一品目・味噌汁
葬儀が終わって、家の中はしんと静まりかえっている。少人数での簡素な葬儀だったので、片付けも割と早く済んだ。
小さな骨壺は、家の中の和室のすみにちょこんと置かれている。まだ少し線香の匂いがした。
あ、僕は黛 拓海。17歳の高校2年生。
ちなみにこの葬儀は誰のかっていうと、僕の母親である。死因は脳梗塞。僕が高校から帰った時には母親は倒れていて、すぐ救急車を呼んだんだけど、病院に着く前にも、もうダメだなと救急車の人が言っていた。
母親の親戚やら、僕の知らない親族が色々段取りをしてくれたので、僕自身は何もしていない。ただ、その親戚同士が話してるのがちらっと聞こえたんだけど、
「寝たきりでずっと生きてるよりは、マシだったかもな〜」
あぁ、そうか。もし寝たきりで、僕が面倒を見ることになったとしたら。病院でお世話になるとしても、ものすごいお金がいる。家で世話をするとしても、とても僕の手には負えない。というか、僕自身の生活もままならないのに。
冷たいようだけども、もちろん母親が急にいなくなって、すごく悲しいんだけど、今はなんか真っ白な状態だから、素直に言うと、悲しみ自体がわいてこないような感じ。だから、その親戚の言葉も、普通にあぁそうかも、と僕も思った。
父親は?と思うかもしれない。
父親は僕が物心つく前に消えたらしい。離婚?蒸発?死亡?神隠し?色んなハテナマークが飛び交うけど、ようはいないっていうこと。
2人きりで暮らしていた、2DKの古い団地で、僕はひとりになった。
ぐぅ…
この小動物の寝息みたいな音は、僕のお腹の音だ。
お腹空いたな…。
3ドアの冷蔵庫の冷蔵室を開けると、タッパが2つ入っていた。中身は、小松菜とニンジンと薄揚げのおひたしと、もうひとつはレンコンとゴボウとこんにゃくとニンジンの煮物だった。煮物の料理名、なんて言ってたっけ…忘れた。美味いってことしか知らない。
下の段の冷凍室には、冷凍したごはんが小分けされて3つはいっていた。自慢じゃないが、僕は生まれてから1度も、料理をしたことがない。母親が全部作ってくれたからだ。家庭科の授業の料理を作る時も、僕は食材を運んだり、片付けたりと、裏方の仕事をしていたので、まず料理の知識がない。
電子レンジは使える!ボタンを押すだけだからだ。
冷凍ごはんをレンジにいれて、レンジの冷凍ごはんのボタンを押す。これは母親に教わったのだ、冷凍ごはんをチンする時はこのボタンだと。おひたしと煮物は温かいより冷たいほうが美味い。
んー…汁物が欲しいな。
インスタントのお湯を注ぐだけの味噌汁かスープを探したが、ない。どこにもない。昔から、そういうインスタントものとか、スーパーの惣菜も嫌いだったよな、確か…
僕もマザコンではないんだけど、外食とか、買ってきたものより、母親の料理が1番美味しいと思う。
だから、たまに外で食べても、味が濃かったり、辛かったり、なんというか…あまり美味しくなかった。
さっき冷蔵庫をみた時に、野菜がちょこちょこと、味噌もあった。味噌汁くらい作れるかな…
◇◇◇
15分後。
片手鍋の中に、カレーにいれるようなカタマリのニンジンと、ぐちゃぐちゃになった豆腐。あと、味噌が溶け切ってないような状態の味噌汁ができた。
おたまですくって少し冷ましてから飲んでみる…
まずっ…!飲めたもんじゃない。
当分はインスタントかな…
『あ〜あぁ〜…その鍋の中身は新しい料理なん??』
え?
