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data31:生きとし生けるイミテーション

 ────,31



 何ごともなかったように、次の日の朝がくる。

 目覚ましが鳴るより早く起きてしまい、布団にくるまったまま、ヒナトはぼんやりと自室の天井を見つめていた。


 昨日一日でいろんなことがありすぎて、まだ頭の整理が追い付いていない。


 まずフーシャのこと。

 ほんの二日しか顔を合わせなかったが、彼女のことはきっとずっと忘れられない。


 そして、彼女の死を目の当たりにしたときの、コータのこと。

 小さな身体に収まりきらないほどの激しい哀惜と悲痛は、見ているこちらまで呑み込まれそうなほどだった。

 こちらもきっと、永遠に忘れることはないだろう。


 ……それから最後に、ソーヤのこと。


 今思えば昨夜のヒナトはかなりのパニック状態だった。

 初めて目の当たりにしたソアの死に衝撃を受け、感情のコントロールが効かなくなって、頭の中がソーヤのことでいっぱいになってしまった。

 彼もフーシャのように突然いなくなってしまうのではないかと思い、悲観と混乱でおかしくなっていた。


 どうすればいいのかわからないまま彼に泣きついてしまったわけだが、ソーヤは拒まなかった。

 優しく抱き締めてくれた上に、他の人に見られてのちのち気まずい思いをしないようにと、泣きじゃくるヒナトを彼の部屋に匿ってくれた。


 他のソアの自室に入る経験などあれが初めてだ。

 しかもそれがソーヤの部屋だとは、昨日までのヒナトなら思いもしなかっただろうし、正直今でも信じられない。


 なんだか夢を見ていたようだった。

 部屋中ソーヤの匂いでいっぱいの空間と、ヒナトを宥める温かな腕や手の感触を思い出すと、それだけでじんわり身体が温かくなる。

 けれど幸せな気分だけで終われそうにないのは、最後にソーヤが見せた眼のせいだろう。


 切なそうな苦しそうな眼をして、ソーヤは何を言いかけていたのか。


「……どーしよ」


 今日も彼に会うのに、ヒナトはどんな顔をすればいいのかわからなかった。

 胸がもやもやとして少し息苦しささえ感じている。


 幸い今日は早く起きられたし、今から支度をすれば朝食の時間は被らないだろう。

 ヒナトはむっくりと身体を起こして寝間着を脱ぐ。

 どのみちオフィスで顔を合わせることにはなるけれども、それまでもう少しだけでいいから、気持ちを整える猶予がほしかった。



 ・・・・・



 人影まばらな食堂はなんとなく寂しい。

 ともかくいつもどおりシュガートーストをココアで流し込み、近くに座った職員とあたりさわりのない雑談をする。

 いつもと時間が違うせいか、普段はあまり会わない顔の人だった。


 そういえばラボに聞き込みをするという任務がちっとも進んでいなかった。

 とはいえ今はとてもそんな気分にはなれないし、あとあまり時間をかけたくなかったので、ひとまず忘れることにする。


「たまには早起きの日もあるさ。まあ、もし何日も続くようだったら、医務部に相談するといいよ」

「うーん、そうします」


 もうその単語を耳にするだけで気分が悪くなるのだが。

 そんな気持ちが表情に出てしまったのか、返答が明らかに言い淀んでいたからか、職員はちょっと苦笑いしていた。


「医務部といえば、今日は忙しくなるだろうな」

「え?」

「ほら、今日はガーデンの子がひとり休眠に入るから、その前に山ほど検査をしないと。自分も今日はそっちに時間を取られそうだ」

「そっか……あの、それ、コータくんが植木鉢に入るの、何時くらいですか?」

「順調にいけば昼だね。遅くても夕方には。気になるなら顔を見においで」


 ヒナトは頷いた。

 自分が会いに行ってもコータは喜ばないだろうが、それでもやはり彼のことが気にかかったからだ。

 それにソアの休眠という一種の通過儀礼や、そのためだけに存在する『植木鉢』という機械のことも、改めて一度見ておきたい。


