 実際に倒れてから死ぬまでの経過も、その遺体も、フーシャで初めて目にしたのだ。


 サイネにとっても苦い記憶になった。

 目の前で倒れたのに、それまで調べて得た知識を何ひとつ活かせないまま、彼女はあっという間に逝ってしまった。

 こちらの手に無力感と虚無感だけを残して。


 確信したのはひとつだけ。

 同じことがまたGHで起きたとしても、きっと同じ結果が待っている。


 それではサイネたちは何のために生きているのだ?

 誰がなんのためにこんな歪な命を生み出して、誰の役にも立たず、毎日を無意味な作業で浪費して、そのうち死ぬのを待つだけの暮らしをさせているというのだ?


(私は……何も残さずに、死にたくない)


 それが耐えられないからサイネは調べる。

 真実を、隠されたすべてを暴かなければ、現状を変える方法など見つけられない。


「……早く戻ろう」


 ユウラの手が伸びてきてサイネの肩に触れた。

 まるでそこが震えているとでも思っているような、労わるような触れかたをしてきたので、サイネは少し苦笑してその手を掴む。


 たまに思うのだが、ユウラはサイネの気持ちを見通しているのかもしれない。


(死にたくないから、あんたを死なせたくないの。……わかってる?)


 一人で生きていくつもりはない。

 ユウラの存在意義がサイネにあるのなら、サイネの存在理由もまた彼にある。



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