なにこの声。
『味噌汁くらい作れなかったら、いいお婿さんになれへんよ〜』
聞き覚えのある声なんだけど…と後ろを振り返ると。
「母ちゃんっ!!」
先ほど葬儀が終わったばかりなはずの、母親が。正確に言うと、うっすら半透明の母親がそこにいた。
『あんたのこんな姿見とったら、死んでも死にきれへんわぁ〜。ゆっくり休みたかったんやけどなぁ〜』
なんだか死んだとは思えないくらいあっけらかんとしている。
「え、え。母ちゃん死んだんとちゃうん?なんか僕に怨みあるとかそんなやつ!?」
半透明の母親がふぅ〜っと溜め息をつく。
『タクちゃん、母ちゃんのご飯、好きやったやろ?それが食べれなくなったら、悲しくて倒れてしまうんちゃうかなと思ったんよ』
どんな心残りだ。
「え、そりゃ料理全然できへんし、大変やけど…母ちゃんご飯作ってくれるん?」
『何を甘えとん!ていうか母ちゃん幽霊やからモノには触られへんわ。まぁ作り方教えたげるくらいはできるやろ』
マジか…自分でしないとダメなのは大変だけど、それは少し助かるかも。
「このぐちゃぐちゃの味噌汁どうしよ…」
『ん〜、味噌はまだ使えるし、ニンジンはもう少し小さく切らないとあかんけど使える。豆腐はぐちゃぐちゃやから、まぁすくってボウルにいれてラップしとこ。また白和えとかに使えるわ』
ニンジンは縦にして、1センチ幅くらいに切り、そのあとスライスしていく。短冊切りというらしい。
『包丁使う時は食材押さえる手は猫の手やで!にゃー、て言うてみ!』
「にゃー!え、これって鳴き声言う必要あるん?」
『ないに決まってるやん。でもそう言うてたら、忘れへんやろ』
完全に遊ばれてる気がする…
で、別の鍋に水を入れ、火にかけ、台所の引き出しにあった、ほんだしを袋の三分の一くらい入れる。ダシがないと味は全然違うらしい。
『あとはな、最初のほうはガンガン火ぃ強くしとってもいいから、ニンジンだけやと味気ないから、その引き出しの中に乾燥ワカメあるからそれ使い〜』
言う通りにして、火をかけてる間に、おひたしと、煮物を皿にうつして、ご飯を温め直した。
『はい、ほんで、そのドロドロの味噌を入れてな、いったんおたまの上で、箸で溶いてから鍋にいれるんやで。そしたら全体的にちゃんと溶けるやろ。最後にすこーしだけ、みりんを入れるねん。はい、出来上がり!』
なんか母親の言うままに作っていたら、ほんとに簡単にできた。なんだか見守ってくれてるからか安心してるのかな。お椀に味噌汁を入れる。
『あ、最後にな、冷蔵庫に小ネギ切ってタッパにいれてるから、それをパラパラっとかけたら、風味がようなるわ』
いい匂いだ。
「いただきます」
『まぁ…時間は結構かかったけども、はじめやからこんなもんやな。明日からはビシビシいくでー!』
え、なんのスパルタ。なんかでも、幽霊でもそばにいてくれる母親は、とても心強くて。味噌汁を飲んだからなのか、なんなのか、体がほっとあたたまった気がする。やっぱり味噌汁とか汁物があると全然違う。
お腹いっぱいになって、少し眠くなってきた。うちは食卓がリビングがわりなので、そこにテレビやら、座椅子やらが置いてある。座椅子にもたれてウトウトしてきた…
『タクちゃん!そんなとこで寝たら風邪ひくで〜。もう、しゃあないな〜…』
僕もできたら自分の布団で寝たいんだけど、今日も色々あって疲れたし、もう限界。
「母ちゃんおやすみ…味噌汁作り方おしえてくれてありがとうな…」
眠ってしまう前に見えた半透明の母親は、泣いてるような、笑ってるような、変な顔をしていた。
◇◇◇◇◆◆◆◆
完全に寝てしまっていた。
母親は…いないか。そりゃそうだよな。まぁ最後に成仏する前に、挨拶代わりに来てくれたような感じなのかな。
『やっと起きたんかいな。朝から弁当作るで!はよはよ!』
「えっ、弁当!?いきなり無理無理〜!」
母親はまだいてくれるみたいだ。
一品目、お味噌汁。
ごちそうさま。
タクミの前に突然あらわれた母ちゃん。
驚きつつも、その状況を楽しみつつあるタクミ。
さて、これから幽霊母ちゃんとタクミはどうなっていくのでしょうか?




