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data39:花も恥じらう診断結果

 ────,39



 次の朝、ソーヤに会ったらまた心肺の異常が出るのではないかと身構えていたヒナトだったが、とくにこれといって問題は起きなかった。


 まったく何もない、というわけにはいかなかったものの態度に出るほどの不具合には至っていない。

 せいぜいちょっと体温が上がったり、たまに胸の奥がきゅっと締め付けられる程度で済んだので、たぶんソーヤにもワタリにも気づかれていないだろう。

 とにかく騒ぎにだけはしたくなかったので、ヒナトは内心ほっとしていた。


 しかしそれはそれ、これはこれで、仕事が進んでいない。

 それどころか今日もヒナトは元気にミスとドジを繰り返していたのだった。


 まずすれ違いざまに肘をぶつけて花瓶をひっくり返す。

 造花を挿していただけで水も入れていないので、これ単体では大したことではない。


 問題はそこからドミノ倒しのごとくトラブルが連鎖していったことだ。


 転がった花瓶を拾おうとして転倒、頭をキャスター付きの椅子に強かにぶつける。

 椅子はそのまま床を滑り、ソーヤの座るそれにぶつかって進行方向をわずかに変えたあと、小物の入った小さなラックに衝突した。

 ラックはそのはずみで倒れ、引き出しがすべて外れたうえ中身が床にぶちまけられる。


 コケていたヒナトは立ち上がった瞬間床に散らばった文房具か何かを踏んで再度、今度は仰向けにすっころんだ。

 痛いと思う暇もなく、転んだ拍子にまたも肘を打ちつけたらしいデスクから何かが落ちてきて、それを視認するより先に痛みと冷たい感覚がヒナトの顔面を覆う。


「おいおいおい……」

「ヒナトちゃん大丈夫!?」


 ちょっとした大惨事に男子たちの声にも焦りがある。

 ヒナトは呆然としながら、しばらく何も言えずに顔を覗き込んできたふたりを見上げていた。


「……いひゃいれす」

「大丈夫か呂律回ってねえぞ。とりあえず立てるか?」

「はい、タオル」


 ソーヤの手を借りてなんとか身を起こすと、ひんやりとしたものが服の中をつつっと流れ落ちる感覚があった。

 それにこの甘い香り。

 どうも頭からココアを被ってしまったらしい、……なんてもったいない……。


 とりあえずワタリからタオルを受け取って顔と髪を拭くが、制服もびしょびしょだ。

 どのみち着替えなければダメだろう。


 落ち着いて周囲を見回すと、もう言葉にできないような光景が広がっていたので、ヒナトはがっくり肩を落とした。

 もうこの片づけだけで一日が終わりそうだ。

 一体全体何がどうしてこんなことになってしまったのだろう……。


「怪我ないか? まあとりあえず着替えてこいよ」

「すみません……」

「ついでに髪も洗ってきなよ。片づけはさすがに僕らも手伝うから、焦らなくていいからね」

「えっ今日のワタリさん優しいですね」

「おや? 僕はいつも優しいつもりなんだけど」


 そうかな。

 そうかも。

 たまにしれっと黒いこと言うときがあるけど、基本的には優しいかも。


 とりあえずヒナトはふたりに謝罪とお礼を繰り返しつつ、オフィスをあとにした。


 連絡通路を渡って生活棟に移動し、洗濯室で予備の衣類をもらって浴場へ。

 シャワーを浴びて身体にまとわりついたココアを洗い流し、髪を乾かし、きれいな制服を着直して、それから汚れたほうを洗うのだ。

 再びランドリーに戻ってまとめて洗濯機に放り込み、ようやく一息ついた。


 透明な扉越しにぐるぐる回っている洗濯ものを眺めながら、やっぱりまだ不調なのかもしれないな、とぼんやり思う。


 もともとドジとミスは得意技だったが、今日のはさすがにひどい。

 いや、悪い偶然が重なった結果があれなので、すべてがヒナトの不注意によるものではないのか。


 さっきは心配されたが、たぶん戻ってから改めて叱られるんだろうな、と思うとますます気が滅入る。

 そりゃあ最初に花瓶を落として転んだのはヒナトだが、そのあとの不幸と悪運の連鎖までは責任をとりきれない。

