バック・トゥ・ザ・フューチャー
ロートワングの研究室。
覧久は、省電力モードで起動したスクリーンマシンを手に取った。小さな画面に、見慣れたインターフェースが表示される。
「信じられない...」
フレーダーとマリアが、目を丸くして覗き込んでいた。
手のひらに収まる機械から光が放たれ、文字や画像が浮かび上がる。1927年の彼らにとって、それは魔法と区別がつかない技術だった。
「さっき修理していた小さな機械だね?これは...何だ?」フレーダーが囁いた。
「未来の通信装置さ」覧久が説明した。「君たちの時代でいえば...そうだな、電話と電報と写真機を一つにしたようなもの」
実際、ヨーロッパでテレビの実験放送が始まるのは1928年。クロード・シャノンが情報理論の基礎を確立するのは1948年。この世界の技術水準からすれば、スマートフォンは神の領域の発明だった。
「シズカ、見てよ」
覧久は画面を見せた。
「1927年でもアンテナが4本立ってる。通信状態は完璧だ」
「こんな状況でジョークを言えるなんて」
シズカが呆れたように言った。彼女は壁にもたれかかり、修理された左肩をそっと押さえている。
「余裕があるのね」
「違うよ」覧久は苦笑した。「余裕がないからジョークを言うんだ。そうでもしないと、恐怖で動けなくなる。人間とはそういう生き物なんだ」
覧久は、シズカの頬を優しく撫でた。人工皮膚の感触は、いつもと変わらない。でも、その下で動く機械は、1927年の部品で応急修理されたキメラのような状態だ。
「大丈夫?」
「ええ、フレーダーのおかげで動ける」
覧久は深呼吸をして、LINEアプリを開いた。
「まさか、ヒンケルにLINEする日が来るとはね」
画面に、簡単なメッセージを打ち込む。
『爆弾処理完了。いつでも帰れる。お前たちの負けだ』
送信ボタンを押す。
既読がつくまで、わずか3秒。
そして——
『きさま』
たった三文字。だが、その向こうにいるヒンケルの激怒が手に取るように分かる。
次の瞬間、着信音が鳴った。
音声通話。
覧久は、スピーカーをオンにして応答した。
「もしもし、ヒンケル総統?」
『貴様ァァァ!!』
スピーカーから、ヒンケルの怒声が爆発した。
『1927年にそのような技術があるものか!どんな手を使った!魔法か!?悪魔と契約でもしたか!?』
「さあ、どうかな」覧久は挑発的に答えた。「気になるなら、こちらに来てみたら?」
『舐めるな!今すぐ——』
覧久は通話を切った。
「これでいい」
彼は、フレーダーたちに向き直った。
「奴らは必ず来る。プライドを傷つけられた独裁者は、理性を失う」
予想通り、5分も経たないうちに、空間が歪み始めた。
研究室の壁に、黒い亀裂が走る。それは急速に広がり、やがて巨大な穴となった。
次元の裂け目。
そこから、軍団が雪崩れ込んできた。
白い装甲のストームトルーパー。
赤いマントのローマ兵。
黄金の装飾を纏ったエジプト兵。
灰色の制服の親衛隊。
総勢1000を超える、時代と次元を超えた混成軍。
先頭に立つのは、激怒で顔を真っ赤にしたヒンケル。
「小賢しいネズミども!」
彼は、研究室を見回した。
「どこだ!どこに隠れた!」
だが、そこに覧久たちの姿はなかった。
ダース・ベイダーが、ゆっくりと前に出た。
「フォースを使う」
彼は手を掲げた。だが——
「...感じない」
機械的な声に、困惑が混じる。
「この世界は...歪んでいる。フォースの流れが...混沌としている」
1927年の映画世界。サイレント映画の法則が支配する空間では、銀河帝国の神秘的な力も、その効力を失っていた。
「構わん!」ヒンケルが叫んだ。「全軍で捜索しろ!石の下まで探せ!」
一方、覧久たちは既に研究室を脱出していた。
フレーダーの案内で、メトロポリスの裏路地を駆け抜ける。
「こっちだ!」
フレーダーが先頭を走る。この都市で生まれ育った彼は、全ての道を知り尽くしていた。
追手の声が、背後から聞こえてくる。
