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data25:まだXXXは芽吹かない?

 ────,25



 まだ顔が熱いような気がして、ヒナトは顔をぶるぶる振りながら給湯室のドアを開けた。

 そして見事、ドア枠の角へと自ら額を強かに打ちつける、というあんまりな自虐芸を開発してしまったのだった。


「いったぁ~……」


 なんでこんな無駄に痛い思いをしているのだろう。いやヒナトが挙動不審だったからだが。


 じんじんびりびりするおでこをさすりながら、誰も見てなくてよかった……と思ったのも束の間、どこかからくすくすと押し殺すような笑い声が聞こえてきた。

 え、と顔を上げると給湯室の奥に人影がある。

 ……いつの間に? ドアを開けたときはまったく気づかなかったが、初めからそこにいたのだろうか。


 茶系をベースとしているGHの制服ではなく、タイトなパンツルックに長い白衣を纏った、小柄な女の人だ。

 さっきオフィスにも顔を出した、あのメイカと呼ばれていた女性だった。


「大丈夫? けっこういい音したけど」

「だ……だいじょ、ぶです……えっと、メイカさんでしたっけ」

「ええ。あなたはGH一班の秘書さんね。えー……っと、ヒナトちゃんか。改めまして、初めまして」


 メイカは白衣のポケットから小さな手帳を出して、それを見てこちらの名前を確認したようだった。

 向こうもヒナトのことをもともと知らなかったらしい。

 そういうこともあるんだろうか。ヒナトはこれまでの経験上、ラボの職員は直接面識がなくともデータを通してこちらのことを勝手に知っているものだとばかり思っていたのだが。


 とりあえず差し出された手に応えつつ、こちらも挨拶をする。

 それにしてもなぜメイカはこんなところに。


 ちょうどその瞬間、ヒナトが浮かべた疑問に答えるように、ふわりとコーヒーの香りが漂ってきた。

 見ればすぐ傍のテーブルにまだ湯気も豊かなカップがひとつ置かれている。

 ヒナトがそれを見たのに気付き、メイカは微笑む。


「久しぶりにこっちに来たから、ちょっと懐かしくなって。私も昔ここで毎日お茶を淹れてたから」

「……え、ってことはメイカさん、ソアなんですか?」

「この恰好じゃあ言わないとわからないわよね」


 メイカは白衣の裾を指先でつまみ上げながら言った。

 その仕草のせいか、のっぺりとして愛嬌などまるでない白衣が、一瞬ワンピースかロングスカートのように見えたのが不思議だった。

 それになぜだろう、彼女の動きから目が離せない。


 なんていうのか、他のソアの女の子たちとは雰囲気が違うのだ。


 ラボの職員ではあまり女性を見ないし、いても他の男性と混じって違和感がない程度には女っ気がないような人が多数だが、メイカはなんだか全身が「女性」という物質でできている、という感じがする。

 上手く言えないのだがとにかく、とても魅力的であるのは確かだ。


 ヒナトは一生懸命考えて、これが大人の色気ってやつなのだろうか、なんて考えていた。

 思わず確認してしまうのは彼女の胸部である。

 白衣の下はシンプルな黒無地のカットソーのようだが、その控えめさが布地を押し上げる膨らみを上品に見せつつも、それなりの質量と体積をお持ちのようだった。


 ぶしつけなほど胸元を注視するヒナトに、メイカがふいに手を伸ばしてきた。

 ひんやりとした指先が、まだ熱っぽい額にそっと触れる。


「……あら、たんこぶできちゃったわね。冷やしたほうがいいわ」


 メイカは慣れたようすで冷凍庫から氷を、棚からビニール袋とタオルを取り出して、手早く氷嚢を作ってくれた。

 それをありがたく受け取ってヒナトは素直におでこを冷やす。

 このほうが痛みも和らぐような気がしたので。


 しかし片手ではお茶の準備ができない。

 やろうと思えばできるかもしれないが、絶対に何かが犠牲になってしまうという悲しい確信がヒナトにはある。

 何かって具体的にはカップとか茶葉とか。


 なのでひとまず痛みが引いたら冷やすのを中断しよう、と決めて、とりあえず椅子に座った。


 するとメイカが代わりにカップを取り出してテーブルに並べ始めたのだ。

 まさかと思っていると、誰が何を飲むの、と尋ねてきた。


「え、いいですよそんな」

「久しぶりにやらせてほしいんだけど、ダメかしら?」

「いえいえダメだなんて……むしろすっごくありがたいですっ!

