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data02:ココアとコーヒー、それからココア ◆

 ───,2



 ヒナトの一日は一杯のココアから始まる。


 ここ花園では、すべてのスタッフは同じ食堂のテーブルで食事をする。

 ソアたちも例外ではない。


 宿舎や浴場など生活に関する施設はすべてひとつの棟に入っていて、食堂はその二階にある。

 ちなみに一階が浴場で三階以上が宿舎だ。


 食堂だけでなく風呂もトイレもシャワー室も、基本的にすべて共用である。

 宿舎だけはなぜか個室なのだが。


 というわけで今日も食堂にはたくさんの職員が集まっている。


 朝は甘いもの、がヒナトの定番だ。

 甘ければホットミルクでもいい。

 だが、やはりココアのもたらす幸せは何ものにも代えがたい……とヒナトは思う。


 隣に座っている研究員は澄ました顔でコーヒーを飲んでいるが、べつに羨ましくもなんともない。


 コーヒーが飲めない大人だって絶対にひとりくらいいるはずだ。

 そんな苦い液体が呑めたって偉くも恰好よくもない、はずなのだ。

 だから今ヒナトがちょっと羨望の目線で研究員を眺めているように見えるのならそれは気のせいか勘違いも甚だしいってものである。


「挑戦してみれば? 砂糖とミルクたっぷり入れれば案外おいしくなるかもよ」

「それじゃ意味ないんですってば……ブラックじゃないと」

「ふうん。ま、頑張れ」


 名前もよく知らない研究員は、大人の余裕というやつを滲ませた笑みを浮かべて席を立った。

 これから研究室にこもって顕微鏡とにらめっこするらしい。


 彼のような研究員がヒナトたちソアの生みの親なのだと思うと、なんだか不思議な感じだ。

 もしかしたら今の人がお父さんだったりして。


 もちろん精子の提供者は別の人間だ。

 噂によれば、ソアたちを作るのには精子バンクや医療機関で保存されていたが、古くなって廃棄寸前になったものを利用しているらしい。


 ともかくヒナトがこれまた激甘のシュガートーストを齧ろうとすると、どこからかコーヒーの香りがした。

 誰だろうと顔を上げる前に声をかけられる。


「何がブラックじゃなきゃ意味ないんだ?」

「そりゃあだってソーヤさんが……って、うわあ本人だった!」


 振りむいたら背後にソーヤがいたので、ヒナトは驚いて、もうちょっとのところでパンを落っことしそうになった。

 が、ぎりぎりのところで堪えた。頑張った。


「よ。挨拶は?」

「お……おはようございます」

「はよ。んで、俺がどーしたって?」

「え、いやあの……」


 ソーヤの切れ長の瞳にじっと見つめられ、ヒナトはなぜか上手く喋れなくなってしまった。

 それは、その、と変に言い淀む。


 べつに何か疚しいことがあるわけではないのだから、さっさと言ってしまえばいいものを。

 どうしても、どうやっても、そこから言葉が出てこない。


「ヒナ?」


 わからない。

 自分自身がわからない。


 どうしてこんなに、……恥ずかしいのだろう。


「ソーヤさんが……いっつもブラック飲んでるから、です。


 ……あああの違いますよ真似とかじゃなくて! いい加減ちゃんと味がわかるようにならないと、美味しいコーヒー淹れられるようにならないと思ってえーとだからその、それだけっ、……それだけです!」