 少し前のヒナトならそんなこと思いもしなかった。

 毎日なんとか秘書としての仕事をこなすのに一生懸命で、それ以外のことなど考えられなかった。


 そんなこんなで朝食を終わり、早めにオフィスに行く。

 掃除でもしようと思っていたが、その前に少しばかり片づけも必要だなと、意外にものが散らかった室内を見回しながら思った。

 花瓶に挿した造花にも埃が積もっている。


 そのうちソーヤとワタリがやってきて、てきぱきと手を動かしているヒナトを見て驚いた顔をした。


「おはよう。ずいぶん早いねえ」

「あ、おはようございます。たまたま早めに起きちゃったんで、なんとな、く……」


 何気なく笑いながらそちらを向いて、ふいにソーヤと眼が合った瞬間、なぜかヒナトは息が止まってしまった。

 見えない手で喉を掴まれたような心地だった。

 もちろん実際にそんな恐ろしい事態が起きているわけではない、ただヒナトの肺や気管が突然仕事を放棄してしまったように動かない。


 ソーヤはというと、すっかりきれいになったオフィスを見て感心しているふうだった。

 そして呼吸困難に陥っているヒナトのことなど露知らない彼は、普段と同じ調子で挨拶しながら、気軽にヒナトの肩をぽんと軽く叩いた。


「はよ。たまにゃ気が利くな」


 その瞬間、ヒナトの全身からどっと汗が噴き出す。

 手にしていた箒が指から転げ落ち、床にぶつかって妙に甲高い音を立てるのを、どこか遠くのできごとのように聞いた。


 一瞬置いてから、ようやくヒナトは箒を拾う。

 そのために屈みながら、いつの間にか息がちゃんとできるようになっているのに気付いたが、代わりに今度は心臓がばんばんと痛いくらいに跳ねまわっていた。

 それをどうにか落ち着かせようと、しゃがんだまま深呼吸をする。


「……どしたの? 大丈夫?」

「だ、……だいじょぶです。あー……あああの、あたし、お花洗うついでにお茶淹れてきますね……」

「花? ああこれか。ついでに種類も変えてこいよ、季節が合わねえ」


 ソーヤが花瓶から造花を抜き取ってヒナトに放る。

 濃い赤い花びらのついたそれは、何か月か前にヒナトが資材庫で適当に選んできたものだ。

 どうせイミテーションだし、見た目が華やかでかわいいやつならなんでもいいやという考えだったので、名前も季節もよく知らない。


「アネモネは一応多年草だけどね。まあ春咲きのイメージが強いから、確かに夏っぽさは薄いかな」


 ワタリの言葉にソーヤも頷いている。

 なんでこの人たち妙に花に詳しいんだろう、別に好きそうでもないのになあ、とヒナトは小首を傾げつつオフィスをあとにした。


 その後何度かNGをくらい、最終的にヒマワリの造花を飾ることになった。




・・・・・




 昼、いつもは静かな休眠室に、今日は多くの人間が集まっている。

 今まさに休眠に入ろうとしているソアの少年と、その世話や管理に忙しいラボの職員たち、そしてそれを見届けにきたソーヤとヒナトの姿がそこにはあった。


 どうしてここに来ようと思ったのかはソーヤ自身よくわからないのだが、なんとなくヒナトひとりで行かせないほうがいい気がしたのだ。

 例によってタニラがついてこようとしたものの、エイワといるよう頼むように言ったら素直に従ってくれたが、あとはのちにまた何かの揉めごとにならないことを祈るしかない。


 そんなソーヤの思考をよそに、休眠準備は着々と進む。


 休眠用の真っ白な服に着替えたコータは、硬い表情も相まって、まるでこれから棺に入るかのようだった。

 実際、植木鉢は少しそれらしい形状をしてもいる。


 少年がその中に身を横たえたところで、急にヒナトがそちらに駆け寄った。

 あまりにも突然の行動に驚き、どういうつもりかわからなかったが、とにかくソーヤもすぐそのあとを追う。

 こういうところがあるから、彼女から目を離せない。


「秘書さんと……班長さん」


 駆け寄ったふたりを見て、初めてその存在に気付いたようすのコータが呟くように言う。

 その声は聞きとりづらいほどに小さい。


