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data18:やどりぎの午後 ◆

 ────,18



 サイネは横目でちらりと副官を伺うと、そこで作業の手を止めた。


 午後はどうしてもけだるい空気が流れがちだ。

 食後に血液が消化器に回ってしまうのは人間でもソアでも同じなので、やはり注意力が削がれたり眠気に襲われたりする。


 ゆえにサイネ率いる第二班では、一日の業務を滞りなく終わらせるため、効率の良い昼前に一日の予定の過半数を済ませるようにしている。


 しかも今日は訳あって午前から秘書のタニラが不調なので、作業の進捗はサイネとユウラに懸かっているといっても過言ではなかった。

 班長の主任務が班員の管理であることを鑑みれば実質の主体は副官になる。


「休憩にしましょう。タニラ、コーヒー淹れてきて」

「わかった」

「あとそうだな……消毒アルコールと抗菌クロスの補充と、電池の予備もほしい。

 持ってくるのはぜんぶまとめてでいいから」

「うん……いってきます」


 指示された内容をタニラは手早くメモにまとめ、オフィスを出ていく。

 彼女が扉を閉めたのを見計らってサイネはキーボードを叩いた。


 研究所の警備システムにたった一秒で侵入できるのもどうかと思うが、どうせこんな山奥で外部から侵入されることもあるまいし、盗む価値のあるデータはそれなりに厳重に守られている。


 サイネが触ったのはオフィス棟のごく一部、この第二班事務室の監視カメラだけだ。

 重要度も低いし上も気には留めない。


 予め用意してあった数種類の動画からひとつ選び、リアルタイムの撮影データに割り込ませる。


 ──見られること自体には慣れているが、たまには被検体のプライバシーを守ったっていいだろう。

 この場合はサイネのそれではないが。


「……大丈夫?」


 サイネにしては優しい言葉をかけた。


 立ち上がり、そのまま彼の膝の上に躊躇なく腰を下ろす。


 すぐさまこちらも無遠慮な腕が伸びてきてサイネの細い身体を包んだ。

 というか羽交い絞めに近い。

 苦しいんだけど、という抗議の言葉を聞いているのかいないのか、ユウラはそのままサイネの肩口に突っ伏した。


「ったく、どいつもこいつも世話の焼ける」

「すまん」

「……悪びれる気があるんだったら先に言いなさいよ。タニラのあれは急にエイワが顔出したんだから仕方ないとしても、あんたのは朝からわかってたんでしょ」

「それはそうだが……午前にそんな暇はなかった」

「だからそれも含めて聞くって言ってんの。無理かどうか決めるのはあんたじゃない、私の仕事」


 言いながら頭を混ぜくってやると、やめろ、と気の抜けた声でユウラが呻く。


挿絵(By みてみん)


