data27:箱庭のこがらし
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実習生が倒れたという一報は、直接関係のない第三班にも届いていた。
もちろん情報を仕入れてきたのは耳早いことに定評のあるアツキである。
そんな彼女の関心は今、班長であるニノリに向けられている。
倒れたのはガーデンの子どもだったという話から、GH最年少のニノリは大丈夫なのか、という発想に至ったらしい。
明言は避けているが、そんなような気配が彼女の所作の端々から伝わってくる。
対するニノリは複雑そうだ。
子ども扱いされるのは当然ながら彼にとってはありがたくないので、腹を立てている。
その一方、アツキの気を引けること自体は悪い気がせず、むしろちょっと嬉しいと思ってしまう。
相反する感情を上手く処理できない末っ子班長くんは今、それゆえパンクしそうになっている。
「べつに俺はなんともないから……」
「ならいいんだけど。ねえニノりん、なんかあったら、すぐうちに言ってねえ?」
「わかってるよっ」
そんなふたりのやりとりをやや遠巻きに眺めているエイワは、ひとり違うことを考えていた。
ずっと気になっていることがある。
他でもない、第一班班長にして親友であるソーヤについてだ。
ようやく再会できたあの日からずっと、自分に対する態度がどうもおかしいように思えてならなかった。
というか、隠しごとをしているらしい。それについてはもう確信している。
なぜならソーヤは嘘を吐くとき瞬きしながら床を見る癖があるのだが、あれ以来もう会うたびに何かにつけてその奇癖を披露してくるのだ。
十年以上親友をやっていてそれくらい見抜けないエイワではない。
というかまあ、あそこまで挙動不審ならエイワでなくともわかるような気がするが。
問い詰めようかとも思ったが、エイワもGHに来てまだ不慣れなことが多いので、まだそちらに気力を割いている余裕がなかった。
覚えることが多いし、あとニノリの扱いかたにも早く慣れなければいけない。
それにソーヤには、どこか遠慮しているような気配があるのだ。
彼の性格からしてもエイワに対して無意味に嘘を重ねることは考えにくい。
何かそれなりの理由があるには違いないし、本人が白状する気になるまでは待ってやってもいいか、というのがエイワの考えだった。
だが、ここへきて新たな不安要素が耳に入った。実習生の不調問題だ。
ソアの、ひいてはアマランスという技術の欠陥についてはすでにエイワも知っている。
GHにいればなんとなく情報が入ってくるのでわかるようになる。
とくに三班にはアツキという優秀な情報収集家がいて、彼女のバックにはGHきっての研究家であるサイネがいるからだ。
それにガーデンにいたころから不穏な話は何度も見聞きした。
大人たちは隠そうとしていたようだけれども、彼らが思うより何倍も子どもは耳聡い。
病には無縁とされるソアでも倒れることはある、と知識としては知っていたが、その実例を身近なところで知った今、エイワの脳裏にひらめくのは先日の給湯室でのできごとだ。
一班の秘書、名前はたしかヒナトといったか。
彼女がエイワに言いかけていた言葉──聞きそびれたのでわからないが、ソーヤのことを何か話したがっていたのは確かだ。
び、と聞こえた気がしたのだが、まさか「病気」か?