 あんなのどうやって防げばいいというのだ。


 ヒナトがもにゃもにゃ唸っていると、背後で扉の開く音がした。

 振り向くとそこには大きなカゴが立っていた──もとい、カゴを抱えた白衣姿の小柄な女性がいた。


「あ、メイカさん。……なんでこんなとこに?」

「なんでってそりゃあお洗濯に。ランドリーに他の用事で来る人はそんなにいないわよ」

「そうですけど……それ、メイカさんがやるんですか」

「ええ、これも仕事のうち。おちびちゃんたちはすぐ汚しちゃうから」


 その言葉どおり慣れているようで、メイカは手早く洗濯機に衣類を投入し、手順書を確認することなく迷いのない手つきでパネルを操作し始めた。

 ヒナトはさっきそれを手順書とにらめっこしながら数倍の時間をかけてやったのだが。

 まあ普段使っていないのだから不慣れなのは当然だし、結果として洗濯機を壊してはいないのだからヒナトとしては上出来だろう。


 メイカの手際の良さに、いつか給湯室で見た姿を思い出す。

 あのときはフーシャも元気で、あんなことになるなんて、お互い思いもしなかった。


 やっぱりメイカも彼女の死を悲しんだのだろうか。

 今はあのときと同じように明るく振る舞っているように見えるけれど、その白衣の下の胸が痛んでいたりするのだろうか。

 それとも何人もの同期を失っているから、彼女はもう慣れているのだろうか。


 などとぼんやり考えていたらメイカが出ていこうとしたので、ヒナトは思わず呼び止めた。


「まっ待って! どこ行っちゃうんですか?」

「どこって上に戻ろうと……別にここでずっと洗濯機を見張ってなくても大丈夫だし」

「あ、そっか。……ああでもあの、えっと、あたしちょっとメイカさんとお話したいことが……あって……」


 メイカはきょとんとしてヒナトを見る。

 まんまるの明るい水色の眼が誰かに似ているような気がしたが、思い出せなかった。


 話したいというのは本音だ。

 例の、ソーヤに対する謎の不調について相談する相手として、ヒナトが思い浮かべたのは彼女だった。

 サイネやアツキほど頼りになるかはわからないけれど、彼女たちに話す前に、他の誰かにことの深刻度を判定してもらいたかったのだ。


 それはできれば女性で、ラボの職員ではなくソアがいい。

 他の人に話を漏らさないでもらいたい。


 そう思ったときに思い出したのがメイカで、彼女は女性のソアで歳上で、少なくとも同期の大半を失ったうえにリクウとはどうも距離を置いているらしいから、条件に当てはまる気がしたのだ。


「なあに?」


 メイカは不思議そうにしながらも、こちらの話を聞こうという姿勢を見せてくれた。


「あの、誰にも言わないでほしいんですけど」

「わかった。それで?」

「その……ソ……いや、ある人を、じゃない、ある人が。こう、あたしのことを気にかけてくれたりとか、眼が合ったりとか、するんです。

 そしたらあたし、息ができなくなったりして」


 心臓がばくばく鳴って、うるさいし痛いし、顔が真っ赤になっちゃうし。

 まともに喋れなくなるし、というかやっぱりそもそも息ができないのは苦しいし。


「……っていうのは、なんか病気とか悪いことだったりしない……かな……って」

「うーん……それは特定のひとりに対してだけなの?」

「そ、そうです」


 一生懸命言葉を選んで正確に話したつもりだったが、いざ声に出して言ってみると我ながらものすごくおかしな症状だなと思う。

 メイカに変な子だと思われるかもしれない。

 なんにせよ、メイカの反応次第でアツキたちにも言うかどうかを決めよう。


 ヒナトはそんな心情を誤魔化すように、指先をぐりぐり突き合わせながらメイカの回答を待った。

 するとメイカはヒナトの肩にぽんと手を置き、急にひどく深刻そうな表情になって、静かな声でこう言ったのだ。


「……かなり重症ね、それは」

「えっ、じゃあまさか……」

「そう……あなたは完全に病気よ。それも恋っていうそれはそれは厄介な……ね」

「こ」


 濃い? 鯉? 故意? KOI?