 花園に、とくにソアにはまともな精神状態の者がいないが、その中でもユウラは重度の部類だとサイネは思っている。

 ガーデン時代からそうだ。

 いつでもどこでもサイネにべったりで──「眠り」を終えて以降は人目もあるので普段は控えているが。


 要はニノリのプリンと同じ。

 ソアの多くが他人や物質に依存していて、定期的に摂取しないと動作不良に陥る。


 こちらは食品でないだけ用意の手間は省けるものの、あまりにみっともない光景になってしまうのが難点か。

 それどころか日や状況によっては密着しているだけでは足らないこともある。

 サイネとしても職員に見られたり映像に残されたくないため、監視カメラに介入したりフェイクの映像を用意するような小細工が必要になった。


 思えば花園の内部情報に侵入するようになった最初のきっかけもこれだった気がする。


「そういえばエイワの件でバタバタして言うの忘れてたけど、ガーデンから実習依頼がきた」

「ああ、そんな時期か」


 しかし思うに、ニノリがプリンを求めているのも結局は愛情の代用で、彼がほんとうに心から求めているのは違うものだろう。


「ふたりだけだって。三班は()()だからうちと一班でひとりずつ受け持つんだけど、こっちで選んでいいらしい。データもらったけど、見る?」

「あとにする」

「そうね、どのみちタニラにも見せるし、彼女が戻ってからに──」

「……ボタン外していいか」

「二個まで。それ以上は今はダメ」


 一応許可を与えながら、思ったより重症らしいとサイネは嘆息する。


 シャツのボタンが丁寧に外され、あらわにされた首許に改めてユウラが顔を埋めたが、そのとき明らかに鎖骨のあたりで硬いものが当たる感触がした。


 この行為を仮に補充と呼ぶとして、それにはいくつかの段階がある。


 もっとも軽い補充はそれこそ手を繋ぐ程度で事足りる。

 大事なのはユウラが素手でサイネの素肌に触れることで、補充量が重くなればなるほど触れる面積が広がっていき、比例して触覚以外の五感も使われるようになる。


 歯が出てくるのはそれなりに重い。

 昔それで痕が残るほど強く噛まれて、たしかアツキに気付かれる原因になった。


 もっとも、そのときサイネもかなり怒ったものだから、さすがにそれ以降はユウラも痕跡を残すような補充方法は控えている。


「……あんたのほうは? ()()()になるまで動いたんなら、何か情報入ったんじゃないの」

「入ったといえば入ったし、ないといえばないな……」

「なにそれ」

「かなり消された」


 ユウラに頼んであったのは、ヒナトがクローンらしき別人と遭遇した事件についての調査だ。


 彼女の製造過程やその目的がどういったものなのか、属するエリアはどこなのか、そしてラボ側の彼女に対する認識はどうなっているのか──それらをサイネは知りたかった。

 もっと言えば、ヒナト以外にも同じような複製が存在するのかどうかを。


 花園で製造された者なら、生まれてから今までの十数年に渡る生活の記録がどこかにあるはずだ。

 もし外部の別施設だったとしても、それがどこにある如何なる施設なのか、彼女がいつこちらに移動したのかなど、調べることはある。


 しかし手がかりになる情報がほとんどないため、調査のアプローチについてはユウラに一任していた。

 あれから次の目撃例もなく、緊急度は高くないとサイネは判断していたが、ユウラのこの状態を見るに、やや指示が足りなかった部分があることを反省したい。


 つまり、仕事中に限界がくるほど熱中しないように、と一言付け加えておくべきだった。


「一応、名目上は増えすぎたデータの整理と圧縮ということにされていたが……素材室もガーデンの発芽記録も直近十年分しか残っていない。

 わざわざ建前があるのが胡散臭いな。俺たちが探ってくるのはもう前提になっているらしい」

「まあリクウあたりは知ってるでしょうね。自分も()()()()みたいだし」

「それといわゆる『幻の十一階』」

「懐かしい」


 言いながらユウラの頭を今度は優しく撫でる。

 サイネのしなやかな髪と比べ、彼のそれは柔らかくて繊細な指触りをしている。


 幻の十一階というのは、かつてソアたちの中でまことしやかに囁かれていた噂のことだ。


 花園研究所はラボとGHが入るオフィス棟と、ガーデンや宿舎を包括する生活棟のふたつの建物からなる。

 オフィス棟は十階建て、生活棟は十一階建てになっているが、前者もほんとうは十一階まであって、それが何らかの理由で封鎖されているのではないか──と誰かが言い出した。

 理由はいたって単純で、外から見たときにふたつの建物がほとんど同じ高さであるから、というものだった。


 もちろんラボを抱えるオフィス棟は、研究のための大きな機械を収容するために生活棟よりも天井が高く造られている部屋がいくつもある。

 それで一階分の差が縮まって視覚的には同じ階数に見えるだけだという反論は当然なされた。


 それに5階層からなるラボに属するエリアの上には、用途が決まっておらず物置と化した十階がある。

 空き部屋の上にもう一階あるのは不自然だという意見、また、仮に十一階があったとしてもそれが封鎖された理由が特定できないというので、いつしか幻の十一階言説は下火になった。