「いたぞ!向こうだ!」
ストームトルーパーのブラスターが発射される。赤い光線が、壁を焦がす。
「みつひさ、計画通りね?」
走りながら、シズカが確認する。
「ああ。YOSHIWARAまであと少し」
彼らは、意図的に追手を誘導していた。
逃げているように見せかけて、実は特定の場所へと敵を導いている。
角を曲がり、広場を横切り、橋を渡る。
そして——
「あそこだ!」
前方に、ネオンサインが輝く歓楽街が見えてきた。
YOSHIWARA。
退廃と享楽の街。労働者たちが、一時の快楽を求めて集まる場所。
「みんな、ここで別れよう」
覧久が立ち止まった。
「フレーダー、マリア。君たちは子供たちの避難準備を」
「分かった」フレーダーが頷いた。「でも、君たちは?」
「僕たちは、最後の仕事がある」
覧久とシズカは、手を繋いだ。
そして、追手に見えるように、YOSHIWARAへと走り込んだ。
「あそこだ!捕まえろ!」
軍団が、二人を追ってYOSHIWARAへと殺到する。
YOSHIWARAの中央。
円形の舞台があり、その上で一人の女性が踊っていた。
アンドロイド・マリア。
ロートワングが作った、精巧な機械人形。本物のマリアそっくりの顔をしているが、その表情には人間らしい温かみがない。
彼女は、機械的でありながら、極めて官能的な踊りを披露していた。
腰をくねらせ、腕を妖艶に動かし、時折見せる冷たい微笑。
その踊りは、見る者の最も原始的な欲望を刺激する。
労働者たちは、舞台を取り囲み、熱狂的に叫んでいた。
「マリア!マリア!」
彼らは、偽物だと気づいていない。いや、気づいていても構わないのかもしれない。この一時の快楽さえあれば。
そこへ、軍団が乱入してきた。
「どけ!邪魔だ!」
ストームトルーパーが、労働者たちを押しのける。
だが——
彼らの目が、舞台上のアンドロイド・マリアを捉えた瞬間、動きが止まった。
「なんだ...あれは...」
妖艶な踊り。機械的な美しさ。人間を超越した完璧な動き。
ストームトルーパーも、ローマ兵も、エジプト兵も——
全員が、その踊りに魅入られてしまった。
「美しい...」
誰かが呟いた。
アンドロイド・マリアは、新たな観客に気づくと、踊りを更に過激にした。
ドレスの裾を翻し、脚を高く上げ、胸を突き出す。
それは、もはや踊りではなく、集団催眠のような光景だった。
「何をしている!」
ヒンケルが叫んだ。
「敵を探せ!踊りなど見ている場合か!」
だが、彼の声は誰にも届かない。
兵士たちは、完全にアンドロイド・マリアの虜になっていた。
そして、労働者たちと一緒になって、踊り始めた。
ストームトルーパーが、ヘルメットを脱ぎ捨てる。
ローマ兵が、剣を放り投げる。
エジプト兵が、槍を床に突き刺す。
音楽が激しさを増す。ジャズのリズムが、理性を破壊していく。
「踊れ!踊れ!」
アンドロイド・マリアが叫ぶ。
その声には、何か魔力のようなものが宿っていた。
ついに、ダース・ベイダーまでもが、マントを脱ぎ始めた。
「これは...制御できない...」
機械的な声が、混乱している。
「この感覚は...プログラムにない...」
そして、ネロもファラオも、狂宴に加わった。
最後まで抵抗していたヒンケルも、ついに陥落し、音楽に合わせて踊り始める。
独裁者も、兵士も、労働者も——
全員が、階級も時代も忘れて、狂ったように踊り続けた。
その隙に、覧久とシズカは会場を抜け出していた。
人混みに紛れて移動していたフレーダーとマリアと、建物の影で合流する。
「成功したみたいね」マリアが安堵の表情を見せた。
「ああ、完璧だ」フレーダーが笑った。「あんな偽物に騙されるなんて」
彼は、本物のマリアを抱き寄せた。
「でも、よくできていたわ」マリアが言った。「まるで私の——」
「違う」フレーダーが遮った。「あれは失敗作だ。君の美しさの100分の1も再現できていない」
