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data32:ぼくらは空に憧れる

 ────,32



 ヒナちゃん大丈夫? 顔色悪いよ?


 と、真っ先にアツキに聞かれたあたりからして、たぶんヒナトは相当暗い顔をしていたのだろう。

 もうほとんど食べ終わっているサイネの向かいに腰を下ろして、しかし返事の代わりに深い溜息が盛大に漏れただけだった。


 いや、あんなものを見て落ち込むなというほうがどうかしている。

 ヒナトはざるそばを汁に浸しつつ、休眠室で見聞きしたことをぼそぼそとふたりに語って聞かせた。


「そっか……まあ、そうだよね。あの子たち仲よかったもんね」

「もう見てられなかったよ……」

「お疲れさま」


 ねぎらいの言葉を聞くのがなぜか辛い。

 たぶん、この件でいちばん悲しいのはヒナトじゃないからだろう。


 ともかく時間もあまりないので、ヒナトは急いでそばを啜る。

 そういえば朝の造花の件でようやく季節の変化を感じたヒナトだったが、食堂のメニューもそれらしく変わっているようだ。

 この前まではざるそばではなく、温かいそばだった。


 しかしソアは基本的に外に出ないし、室内は空調で一定の温度に保たれているから、あまり花園に季節感はない。


「ねえヒナト。コータに投与されてた薬剤のラベルは見た?」


 食べている途中に、ふいにサイネがそう尋ねてきた。

 口を開けられなかったので首だけ振って、わからない旨を答えたが、サイネはそんなことを聞いてどうしたいのだろう。


「状況からして睡眠導入剤とかじゃない? 注射タイプって、あんまり見ないけど」

「そうね……考えても仕方ないか」

「うん、サイちゃんはもちょっと肩の力抜こっか~。

 ……おやまあ、お客さん、ずいぶん凝ってますねえ。こことか、あとこのへんもカチンコチンだよ」


 アツキがおもむろにサイネの肩を揉み始め、意外とサイネも素直にそれを受けているのを、ヒナトはそばを啜りながら眺めていた。

 なんていうかこの場の空気がいつもどおりで、安心する。

 それもこれも悲しい事件を引きずらずに普段どおりに振る舞ってくれるアツキがいるからだ。


 毎日ずっとこうならいいんだけどなあ、と思いながら、箸を進める。


「あ、そだヒナちゃん、今日の業務後なんだけど」

「んむ?」

「返事しなくて大丈夫だから、食べながら聞いてね? ……オフィス棟の二階にある生活資材庫、うちらあそこに行こうと思ってて、だからヒナちゃんも一緒に来てね」


 なんで? そこに何があるの?

 もぐもぐしながら首を傾げたヒナトを見て、サイネが補足する。


「それだけじゃヒナトがわかんないでしょうが。

 明後日また開放日でしょ。でもって私もアツキも夏服はあんまり持ってなくて、当然あんたにも貸す余裕がないの。

 生活資材庫には前のソアの服がしまってあるから、それを借りようって話」

「あ、ごめんごめん。そゆことです」

「んむん」


 食べながら、理解したの意を込めて頷いた。


 久しぶりの開放日だ。

 ほんとうならもっと楽しみに指折り数えていたところだが、最近いろんなことがありすぎてすっかり忘れていた。


 それから三人は、今度はどこに行こうかという話をして盛り上がった。

 やっぱりもっと服が欲しいということになり、それならとサイネが服屋を効率よく回るルートを考え始め、ヒナトはそんな会話をBGMにそばを食べる。

 久しぶりに、楽しい雰囲気でたくさん人の声を聞いたような気がした。


 ああ、ほんとうに、毎日ずっとこうがいい。

 心からそう思う。




 ・・・・・*




 そういうわけで業務後、三人は生活資材庫に向かった。


 というか全員同じことを考えていたようで、気付けばGHのメンバーがオフィス棟二階に集結するという珍しい光景が広がっていた。

 しいていえばワタリはまたいないが、彼は今回も出かけないのだろうか。


 ちなみに生活資材庫というのは、その名のとおり生活棟で使うための資材があれこれ置かれている大きな物置部屋だ。

 ヒナトはもちろん、他のソアたちも普段まったく立ち入ることがない。

 各種洗剤やらトイレットペーパーに電球など、そういうものがこの部屋の主な住民で、基本的にそれらに用があるのは、生活棟の清掃や施設管理を担当する職員たちぐらいなのである。