 じゃ、じゃあお言葉に甘えて……ブラックコーヒーと、紅茶と、ココアと……うーんコータくんは何がいいんだろ……?」

「あらま。あなた毎回それ用意してたの? 全員ばらばら、大変だったわね」


 その言葉にヒナトは思わずくぅと涙ぐみたい気分になった。

 初めてヒナトの苦労を説明せずともわかってくれる人に出逢った気がする。ありがとうメイカさん。


 メイカはその後もてきぱきとした動きでお願いした飲みものを用意してくれている。

 この慣れっぷりは秘書経験者のそれだ。

 きっと優秀だったんだろうなあと、その小さくも頼もしい背中を見つめながらヒナトは思った。


 そして、はたと思い至る。


 前にサイネたちとアマランス疾患の話をしたときなどに耳にしたあれこれを。

 これまで花園で造られたソアたちのほとんどは死んでしまい、今のGHメンバーよりも上の世代は、リクウとその片割れだけだという話だったはずだ。


 ということはつまり、メイカの同期もリクウしか残っていないということだろう。


 メイカは給湯室にいた理由を、懐かしくなったと言っていたけれど……ここで彼女が思い出せるのは、そのほとんどが亡くなった友人たちの記憶ではないか。

 コーヒーの粉を混ぜながら、メイカはいったいどんな気持ちでいるのだろう。


「さてと。コータは大人ぶりたい子だから、カフェオレにしてあげようかな」


 ヒナトの思案とは裏腹に、楽しそうなメイカの声がする。


「そういえば、さっきのあれ、驚いたでしょ?」

「あれ、って」

「コータとフーシャの喧嘩。ガーデンでもしょっちゅうやってたんだけど、実習先でも揉めるとはねえ。

 しかも毎回ほとんど同じ内容で、本人たちはよく飽きないと思うわ、ほんと」

「えっ……てことはコータくんの絵が原因であんな喧嘩を何度もしてるんですか?」

「そう。それだけ仲良しなんだけど、巻き込まれる周りはたまんないわよね」


 ううん、そんなような愚痴、前にも聞いたような気がしなくもない。GHで。

 主に二班の班長と副官についてとか、そのあたりで。


 あっちはあっちで喧嘩の方向性がさらに理解不能だけども、究極的には仲裁の必要がないからある意味完成形なのかもしれない。

 コータとフーシャも将来そうなるんだろうか。

 いや、ならない気がする。とりあえずフーシャとサイネでは性格が違いすぎる。


 そういえばフーシャについて、ヒナトはちょっともやっとしていることがあるのだった。

 といっても悪い感情はまったくなくて、単に驚いてしまったのだけなのだが。


「フーシャちゃんって、見た目とか口調とか、ちょっと幼い感じだなって思ってたんです。でも鼻の形が気にいらないとかって……ちょっとこう、意外な悩みというか……」


 ヒナトは上手く言えずにもにゃもにゃっとした言葉になってしまったが、メイカは頷いた。


「小さくても女ってことよ。

 それにあの子はずっとコータに絵のモデルにされてたからね。他の子に比べて、自分の顔立ちや印象なんかを強く気にするようになっちゃったのも、無理もないと思う」

「コータくん、絵めちゃくちゃ上手ですもんね。やっぱりたくさん描いてたんですか?」

「毎日ね。しかも描くのはフーシャだけ。他の小さい子たちにせがまれても無視して泣かせるもんだから、私はそっちのフォローで大変よ」


 メイカは笑って言うけれど、想像したらちょっと怖い光景かもしれない。


 泣き喚く幼いソアたちに囲まれながら、それらを放って無心に絵を描き続けるコータと、彼の視線を一身に浴びているフーシャの図だ。

 しかもそれが毎日繰り広げられていたというのがまた。


 やっぱりソアって変な人が多いよなあと、氷嚢から滴ってきた水をタオルで拭きながらヒナトは溜息をついた。