 サイネとしてもずいぶん久しぶりに聞いたと思う。

 盛り上がっていたのはGHに上がって最初のうちだけだから、もう二年は前になるか。


「で、その十一階とクローンヒナトの関係は?」

「正確なところはわからんが、そいつが隠れている可能性が出てきた。

 少なくとも生活棟の管理情報からは、空き部屋の不正利用らしい痕跡は見つからないし、ラボはそれ以上に活動状況がはっきりしてる。一応、フェイクの可能性も含めてだ」

「そう。……となると次の手は十階のガサ入れ? 他の十一階に入れそうな場所は……ガーデンはないとして」

「地下墓地くらいか。可能性は低いが」


 ユウラの使っていたモニタを借りて、花園の見取り図を眺めながらサイネは考える。


 生活棟の十階から十一階はそれぞれガーデンの領域で、上が寝泊まりさせる生活空間であり、下が運動や勉強などをさせる活動空間だ。


 『幻の十一階』があるとしたら、このガーデンの十一階がオフィス棟の十階に次いで近い場所にあるが、ここに二棟を繋ぐ連絡通路がないことは外観で証明されている。


 もちろんオフィス棟のエレベーターの行先指定は十階までしかない。

 プログラムで誤魔化せるタッチパネル式ではなく物理ボタンのうえ、隠されたボタンも見つからなかった。


 そしてユウラの言う地下墓地というのは、二つの建物のどちらにも跨っている、花園研究所そのものの地下に広がる空間のことである。

 公式には単に地下としか呼ばれないのだが、そこには死亡したソアの遺体が保管されているので墓地と俗称されるのだ。


 その地下墓地から十一階に直通のエレベーターなどがあれば、という話なのだが、それだと設置するのに大がかりな工事が必要になる。

 どこからも情報が漏れていない以上、存在する可能性は低いだろう。


 そもそも十一階が存在するのなら、それが封鎖されたのはいつなのか。

 現在の花園にはその痕跡が残されていないが、データだけでなく通路なども完全に隠したとすれば、それなりの時間と手間がかかっている。

 少なくとも十年以上は前になると考えられるだろう。


「……」


 こうしてサイネに抱き着いている変態じみた男ではあるが、ユウラのソアとしての頭脳と調査能力に関しては、サイネも疑ってはいない。


 その彼が調べうるデータから不可能を除外して出した結論が「回答は未知にあり」というなら、サイネはその未知を信じてもいいと思っている。

 それに今後新たな可能性や、あるいは今までの調査における抜けや漏れが見つかったのなら、ユウラは正直にサイネに報告するだろう。


 ユウラは絶対にサイネを裏切らないし失望させない。だから触ることを許している。


「ひと階まるっと捜索するならまとまった時間がいるし、タニラは巻き込みたくないんだけど……次の外出はもう予定入れてるしな……」

「俺はずらしてもいいぞ」

「ひとりじゃ効率悪いからダメ。んー……あ、()()午前業務って手があるか。前もっていっぱい()()させてあげるから」

「……それは今夜とは別の機会なんだろうな。まとめては勘弁してくれ」

「私の負担も考えてくれない? ……って言いたいとこだけど、どのみち明日はもうフル業務なの決まってるから安心して。ていうかやっぱり夜も要るのね」

「よかった……最近は少なすぎるんだ、忙しいし邪魔も多いし、頭がおかしくなりそうだ」

「もうとっくにおかしいでしょ。……疲れすぎ」


 もっともそれは言い換えれば、サイネが働かせすぎたということだ。

 班長としてもパートナーとしても。

 だからサイネは責任をとらなければいけないし、求めに応じてやることも当然の義務だと理解している。


 べつに拒否したいとも思わないが。

 嫌だったら、初めからこんな関係には甘んじていない。


「……そうだ。ひとつ提案があるんだが」

「なに?」

「クローン問題の仮説組みに、改めて植木鉢周りをはっきりさせておきたい。

 あそこがきな臭いのは今に始まったことじゃないが……なんにしろシステムデータだけでは手落ちだ。わざとか知らんが枠組みが古いまま運用されてるからな」

「ああ。ならアツキに調べてもらいましょう、そういうの得意分野だろうし……。


 ところでそろそろタニラが戻ってくるから、あんたの個人休憩は終わり。離して」

「……今どこだ」

「もうエレベーターに乗った。ほら、カメラも戻すから」


 ユウラが名残惜しそうに拘束を解いたのと同時に、PCの画面に表示された監視カメラの映像の中で、タニラがエレベーターを降りたのが見えた。



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