 そこに衣類があるというのも初耳だったが、それを知らなかったのはヒナトと新顔のエイワぐらいだったらしい。

 他のみんなは勝手知ったるというようすで迷わず資材庫の奥へと歩いていく。


 なるほどそこには引き出しタイプの衣装ケースが積まれていて、取っ手部分に中身の詳細を記したラベルが貼られている。


「女子トップス春夏……あった。ヒナト、ここから好きなの選んで。試着するならあっちの物陰」

「あ、思ったよりいろいろある……どれがいいかなー」

「うち、ちょっとニノりんの服見てくるね!」


 自分の服も決めていないというのに、アツキはこちらの返事も聞かずに行ってしまった。

 その背を見送りながら、物好き、とサイネが呟いたのをヒナトは確かに聞いた。


「アツキは放っておきましょう。なんかもうスイッチ入ってるみたいだから、あれ」

「あ、あはは……楽しそうだね……」


 思わず苦笑いしてしまうのは、視線の先に大変まごついているニノリの姿があるからだ。

 一緒に出掛けるわけでもないのにアツキが服を選んでどうするんだ、と思わないでもなかったが、当のアツキは眼をキラキラさせながらメンズ服を広げている。

 問題はどれも小柄なニノリには少し大きそうなところだろうか。


 ともかくサイネの言うとおりそちらは放置して、ヒナトは引き出しの中身をまさぐる。

 色とりどりのブラウスやTシャツをためつすがめつ、どれがいいかなとサイネに尋ねては、合わせるボトムスによるというあまり参考にならない返事をいただいたりした。


 そりゃそうかもしれないが、もっとこうヒナトに似合うかどうかとか、そういう点の意見が欲しい。


 とりあえず好みで何枚か選んだはいいがこの部屋には鏡がない。

 仕方なく、一旦持ち出してトイレに行くことにした。そちらのほうが室内も明るいし。


 というわけで手洗い場の鏡に向かい、一枚ずつ身体に当ててみる。


 まずはレース地仕立ての白いブラウス。

 かわいらしい感じだが、ヒナトには大人しめすぎるかもしれない。

 どちらかというとタニラあたりが似合いそうだし、あと生地からして、下に何か着ないと下着が透けそうだ。


 次は薄いブルーのストライプが涼しげなノースリーブのシャツ。

 これはかなりグッとくる。

 ただ、下に合わせるパンツかスカートのイメージが上手く湧かない。


 最後に美味しそうな果物の写真がプリントされたクリーム色のTシャツ。

 袖が半透明の黄色いシフォン生地になっていて、かなりかわいい。

 果物もトロピカルというか、フレッシュな感じが夏っぽくていいんじゃないかという気がする。


「第一候補はこれかなぁ。合わせるやつにもよるけど」


 三枚のトップスを抱えて倉庫に戻る。

 まだみんなわいわいやっていて、誰もがちょっと楽しそうだ。


 そっとソーヤたちを窺ってみると、そちらではエイワが絶賛生きた着せ替え人形状態にされていた。

 ソーヤが笑っているので少しほっとする。

 どうも彼とエイワで若干好みが違うようで、あれこれ言い合っているが、それすら楽しそうだ。


 そこへタニラがかわいらしいスカートを手に現れ、ふたりに意見を求めている。

 ちょうど顔の角度が変わってしまったのでソーヤがどう答えたかはわからなかったが、とりあえずエイワがものすごく顔を綻ばせているのはよく見えた。


「ただいまー。あ、アツキちゃんおかえり」

「あれヒナちゃん。どこ行ってたの?」

「鏡が見たくてちょっとトイレまで。アツキちゃんは服決めた?」

「うん。もともと下は手持ちのがあるから上だけー。……あ、ヒナちゃんが持ってるそれ、ちょっと見せて」


 アツキはそう言って、白いブラウスを広げた。


「あらかわいい。清楚系だねえ」

「ね。でも今回はあたし、こっちのTシャツににしようかと思ってて」

「そなの? じゃあ……サイちゃん、これ着てみてよ。えっと、これだけだとまずいからー……、中にこれを合わせてどうぞ! はい!」

「何、いきなり」


