人生の霜月
もうすぐ、11月所謂霜月がやってくる。
父の位牌にこの文字がある。
やはり11月に逝ってしまったからなのでしょう。
その年は平成11年11月11日と11が何と凄いことになってた年。
私は郵便局でその記念切手を買い求めて、それを父に見せたくなり、その足で実家に向かった。
いつも通りに玄関から入っていけば良かった、それは後に後悔する事だったが、イタズラ好きな私は庭から家の中の様子を伺った。
偶然にもその窓から父の姿を見つけた。
声をかけようとして、それができなかった。
何故なら父は不機嫌そうな顔をしていて、立ち上がっていた。
そんな時の父に今思うと何で手でも振ってこっちを見て貰えば良かっただけなのに出来なかったのか、本当に不思議というかこれも運命なのかもしれない。
私はそこを後にして家に帰った、それが父の最期の姿という事も知らずに。
そしてそれから4日後の夜中に東京から箱根の麓まで二往復するとは思わなかった。
世間では2000年は来ないというか、何かの予言で今世紀終末説が流れている時代、そんな流言に戸惑う人も多々あり、私も信じなかったが、全然普通には出来なかった。
これも今思うと本当に腹正しい、こんな情報化の時代が今の世の中になっている。
それは、携帯一つで様々な情報が得られる便利さの上に、ある意味恐ろしい嘘の事実を真実だと見せる事が出来た前触れの様だった。
現在では、人は少し賢くなり、勿論この私も嘘と真実を見分けないと、飲み込まれる怖さも知って心を強く、そしてもっと賢くならねばと日々精進している。
そして年月も経ち、その平成11年から令和という年号になり、22年と数ヶ月後に母が漸く逝った。迷惑は全然かけてないと思う。
彼女はマイペースで人生を生ききった。
それは、羨ましい限りです、私もああなりたいが、人それぞれなので、きっと違うだろう。
最初の一年は腑抜けた様に、もしかしたら父の後を追うかもと思ってたら、彼女は強かった。
叔母達と私とで四国八十八か所巡りと100観音巡りをしたら、すっかり元の母に戻ってた。
私は四国に行くのが少し早かったのではと思ったが、今ではあの若さのうちに行って良かったと感じた。それは足腰の事情問題にある。
やはり、何しろ各寺は100段超える階段があり、これにはエスカレーターなんかないのである。
一番きついと思ったのが、四国の金比羅さん、700段以上はある階段を一気に登り、とても若く無いと無理だと思った。
私はその母との支えあいを終えた後、父の縛りから解き放された様に演劇の道に進んだ。
勿論、学生演劇しか学んで無い私が舞台に立つ、これは人生の夢だった。
父の勘当するという言葉でハタチで夢破れた演劇、しかし救う神がいた。40歳以上でも良いとの募集要項に飛びついた。
その劇団も無事合格した。
そして舞台の大変さも面白さも知り幸福感で満たされたが、それも束の間の事であった。
その演劇をやる前に、シナリオを学んでいて、その帰り電車で急な体調不良に遭遇した。
それが舞台本番に起こり、楽屋の片隅で身体を床に寝かせて本番まで待つ始末、私の上を演劇仲間が通り過ぎる度に大丈夫と言ってくれた、その心中は情けなさで一杯だった。
この状況は病院でも不明な病気であった為、長く放置した、そしてその後パニック障害的になってしまい、出かける度に各駅にお世話になった、特に深く潜る地下鉄の駅が多かったし、その上急行電車は乗れなかった。
当時は視力障害の主人について西武新宿線の急行に乗らないといけなかった、しかし大切な入所式典に彼は喘息で緊急入院してしまったので代わりに参加する為に一人で出席したのだ。
その時期が春だった。
駅からその場所に一本の大きな桜の木が路上に風が吹く度にこちらに桜吹雪が舞い踊るのを見て出席した。
式の途中で、涙が止まらなかった。何で泣くのか、何が悲しいのかも分からない、でも涙が止まらなかった、こんな経験も後にも先にも初めだった。
今思うと、心の不安定が強かったのかもしれないと思う。
今でも薬を飲んで外出する、医療は進歩して父が逝った時代より医学が進んだ、それはきっと薬等が良きものが発見開発されたに違いない。それは私の症状が薬を飲む事で治まるからだ。
もうすぐ、霜月がくる。
父が逝き、母が逝きそして私もいずれ二人の墓に入る時が段々と迫ってる。
最期までその事は考えないのが普通だろう。その日が分かるなら何と幸せな事。
私がもし父との最期の日がわかってたら、あの時窓を開けて、記念切手を見せて、こんな面白いの見て、見て!とそんな笑いながらの思い出も一つ加わったかもしれない。
本当は、その場面をやりたかったのだろう。
その数日後父の逝ってしまった父母の寝室に母と一緒に寝た時大泣きした。
母は何も言わずに側にいた。
沢山泣いて父との全てをお別れしたのだ。だからもう何も後悔していない。
残る気持ちは、父は厳しい人だがとても優しい子を思う人だという事。後から様々な方から父がどんなに人の助けをしてきたかを知った、それは子にとって真の誇りであった。
私にはそんな偉大な事は出来ない、やはりあの人だから出来るのだ。
今年は夏に37度超えが続いて、きっと秋が美しいだろう、11月の素敵な秋を見たいと思う。
不思議な事にあの年は銀杏が落ちてこなくて、その夜犬の散歩に小雨の中行った時、銀杏の木の下にいると、宮沢賢治の銀杏の物語の様にいっせいにギンナンの実が落ちてきた。
それは丁度父の逝った時と同時だった、その事は本当に不思議な現象であり、生き物は全て同じなのかと思った位だ。
勿論いつものように銀杏の実を拾って帰り、後に父の位牌の前にもその実を置いた。
きっと生きてたら焼いて美味しそうに食べる姿を思い浮かべながら。
これから夏が過ぎて、厳しい寒さが来るだろう。その時如何に過ごしたかもあまり覚えてないが、私は冬が好きだ。
スキー、スケート、ウインタースポーツは全てやってきた。
その為に北国に行きそこで少しの間暮らしてきた。
北海道の寒さと樹氷の蔵王だけは暮らせないと思ったが、春スキーで訪れた白馬の八方は年末から正月明けまで3週間、宿先で皿洗いが宿賃で、スキーと戯れた。
夏に行った時は高山植物を孫と写真を撮りながら過ごした。
今年の秋はどんな秋だろう。