「え」

「毎回まずいまずい言われるのもそろそろ飽きたんです! 当然でしょ!」


 勢いだけで言いきると、肩で息をしながらシュガートーストにかぶりついた。

 もう何も訊かれたくないし何も答えたくない。


 凄まじい勢いでトーストを食べるヒナトの姿にさすがのソーヤも気圧されたのか、彼は黙ったままだった。


 もしかして呆れられてるんだろうか。

 少しだけ不安になる。


 いや、今さらだ。普段ひたすら役立たずなヒナトのことなど、もうとっくに見限られているに違いない。

 そう思い直すと今度は悲しくなってきた。


 ちょうどトーストの最後のひと欠片を口に押し込んだところで、無性に泣きたくなった。


 でもソーヤの前でだけは絶対に嫌だ。

 馬鹿にされるに決まっているし、下手をすれば今後ずっとネタにされてからかわれるだろう。


 ヒナトはぐっと堪えてココアを呷る。


「おい、ヒナ」


 そのとき急にソーヤのほうから手が伸びてきたので、ヒナトもついそちらを向いてしまった。


 同時にぽすんと頭に何かが載せられた。

 温かくて大きい手だ。


「俺がいつおまえに美味いコーヒーが飲みたいっつったよ。べつにいいよ、今のくそまずいコーヒーのままで」

「……はい?」

「そのほうがヒナらしいってことだ」


 ソーヤの言っている意味がさっぱりわからない。


 だが、怒る気にはなれなかった。

 意味はわからないなりに、どうやらヒナトを慰めてくれているらしい、ということだけは伝わったからだ。


 意外に優しい人なのかもしれない。選ぶ言葉が悪いだけで。


 でもそれを認めるのがどうしても悔しかったので、ヒナトはぷいとそっぽを向いた。

 我ながら子どもっぽいなとは思ったが、そして頭をなでられはしていたが、からかわれることはなかった。

 そのほうが余計に悔しいこともソーヤはわかっているんだろうか。


 せめて撫でながら、よしよし、って言うのをやめてほしい。

 犬かっつーの。



   挿絵(By みてみん)


・・・・・+



 軽くすったもんだしたのち、やっとヒナトの長い朝食が終わろうとしていた。


 それなのに今度はソーヤの向かいの席に銀色のトレーがつっこんできて、何ごとかとふたりが顔を上げると、そこにはもの凄い表情でヒナトを睨みつけている少女がいたのだからたまったものではない。

 これがまた美人なものだから、憤怒に震える姿は般若そのものである。


 が、コンマ一秒にして彼女は本来の麗しい微笑を取り戻し、それを余すところなくソーヤに向けた。

 ヒナトなど眼中にないと言わんばかりである。


「おはよう、ソーヤくん。今から朝ごはんなの?」

「あ、ああ……はよ、タニラ」

「おはようございますタニラさん」

「ソーヤくんは今日も会議があるんだよね。班長さん、がんばってね」


 その証拠に今も華麗に無視された。

 ちらりともヒナトを見なかった。いっそすがすがしい。


 彼女の名前はタニラ。


 二班の秘書をしていて、何度も言うがオフィスで働くソアたち──ちなみにこの階層はグラスハウスとかグリーンハウス(GH)と呼ばれている──の中でもとびぬけて容姿に恵まれている。