確信はない。考えすぎかもしれないし、そもそも聞き間違いだった可能性もある。
それに、もしそうならタニラがもっと騒いでいてもよさそうな気がするが、今のところそれらしい姿は見ていない。
「……なあ、アツキ」
「うん?」
抜けているように見えて案外隙のないアツキは、もしかすると訊かれる前からこちらの言いたいことを察しているのかもしれない。
明るい声で応対しながら、どこか眼が笑っていなかった。
「もしかして前にもあったのか? こういうことが」
「こういうことって?」
「だからさ、ソアの誰かが調子悪くなったりとかって騒ぎになるような……」
「あー、そんなのしょっちゅう!」
アツキはけらけら笑って、なぜかニノリを抱きしめる。
「ちょっと前にもねー、プリン切れでニノりんが爆発しちゃって大変だったもんねえ」
「……ッその話はエイワには言うなって……!」
「あ、そだっけ、ごめんね。でもうちが言わなくたって、いつかは聞くことになっちゃうと思うよ~。
それに最近はずっといい子にしてるよねえ、えらいえらいっ」
「またそうやってガキ扱いする……」
また目に見えてニノリの機嫌が悪くなる。
これはかわされたらしいな、とエイワはひそかに溜息を吐いた。
位置も悪い。三人のデスクは横一列に並び、アツキとエイワの間にニノリがいる。
遠まわしに訊いたのもまずかったが、このうえヘソを曲げた気難し屋の班長を盾にされてしまっては、これ以上追及を続けようという気にはなれなかった。
あまり強くは出られないこちらの性格と立場を、彼女は完全に把握している。
案の定ニノリは八つ当たり気味にエイワを睨んできて、雑談は終いだと通告してきた。
とばっちりで恥を晒されたらしいことには同情しなくもないけれど、その、まるでこちらのせいで辱められたかのような眼差しは勘弁してほしい。
(……ていうかなんだよプリン切れって)
エイワの勘が正しければ、その情報は今後の秘書業務にも関わってきそうな気がするのだが。
たぶん今それを訊くのも難しいだろうな、とニノリの仏頂面を見て察したエイワは、諦めてデスクトップに向き直った。
・・・・・*
そろそろ休憩にするか、という何気ないソーヤの言葉に誰よりも過敏に反応したのはコータだった。
ソーヤは事情を知らなかったのでヒナトに説明を求めたところ、どうもフーシャの見舞いをする予定になっていたらしい。
そういうことは先に言え、と突っ込むかどうか少し考えて、後でもいいか、と思い直す。
あれからコータの前ではヒナトを叱らないように努めていた。初日に泣かせそうになったのを地味に引きずっている。
ただ、作業の進捗状況によっては休憩時間をほとんど設けない日もあるのだから、個々で要望があるようなら早めに伝えてほしいのも事実だ。
知らないことには配慮のしようがない。
……それで誰かを傷つけるような経験は、もうしたくない。
「ヒナは茶ぁ汲んでこい。医務部には俺が連れてくわ」
「あれ、てっきり僕にお声がかかるかと思ったのに。医務嫌いじゃなかったんだ?」
「……おまえな」
こんなときに喧嘩売ってくんじゃねえよ、と目線で返すと、性悪な副官はくすりと笑った。
幸い秘書と実習生には意味がわからなかったようできょとんとしている。
ともかくそわそわと落ち着かない少年とヒナトの首根っこを掴み、ソーヤはオフィスを出た。
ヒナトとは階段で別れる。エレベーターを使ってもいいが、一日オフィスに引きこもっていると運動不足になりがちなので、自分の足で向かうのもいいだろう。
医務部は六階にあるので、そこそこの運動になった。
廊下を抜け、医務部のプレートがかけられた扉の前まできたところで、隣の少年が急にぴたりと立ち止まる。
先ほどまでは急いでいたほどなのに、今は顔がこわばっていた。
「どうした?」
「……、班長は女の子を泣かせたこと、ありますか」
「なんだ急に。わりとしょっちゅうあるぜ」
まあ八割九分がヒナトで、……残り一割一分はタニラだが。
前者はまだしも、後者のことを考えると憂鬱になりそうなので、ソーヤは思考を振り切るように少年に続きを促した。
「今朝の喧嘩のことか?」
「はい。……僕も、わりとしょっちゅう、泣かせてるなって、思います。