 そしていくら見た目が小さかろうとソアはソア。

 コータもフーシャも、すでに変人集団の一員に変わりないのだ。


 ああ、そう考えるとヒナトって案外まともな──


「……そういうあなたはどう? 誰か気になる子がいたりするのかな?」

「んぶッ」


 用意のできた飲みものをお盆に載せながら、ふいにメイカがそんなことを尋ねてきた。

 すっかり油断していたヒナトはうっかり自分の唾でむせ、変な声を出してしまうという恥ずかしい事態になってしまう。


 咳込みながら顔を上げると、いたずらっぽい笑みを浮かべたお姉さんと眼が合った。


 わざとだ。

 絶対わざとだ。

 さっきヒナトが妄想のせいで顔を真っ赤にしてたのを、メイカもばっちり見ていたに違いない。


「い、いまッせ、ん……ぇふッ!」

「あらあら、そんなに動揺しなくてもいいのに。他の人に言ったりしないから大丈夫よ?」

「ほんとにっ、いません、から……! っへふ、ごっほ、おふッ」

「だいぶ苦しそうだけどお水飲む?」

「ください……ッ」


 うう、喉が痛い。ゆっくりと水を流し込み、沈静化するのを待つ。

 メイカは優しく背中をさすってくれて、それはちょっと気持ちが良かったのだけれど、そもそもこうなった原因を作ったのは彼女である。


 優しそうなお姉さんだと思って油断したらこのざまだ。もう何も信じられない。


 ていうかこの感じも知ってるな、とヒナトはちょっと思った。

 いつかのお出かけのとき、ユウラとのことでサイネをからかっていたアツキと、さっきのメイカが浮かべていた笑顔が似ている。


 カエルの子はカエル。大人になってもソアはソア。

 メイカも落ち着いているように見えて、やはりお騒がせ偏屈ゆるふわ集団の一員に違いないのだ。

 もう、ほんとここにいると、ヒナトってすごくまともなんじゃないかと自分でも思ってしまう。


 そんなこんなでようやく落ち着いたころ、気付けばおでこの痛みもすっかりどこかに消え失せていたので、ヒナトはそろそろオフィスに戻ることにした。


「それじゃああと五日、あの子たちをお願いね。

 もし何かようすが変だったらすぐ連絡してちょうだい。環境が変わると体調を崩しやすいから」

「わかりました」


 お盆を受け取りながらメイカを見る。残りのコーヒーを飲み終えてからガーデンに帰るという彼女はすまし顔だ。

 その顔を見ていると、別に怒っているわけではないのだが、何かやり返してやりたい気持ちがむらむらとヒナトの内に揺らめいた。

 やられっぱなしでは悔しい。


 とはいえヒナトが彼女の周りについて知っていることなどほとんどない。

 だからとりあえず、ひとつだけしか思いつかなかったので、それを投げてようすを見ることにした。


「あ、そういえばメイカさんって、リクウさんと同期なんですよね?」


 どういう反応が返ってくるか予想したわけではない。

 ただなんとなく訊いただけだ。ふたりがどんな関係だったかなんてヒナトは知らなかったのだから。


 でも、だからまさか、こんな表情(かお)をするなんて思わなかった。


「……その名前は出さないで」


 メイカは冷たい声音でそう言って、それ以上何も答えなかった。

 顔からは色が抜け落ちたように表情が消え失せ、彼女の中にあるのが怒りなのか悲しみなのか、それとも別の感情なのか、まったくわからなかった。


 そのまま互いにしばらく沈黙したあとで、早くオフィスに戻るようメイカに促されたので、ヒナトはそそくさと給湯室を後にした。



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