 ヒナトは彼の手を拾い上げて、さほど大きさの変わらない自分のそれで包むように握り込んだ。

 たぶん何か声をかけてやりたかったのだろう。悄然としたまま長い眠りを迎える少年に、少しでもその心を穏やかにさせられるような、そんな言葉を。

 けれどそう都合よく思い浮かぶはずもなく、ヒナトは開きかけた口を曖昧に動かしただけだった。


 ソーヤとて、彼女の代わりに何かできるわけでもない。

 ただヒナトの隣に立って、すべてを見守ってやるしかできないのだ。


「──ない……」

「え?」


 少年が何事かを囁いた。

 聞き取れなかったふたりは、顔を見合わせてから聞き返す。


 コータの苔色の瞳が、ちらりと揺れる。

 周りに犇めく機械から放たれた無数ランプの明かりを取り込んで、万華鏡のようにきらきらと輝くそれは、次第に融けて虹色の雫になった。

 白い頬を、キャンバスに筆が走るようにしてそれが一筋流れ落ちる。


「フーシャがいなくちゃ……フーシャだけ描くって決めたから……だからもう、絵が描けない……」

「コータくん」

「眼を……醒ましたく、ないよ……。

 このまま、ずっと眠ってしまえたらいいのに。そしたらフーシャがいる……フーちゃんのところに、僕も行けるよね……?」


 そのあと、少年は壊れたスピーカーのように、フーシャの名前を呼び続けた。

 どろどろに融けた眼はもう曇って何も見えていない。

 ソーヤもヒナトも他の職員も、彼の前には存在していないのと同じで、こちらの声には二度と反応しなかった。


 職員から離れるように指示があり、まだ名残惜しそうなヒナトを、ソーヤは無理やり彼女の手を開かせた。

 震えているそれを握って、植木鉢から離れる。


 職員が注射器を使って何かの薬剤をコータに投与し、横たわらせた。

 そして植木鉢の内側から伸びる幾つもの電極やチューブをコータに繋いでいく。

 休眠中に生命を維持するためのそれらは、今この状況では、彼をこの世に縛り付けるための鎖に他ならなかった。


 だが、だからといってそれを止められるはずもない。

 少年が生きる希望を失ったとしても、花園は彼の──ひいてはソアの心情など汲みはしない。


「ちゃん……フー……ちゃ……」


 少年の声は途切れていって、そのうち完全に聞き取れなくなったころ、植木鉢の蓋がゆっくりと閉じられた。


 すべてを見届け、ソーヤとヒナトは休眠室を後にする。

 言葉がないままエレベーターに乗り込み、連絡通路のある二階の行先ボタンを押して、扉が閉まっていくのを眺めた。


 ヒナトは泣いていない。泣くかと思ったが、黙り込んで俯いているだけだった。


 おもむろに手を伸ばし、彼女の頭を撫でるか肩を抱こうか考えて、しかしソーヤはどちらも選ばなかった。

 慰めたほうがいいのはわかっている。

 ただ、もし下でタニラが待っていたらと考えてしまって、結局ソーヤの手は何にも触れないまま再び垂れ下がった。


 タニラのことを気にしすぎだろうか。

 彼女の感情に縛られて、ときどきソーヤは身動きができない。


 これ以上タニラを泣かせたくない。それと同じく、ヒナトのことも放っておけない。

 それだけなのに、ソーヤは上手く立ち回れない。

 すでに己は罪人だからだ。

 重い鎖に繋ぎ留められて、どこにも行けない──コータの生命をこの世に引き留めるチューブと同じで。


 ソアはみんな、何かの罪を背負っている。

 己のそれがとくに重いだけで、誰でもみんな、大なり小なりなにかを傷つけて苦しめているように、ソーヤは思う。


 (でも、こいつは違う気がするんだよな)


 ふとヒナトを見下ろしてそう思った。

 彼女の沈んだ小さな肩についに触れることなく、エレベーターは目的地に着く。


 そして案の定、エイワを連れたタニラが心配そうな顔でエレベーターホールに佇んでいたので、ソーヤはひっそり苦笑を噛み殺さねばならなかった。



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