わかんなくて……僕はいいと思って描いたのに、でも、フーシャは嫌がる……んです」
描いた、の言葉から今朝の光景を思い返す。
そういえば喧嘩の最中、コータは手に画用紙を持っていた。
ガーデンからの資料にも趣味がスケッチだとあったから、あれは彼が描いた絵だったのだろう。
「何が嫌だってのは聞いたのか?」
「フーシャは自分の顔が好きじゃないって……それをそのまま描かないでほしいって言うけど、でも、そこを変えちゃったらもうフーシャじゃない……僕が描きたいフーシャじゃない」
「なるほど、おまえがそれを譲らないんでキレて泣いてたわけか」
少年は頷いた。悔しそうに。
自分のこだわりと相手の要望が食い違ってしまっている、喧嘩の原因としてはよくある話だ。
ソーヤとヒナトだって似たようなものだろう。ソーヤの求めるレベルと、ヒナトのそれとが釣り合っていないから、何度も注意して指導することになる。
違いはお互いに妥協する気があるかどうか、くらいだろうか。
ヒナトは応えようとしてくれるし、ソーヤもあまりに彼女が辛そうなら求めすぎないように心掛けてはいる。
自分の感情だけを一方的に押し付けても、ものごとは進まない。
ましてやそれがこだわりの強いソアであるなら尚更に。
「あれからもう何時間も経ってんだ、向こうももう怒っちゃいねえだろうさ。ちゃんと腹割って話し合えよ」
「……でも……時間は……」
「気にすんな。俺らが遅れた分の業務はワタリが片づけるからな」
ソーヤがにやりと笑って言うと、コータもつられて笑みを浮かべた。
そして静かに頷いた。
ようやく扉を開け、中に入る。
適当に近くにいた職員をつかまえてフーシャの見舞いにきたことを伝えると、彼女が寝ているベッドまで案内してくれた。
歩きながら、まだ少し緊張しているらしい少年の頭を混ぜくって喝を入れる。
そうして訪ねた部屋は相も変わらず殺風景だ。前にソーヤが寝かされたのとは違う個室だが、景色はどこを切り取ってもまったく同じ。
大人用ベッドに見合わぬ小柄な少女は、シーツに消え入りそうなほど白い顔で、見舞客を出迎える。
ソーヤは息を呑んだ。
明らかに、今朝見た子どもとは別人のようにやつれていたからだ。
一方コータはそれに構わず、すぐさまベッドに駆け寄った。
子どもたちが言葉を交わすのを、意図したわけではなかったが、ソーヤは離れたところで見守る。
「フーちゃん、大丈夫? まだしんどい?」
「んーん……いっぱい寝たから……。お昼食べてないから、お腹は空いてるけど」
「食べなきゃダメだよ」
「でも点滴打ってもらったもん」
証拠のつもりか、フーシャはガーゼの貼られた腕を見せて微笑み、コータはその手を握った。
「……フーちゃん。ごめん、あの絵さ……」
「いいよ」
もしかしたら、少女は手を握り返したかったのかもしれない。
ソーヤの眼には細い指先が震えているのしか見えなかったけれど、そう思った。
「わがまま言ったの、わたしだもん。……コーちゃんが、好きって言ってくれるなら、いいよ。
ね、……また絵、描いてくれる?」
「……うん!」
それから子どもたちは、次のスケッチの案について話し合い始めた。
GHの制服を着て、オフィスを背景にしようとか、そんな話をしていたらしい。
らしい、というのは途中でソーヤは退室したからだ。
ふいに肩を軽く叩かれて、振り向いたらいつになく真面目な顔をしたリクウが立っていた。
そして声に出さずに、ちょっと来い、というジェスチャーをしてきたのだ。
廊下に出たところでリクウは立ち止まり、周囲に誰もいないのを確認してから口を開いた。
「ソーヤ、もう一回検査を受けろ。準備しておくから業務後に来い」
「……それで何かわかるのかよ」
「かもしれない。あるいは何も進まないかもしない。やってみないことにはわからん。
けど、何も手を打たずに放っておいたら」
──そのうちおまえ、死ぬぞ。
淡々とした声でリクウはそう言った。
彼の纏っている白衣の冷たい色が、ソーヤには死神の衣のように思えた。
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