 急に話を振られたサイネは、振り向いてアツキの手にするブラウスを見ると、眉間を曇らせた。


「……それを? 私が?」

「うん。サイちゃんもたまにはこういうの着てみない? そんで下もスカートにしよ?」

「動きにくいの嫌なんだけど……それに、これはちょっと、私にはさすがに……」


 珍しく言い淀んでいるが、その先はたぶん、似合わない、だろうか。

 確かにサイネのイメージとは違うよなあとヒナトも思う。

 前に見た服装もシンプルかつもっとくっきりとした色合いだったが、そちらはよく似合っていた。


 もちろん断定はしない。着てみれば意外といけるかもしれない。

 サイネだって表情がきついだけで顔立ちは整っているし、小柄で華奢だから、系統としてはかわいいタイプ……のはずだ。たぶん。


 悩んでいるサイネを見て、急にアツキがあらぬ方へすごい勢いで手招きをした。

 なんだなんだ何が始まるんだ、とぽかんとしたヒナトとは対照的に、サイネがこれまた珍しく声を荒げる。


「ちょ、呼ばなくていい!」

「ユウラくーん! 客観的なご意見をお願いしまーす!」


 ……ああそういうことか。ヒナトは一秒で納得した。


 そう広くない室内でそこそこ大きな声を出していたので、ユウラどころか騒ぎに気付いたソーヤたちまでもがこちらにやってきた。

 思わぬ事態拡大にサイネが頭を抱えている。今日は彼女の珍しい姿をたくさん見られる日らしい。


「どうした?」

「サイちゃんにこれを着てみてほしいんだけど、どう思う?」

「……」


 そしてユウラは無言で頷いた。

 のを、アツキは満足げに頷き返してから、そっとサイネをふり返ってにやりと笑った。

 サイネはそれをすごく嫌そうに睨み返している。


 これは確信犯だなとヒナトにもわかった。

 敢えて衆目を集めることで、サイネの逃げ場を奪うという恐ろしい作戦なのだ。


 なぜならユウラだけならまだしも、アツキの広げたブラウスを見て、タニラなどもにこにこしながら合わせるスカートの物色を始めてしまったからである。

 あなたたちグルなの? いつの間に打ち合わせしたの? と言いたくなるような状況だった。


「……なんでこうなるわけ……」

「はいはい、諦めて試着しましょうね~。タニちゃーん、いいスカートあったぁ?」

「私のおすすめはこれかなぁ。あとこれもよさそう」

「ありがと。うん、……両方着ましょうか!」

「勝手に決めないでよ」


 うん、めちゃくちゃ楽しそう。


 アツキは渋るサイネを着替えさせに物陰に引っ込んでしまったので、ヒナトはちょっと悩んだが、タニラに例のTシャツを見せることにした。

 まだ合わせるものが決まっていないのだ。


 タニラはシャツをまじまじと眺めてから、ちょっと待ってて、と言って女子向けボトムの引き出しをごそごそやり始めた。

 それからしばらくして彼女は二枚の提案をしてくれた。

 一つ目はデニム地のシンプルなタイトミニスカート、後者はストレッチ素材の動きやすそうなショートパンツだ。


「ど、どっちもよさげ……! これは悩んじゃう……」

「決めきれないなら他の人にも聞いてみましょ。ねえ、ふたりはどっちがいいと思う?」


 ふたり?

 まさかと思って振り向くと、まあ他に考えにくくはあったが、タニラが意見を求めたのはソーヤとエイワだった。


「あー。……そうだな、おまえよくコケるし、ズボンのがいいんじゃねえか」

「スカートも似合うじゃん。やっぱタニラはセンスいいなぁ」


 男子たちのありがたいご意見を頂戴し、若干ながらヒナトはサイネの気持ちを理解した。

 勝手に他の人の感想まで聞かされるのってちょっと恥ずかしい。


 そしてちょっと考えて、ヒナトはスカートを選んだ。

 似合うかどうか、が知りたかったのだ。

 決してソーヤの意見を軽んじたわけではないし、彼の言い分ももっともだったが、聞きたいのはそこじゃなかった。



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