 いや、……恋?


 聞き慣れぬ、しかし意味くらいはさすがにヒナトも知っている、そして当分縁はないだろうと思っていた言葉がメイカの口から飛び出した。

 その甘酸っぱい響きに、ヒナトもこれまで憧れを抱かなかったわけではない。

 むしろ逆でざんざん妄想してきたしその相手がそういえばうわああああああああそうだったああああああああ!


 ヒナトは唐突に、そして強烈にその事実を思い出した。

 途端に顔がぼんっと音を立てて赤くなり、それを見ていたメイカが小さく噴き出す。


「ふふ、おめでとう。ひとつ大人になったわね」

「え、えええ、でででもあた、あたし」


 どうしたらいいのかわからなくて、ヒナトはわたわたと動揺の舞を踊る。


 恋っていうのはもっと甘くてふんわりしていて、幸せで夢見心地で、毎日が楽しく輝いて見える魔法のようなものだとばかり思っていた。

 こんな呼吸困難に動悸や眩暈なんかを伴う悲惨な状態だなんて知らなかったのだ。

 正直ちっとも楽しくない、それどころか今までのような平穏な暮らしができないのでは困ってしまう。


 第一班の秘書としてこれからも毎日ソーヤと顔を合わせるのに、あの目ざとい班長からどうやってこの気持ちを隠し通せばいいというのか。


 っていうか、これがほんとうにあの『恋』?

 言葉から感ぜられるような素敵な気配は微塵もないし、それに恋をすると女の子はきれいになるものらしいのに、今のところヒナトはちっともキラキラしていないのだが。


 どうにも実感が湧かないまま、洗濯が終わったのを区切りにしてメイカと別れた。


 屋上に洗い上がったものたちを干してからオフィスに戻る。

 その道すがら、もしかしてメイカにからかわれたのではないか、という気がしてきたヒナトは思わず苦笑いした。

 彼女に相談したのは不正解だったのかもしれない。


 少なくともヒナト自身が確信を持てるまでは誰にも言わなくていいや、という結論に至りながら事務所のドアを開いた。

 ……なぜか床の片づけをソーヤがひとりで熱心にやっていて、ワタリはいつもどおりパソコンに向かい合っているという、ちょっとコメントに困る光景が広がっていた。


「えっ……ご、ごめんなさいゆっくりしすぎました!?」

「あと二分遅かったら説教かましてたな。今回はぎりぎり許してやる」

「ひぃぃありがとうございますっ」

「いいからとっとと代われ。でもって終わったら茶淹れてこい。あと俺の肩を揉め」


 肩を揉め!?

 そんなの初めて頼まれた、と驚いたヒナトだったが、床にぶちまけたココアの掃除までしてくれたのならそれくらいの返礼は当然か?


 とりあえず慈悲深いんだかそうでもないんだかわからないソーヤの言葉に、絶句するヒナトに代わってワタリがクレームを挟む。


「ソーヤ横暴~」

「一切手伝わなかったおまえが言うな」

「……お? じゃああの話ヒナ──」

「やめろ」


 ソーヤがすばやく遮ったので、ワタリが何を言いかけたのかはわからなかった。

 なんかヒナトの名前を出されたような気がしたのだが気のせいだろうか。


 小首を傾げつつも、せっかく免れたお小言を再び呼ばないためにヒナトはせっせと床に散らばるこまごましたものを拾い始めた。



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