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data10:“鏡よ鏡、あなたはだあれ”

 ────,10



 外出スケジュールはすでにきっちりと組み立てられているが、これは考えるまでもなくサイネの仕事であったことだろう。

 右も左もわからないヒナトとしてはありがたい限りである。


 ともかく今度は女の子向けのファッションやら雑貨やらを見て回った。

 そのついでに見かけた、なにやらカラフルな外装のカフェとかいう店も激しく気になった。

 が、基本的に研究所の外では飲食禁止となっているソアたちは、店外まで溢れている香りを享受するのが関の山だ。


 いざとなったら給湯室でお菓子作ろうよ、というアツキの言葉がやたら頼もしく聞こえる。


 しかし材料はどうやって用意するのだろうか。

 直接飲食せずとも生ものは「お小遣いで買ってはいけないもの」に含まれるので、プリンなどと同じく職員さんに買ってきてもらわねばならない。


 まあそれは置いておいても、初外出はとても楽しかった。


 二時間で吟味するのは難しかったが、かなり悩みながらもヒナトは一着だけスカートを手に入れ、次回のお出かけに備えることにした。

 上に着るものはまたサイネかアツキに借りることになるけれど、それもまた楽しみのひとつと言えるだろう。


 それにソーヤやワタリに起きた日を尋ねるというミッションも増えた。


 それもできるだけ何気ない感じで訊くのよ、とはアツキの言だ。

 プレゼントは予想されないタイミングで渡すのがいちばん相手も喜ぶし、渡す側もわくわくするんだそうだ。

 たしかにヒナトも想像するとにやにやしそうになる。


 しかし、そんな弾む気持ちの裏側に、まだ燻っているものもあった。


 件のネクタイピンの店で感じていたヒナトのもやもやは、花園に帰る段階にいたってもまだ晴れなかった。

 そもそも、何についてもやっとしているのかさえ、このときのヒナトは理解していなかった。


 ただ、この感じはどうも、前にも──そう、いつかタニラと話したとき感じた変な感じと、よく似ているようだということだけは、どうにか気づくことができたのだけれど。



・・・・・+



 外出から戻ったソアたちは『洗浄』を受ける。


 それはもちろんヒナトも例外ではなく、サイネたちに借りた服もろとも衣服の一切を洗濯スペースに預け、素っ裸になって専用エリアに入った。


 ここは例えるなら巨大な風呂か洗濯機という感じで、箱型の装置の中に入ると四方八方から洗浄液が注入され、数分間その中で過ごさなくてはならない。


 外出こそ初めてだったヒナトだが、洗浄は慣れっこだった。

 ソアは毎日のお風呂に加え、だいたい月一くらいの頻度で洗浄しているので、これまでの人生で数え切れない回数くまなく除菌されまくっている。


 ……といいつつもヒナトはじつはこの洗浄という時間をひそかに苦手としているのだが。


 だって液は独特の臭いがするし、装置いっぱいにまで注ぎ込まれるので息が苦しい。

 専用の特殊液なので潜ったままでも呼吸は可能なのだが、飲み込んでいるようなその感覚がどうも不快だし味がしないのもまた変な感じだし、あとやっぱり臭いが好きになれない。