 清楚なロングのプラチナブロンドに、同色の長い睫毛で覆われた瞳は北の海を思わせる深く澄んだ群青色で、黙っていれば女神さまと呼びたくなるほどだ。


 ただ、ご覧のように、ヒナトに大してはなぜか敵愾心むき出しなのである。


 しかもどう考えてもその原因が思い当たらないのでヒナトは困っている。

 一体ヒナトが何をしたというのだろう。


「っと、ヒナはもう食い終ったんだろ? 先にオフィスに行ってな」

「……わ、かりました、じゃあ後で」


 そのうえソーヤはソーヤでタニラに甘いのでたちが悪い。


 仲がいいらしい。

 いちおうは美男美女だからか、一緒にいると絵になるのもなんだか癪に障る。


 ヒナトは逃げるように食卓を後にした。

 かまってなどいられない。


 背後でタニラが勝ち誇ったように笑っていることだって、振り返らずともわかっている。



・・・・・+



 嫌な気分を引きずったまま仕事をするのは嫌だったので、ヒナトはさらに甘くしたミルクたっぷりココアを作った。

 カルシウムを摂ればたぶんなんとかなる。あときちんと歯磨きをすればいい。


 ついでにソーヤとワタリの分も嫌がらせ半分に用意してやった。


 が、ワタリにはあまり効果がなかったようで美味しそうに飲んでいる。

 もっとも苦しませたところで八つ当たりでしかないが。


「たまに飲むと美味しいよね、ヒナトちゃんのココア。甘あぁいのが欲しいときはいいかも」

「ですよね! 私のココアは美味しいですよね!」

「あははお茶もこれくらい頑張ってくれると嬉しいなあ」


 ……笑顔なのに怖いのはなぜだろう。眼帯だから、ではなさそうだ。


 一方でソーヤは何も言わずに震えている。

 そんなに美味しかったのかな、そんなまさか、と都合のいい想像をしてしまうヒナトであったが、もちろんそんなことはなかった。


「ぅあめぇ……」


 見よ、この苦悶の表情を。


「ヒナてめえ俺様が甘いの苦手なこと知っててやってんだろ……まじ歯が溶ける……!」

「もう、そんなに嫌なら残していいですよう」


 ソーヤはぷるぷる震えながらも、残すのは勿体ないとか言ってココアを口に流し込む。

 そして甘さに耐えきれず呻く。

 という作業を、かれこれ五分ほど繰り返していた。


 律儀なんだか、ケチなんだか……。


 見ているのも面倒になってきたヒナトは、ソーヤを放っといて仕事にかかった。

 じつはなんだかんだできっちり仕事をしていたワタリから、処理を済ませたデータを受け取って、わかる範囲で分類して、必要があれば他の班に送る。たったそれだけ。


 いつもながらヒナトの仕事はソーヤたちのそれに比べてシンプルすぎる。

 しかもしょっちゅう足を引っ張るのだから、まさしく役立たずだ。


 (あたしって、ここにいる意味あるのかな)


 ふと思う。


 ふつうのニンゲンより優秀なはずの、アマランスの芽である自分たち。

 そのなかでヒナトは、明らかにふつうの……いや、ふつう以下の能力しかない。


 ほんとうに自分も、ソーヤたちと同じソアなんだろうか。

 もしかしたらヒナトだけ──


「ソーヤ?」


 ヒナトの思考を遮るように、オフィスに鈍い音が響いた。

 続くワタリの焦ったような声にはっとしてそちらを向く。


 うぐいす色の眼に飛び込んできた、デスクに倒れ伏すソーヤの姿。

 デスクトップの脇に転がる空のカップ。

 駆け寄ったワタリに肩を揺すられても反応はない。


 ぐったりと力なく垂れ下がった腕は、ソーヤにもう意識がないことを物語っている。


「ソ、ソーヤさん? ……ソーヤさんっ、ソーヤさぁん!」

「だめみたいだね。ヒナトちゃん、ラボに行って医務の人たちを呼んできて」

「わかりました、ソーヤさんをお願いします!」


 言うが早いかヒナトは走り出した。


 ラボは花園の主機関でありGHの上の過程だ。

 オフィスと同じ棟の、五階から上はすべてラボに属しており、用途別に開発部などのいくつかの部署にわかれている。

 そのうちのひとつが六階の医務部で、名前のとおり職員やソアの健康管理などをしている。


 一旦エレベーターの前まで行って、やっぱり階段のほうが早いと思い直す。


 向きを変えようとして転んだ。

 思い切り鼻を打った。


 鼻骨に響く鈍痛をなんとか堪えて立ち上がる。


 早く、早く医務部に行かないと。

 焦れば焦るほど足がもつれそうになってしまって、二階上の医務部がやたらに遠く感ぜられた。


 遅っせーな──脳内で先日のソーヤの言葉がフラッシュバックする。


 こんなときまで、役立たずだ。



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