 そんなわけで全身しっかりと雑菌を洗い落とされたヒナトだが、その気分は楽しかった外出の思い出まで忘れそうなほど損なわれてしまっていた。


 とりあえず美味しいココアを作って回復しよう。

 そんな決意を胸に、職員さんから渡された滅菌済みの室内着に着替える。


 外出着やバッグ等も一端回収され、後日クリーニングを通ってから戻るので、手ぶらになったヒナトはそのまま自室に帰らず食堂に寄った。

 そうして普段よりもミルク増量ぎみで用意したほかほかココアを手に部屋へ。


 ふと気づいたのだが、こうやって自分のココアだけを持っているときは、意外と躓いたりこぼしたりしたことがない気がする。


 考えたところそれは緊張しないからだ、という結論に至った。

 だって誰にも急かされてないし、カップひとつならお盆はいらないし、味も保証されている。


 もしかして、もう少し普段から落ち着いて行動できるようになればミスも減るのでは。


「んでも緊張する原因って約一名なんだけどなぁ……」


 某班長さんがやたらヒナトをいじってくるのが八割くらいいけないと思うんだ、ヒナトとしては。


 なんて思っても絶対本人には言えないのだけれども。

 というかむしろ、ヒナトのほうが、勝手に不必要に意識している部分も残り二割くらいはある、気がしなくもない。


 なんともいえない気分になりながら扉に手をかける。


 そして、あれ、と思った。

 ここですんなり開くのはおかしかった。

 いつもならそれでいいのだが。


 花園の中をうろうろするぐらいならともかく、外出するとなればさすがにヒナトも鍵くらいかけたはずなのだ。

 しかもソアの部屋の鍵は生体認証だから、ラボのほうでシステムを書きかえるとか大掛かりなことをしない限り、ヒナト以外にこのドアを開けられる人間はいない。


 そりゃあ困ることなどないのだが、施錠を忘れるとは迂闊だった。

 脳内でタニラの亡霊に罵られている幻聴さえする……くそう。言い返せなくてつらい。


 とか、そんな呑気でいられたのはその一瞬までだった。


 ──誰かいる。


 照明もなく、カーテンの隙間から漏れ入る夕日のほかに光源のない薄暗い室内に、人間の形をしたものがいる。

 それもどこかで見たようなシルエットだった。


「だ、だ、誰ですか!」


 怖かったけれどとにかく声をかけた。

 もしかしたら他のソアの誰かが部屋を間違えたのかもしれない。


 いやさすがにドジと失態の星の下に生まれたヒナトですら、過去一度もそんな大ボケをかましたことはないのだが、可能性はゼロではない。

 むしろそうであってくれないと怖すぎる。


 だって、なぜ電気もつけずに暗闇の中で突っ立っているのだ? ヒナトの部屋で何をしている?


 ともかく相手の顔を見るため手探りで照明のスイッチを押す。

 ぱっと室内は明るく照らし出され、そこにはグリーンハウスの制服らしいものを着た、女の子の後姿があった。

 やはりどこかで見覚えのあるような、しかしまったく知らないソアの誰か……。


 そして彼女は、ゆっくりとヒナトに振り向いた。


「……ひえっ」


 ヒナトの喉がぶるりと震えて、そんなような声が出た、と思う。

 よく覚えていない。


 そこに立っているのは紛れもないヒナトだった。


 あ、あまりにも意味がわからない状況なのであえてもう一度言うが、そこに等身大の鏡でも置いてあるかのように、ヒナトに対面する"もうひとりのヒナト"の存在があったのだ。

 しかもその顔はなんだか、すごく怒っているように見えた。


 手にしていたカップを取りこぼさなかったのは奇跡だろう。

 震える手でなんとかカップをテーブルに置いて、ヒナトは改めてこわごわと相手を眺めた。


 ほんとうに同じだ。

 髪の色と長さ、肩の上での跳ねかたや毛先についた癖も。

 眼や肌の色、身長や肩幅、脚の太さ、制服からまったく窺えない胸の大きさに至るまで、何もかもすべてヒナトをそのままコピーしたみたいにそっくりだ。


「あ、あたし……なの……?」

「そうよ、あたしはあなたと同じもの」

「……ぎゃああ喋った!」


 その声もぞっとするくらいヒナトのそれとそっくりだった。


 しいて違うのはただ一箇所。

 何もかもダメダメであると悲しくも自負するヒナトがたったひとつだけ、これだけは人並みかそれ以上と誇っている、愛想というものが彼女からは感ぜられない。


 彼女の声は硬く冷たくて、けれど激しい感情が滲んでいて、それを向ける相手──ヒナトを押し潰そうとしている。


 情緒に鈍いヒナトもその悪意だけは察することができた。

 彼女はこの攻撃的な眼差しと声音とで、こちらを害そうとしているのだと。

 ヒナトに対して敵意を抱いているのだと。


「同じだけど、ぜんぜん違う……ねえ、あたしと替わってよ」

「か、替わるって何を……」

「あなたの代わりに、あたしが第一班の秘書になる」

「──っ」


 彼女はヒナトとそっくりな声で、ヒナトなら絶対に言わないことを言う。


「どうせ役立たずなんでしょう?」


 刹那、頭が真っ白になった。

 全身の感覚がなくなった。


 それはヒナトがもっともよく自覚している、そして、もっとも指摘されたくないこと。


 さすがに班の男子ふたりもそれほど直接的な言葉をかけてきたことはない。

 あの情け容赦ないタニラの嫌味でさえもう少し遠回しな表現だったように思う。


 何よりこの少女の外見が外見だっただけに、まるで自分自身に言われているような気がした。


 役立たず──以前ソーヤが倒れたとき、ヒナトは確かにそう感じた。

 いつも胸の中では思ってはいることだった。


 そして、最も傷つくとわかっているからこそ、決して口には出さないようにしている言葉でもあった。


「あ、あなた、だ、だれ、誰なの」


 声が震える。

 一音搾り出すたび、がちがちと歯がぶつかる。


「絶対だめ、ひ、秘書のしご、とは、……ぜ、ったいに、譲らないっ!」


 恐ろしかったが、ほとんど涙声になりながら、ヒナトはぶんぶんと首を振って拒否した。


 たとえ誰より仕事ができなくても、ヒナトは誇りを持ってソーヤの秘書をやっている。

 自分にだってこの立場を奪われるのは耐えられない。


 タニラに罵倒されるのとはまた異なった悔しさがあった、というか、どうして見ず知らずのそっくりさんなんかに否定されなくちゃならないのだ。


 彼女は表情を変えない。

 ヒナトの問いにも答えるようすはない。

 そのまましばらく無言の睨みあいが続いた。


 やがて彼女は何かぽつりと呟いたかと思うと、そのままヒナトを押しのけて部屋を出て行った。

 思いきり肩をぶつけていったので痛かった。


 乱暴にドアを閉める音と、それからがちゃんと金属をぶつけるような音がして、そのあとにはただ静寂とココアの香りだけが残った。


 なんだか妙に肌寒い。

 そして、すごく疲れた。


 体感的には小一時間も対峙していた気がしたのだが、カップから湯気が立っているところを見るとほんの数秒のことだったらしい。


 な、


「なんなのあれ……」


 とたんに気が抜けて、ヒナトはその場にずるずるとへたり込んだ。


 夢でも見ていたのかと思ってそっと掌をつねってみたが、やみくもに痛いだけだった。

 しかもちょっとドアのところまで戻ってみると、鍵がかかっていた。

 ヒナトにしか操作できないはずの扉に。


 やっぱりちゃんと施錠していたんだ、出かける前に。


 それに、それにさっき、ヒナトそっくりの女の子が出ていく直前に呟いた言葉は。


『乗っ取ってやる』


 たしかに、そう聞こえた。


 思い返したら今度は完全に涙が出てきた。

 ……なにがなんだかわからないけれど、とにかく怖い。気持ち悪い。


 彼女はなんなのだろう。


 ソアは性質上、きょうだいも親戚も存在しない。

 ソアにクローンを作るという話も聞いたことがない。


 もし仮にそういう実験が行われているとしたら、そのソアはかなり優秀なはずだ。

 ヒナトのようなちょっと規格落ちの疑わしいソアを複製する意味はない。

 さすがにヒナトもそれくらいはわかる。


 それにあの女の子はどうみてもヒナトと同じくらいの歳だから、あとから作ったクローンじゃあない。


 では、じゃあ、何だ? 何者なのだ? 何のために作られたのだ?

 なぜヒナトを憎んでいるのだ?

 なぜヒナトの場所を奪おうとするのだ?


 ……乗っ取る、というのは、いつ、どこで、どんな形で行われるのだろう。


 考えても考えても答えが見えず、身体が震えて止まらない。


 落ち着こうとココアを口に含んでみたけれど、どんなにあったかくて甘いココアであっても、万能の魔法にはならないことをヒナトは初めて思い知った。

 なぜならその夜のココアは、砂のような味がした。



・・・・・+



 それから暗くなり、さらに夜が明けても、ヒナトの恐怖と不安は治まるどころか募るばかりで、普段の快眠もどこへやらの寝不足に陥った。


 当然その状況でいろんなことがうまくいくはずもなく、とはいえミスをするのはいつものこと。

 不出来なヒナトにあまりにも慣れていたソーヤとワタリは、もともとの性格も手伝って、秘書の彼女らしからぬ精神不調にはすぐに気づけなかった。


 どうも変だな、と思ったときにはすでに昼休みの放送が流れ始めている。


 さすがに同じオフィスの仲間といっても、食事の時間くらいはそれぞれ好きに過ごすようにしていたので、のろのろと出ていくヒナトを引き止めるわけにもいかず。

 いや、こういうときくらい平生の図々しさを発揮するべきなのはソーヤだったのに、こうして明らかに落ち込んだヒナトを見るのは彼としても稀なことだったので、なんとなくそのまま見送ってしまったのだった。


 ワタリはワタリで「責任は上司たるソーヤがとればいいや」という精神でいたために事態を見逃す流れとなったのであった。


 それもある意味では日頃そういう方針でオフィスを運営しているソーヤに責任があるといえる。

 ワンマン班長も考えものである。


「なんか変だったね、ヒナトちゃん」

「そう思ったんならちょっと聞くとかしてやれよ」

「え、それはソーヤの仕事でしょ? ていうか原因ソーヤじゃないの」

「俺は何もしてねーよ」


 ソーヤは毅然として答えるが、ワタリは信用していなさげな視線を彼に送る。

 普段が普段だけに致しかたないことである。

 過去彼はいったい何度秘書を泣かせただろうか。


 むろん理不尽なことを言ったり暴力を振るったりはしない。それは花園男児の行いではない。


 ただちょっとコメントを辛口にしたりして反応を楽しんでいるだけだ、というとなんだか鬼畜の所業のように聞こえてしまうが、ソーヤとしてはそれも心外である。

 それは悪気があってのことではなく、ちょっと成果の足りないヒナトを鍛えようという彼なりの気遣いだ。

 少なくともソーヤはそのつもりなのだ。


「……その、あれだ。昨日ヒナも外出てたし、何かあったとしたらそっちじゃねえか」

「ふーん……外ってそんな恐ろしいとこなんだ」


 副官の返事がいろんな意味で怖い。


 それはともかく午後はどうしたものかと腕を組んだソーヤだったが、悩む暇もなくタニラが迎えにきたので、考えるのは昼食後にすることにした。



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