マリアは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。でも、時間がないわ。早く子供たちを——」
「分かってる」フレーダーが頷いた。「覧久の言う通り、もうすぐ大変なことが起きる」
彼は、拳を握りしめた。
「そして、僕は...ロートワングと、父と...戦わなければならない」
震える手を、マリアが優しく包んだ。
「大丈夫よ、フレーダー。あなたなら戦える。このメトロポリスと、私たちの未来のために」
覧久とシズカは、都市の最深部へと向かっていた。
巨大な機械室。そこには、メトロポリスの心臓部「ハートマシン」が鎮座している。
直径30メートルの巨大な球体。無数の歯車とピストンで構成され、都市全体にエネルギーを供給している。
「ここから、エネルギーをいただく」
覧久は、スクリーンマシンを取り出した。
「次元跳躍に必要な膨大なエネルギーを、直接吸い上げる」
「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』方式ね」
シズカが微笑んだ。
「時計塔の落雷の代わりに、都市の心臓を使う」
二人は、手際よくケーブルを接続していく。
スクリーンマシンのエネルギーゲージが、ゆっくりと上昇を始めた。
1%...2%...3%...
「どのくらいかかる?」
「理論上は30分。でも——」
シズカが計算する。
「映画のストーリー通りなら、もうすぐハートマシンが破壊される」
YOSHIWARAでは、狂宴が最高潮に達していた。
そして、アンドロイド・マリアが、決定的な扇動を始めた。
「聞け、労働者たちよ!」
彼女の声が、会場に響き渡る。
「我々を苦しめる機械を破壊せよ!ハートマシンを破壊するのだ!」
過激な階級闘争。
労働者たちが、雄叫びを上げた。
「破壊だ!破壊だ!」
彼らは、武器を手に、地下へと殺到していく。
階級闘争は、兵士たちにも影響を及ぼし始めていた。
なぜ、このような歪な白黒の世界にいなければならないのか?
どうして戦わなければならない?
そのすべての原因は、ヒンケル、ネロ、ファラオ、ダースベイダー——支配者たち。
「あいつらが...俺たちを支配している...」
ストームトルーパーが、ブラスターをヒンケルに向けた。
「反乱だ!革命だ!」
二つの暴動が、同時に発生した。
指導者を失った軍団の内乱と、扇動された労働者たちの破壊行動。
メトロポリスは、完全な混沌に陥った。
「来たわ」
シズカが、振動を感じ取った。
地下から、労働者たちの足音が響いてくる。
「エネルギーゲージは?」
「78%...もう少し...」
労働者たちが、なだれ込んできた。
「破壊しろ!」
「機械を壊せ!」
彼らは、ハンマーや斧を振り上げ、ハートマシンを攻撃し始めた。
巨大な歯車が砕け、蒸気パイプが破裂する。
「85%...90%...」
「みつひさ、危険!もうすぐ爆発する!」
シズカが叫んだ。
「95%...98%...」
ハートマシンが、悲鳴を上げ始めた。
制御を失った巨大な機械は、内部圧力に耐えきれなくなっている。
「100%!」
覧久がケーブルを引き抜いた瞬間——
轟音と共に、ハートマシンが大爆発を起こした。
爆発の衝撃で、地下世界は崩壊し、浸水による濁流が押し寄せる。
「うわあああ!」
支配者たちを追っていた兵士たちが、水に飲まれていく。
そして、地下に逃げ込んでいたヒンケルたちも——
「何だこれは!」
ヒンケルが絶叫した。
「水が...水が来る!」
濁流は、容赦なく独裁者たちをも飲み込んだ。
ストームトルーパーも、ローマ兵も、エジプト兵も——
全員が、なすすべもなく流されていく。
そして——
彼らの身体が、光の粒子となって消え始めた。
キャラクターたちの命の危機が近づき、映画世界の修復力が発動したのだ。
大きく歪められた物語は、元の形に戻ろうとする。異物である彼らは、それぞれの映画世界へと強制送還されていった。
「ぐわあああ!」
ヒンケルが、水の中で叫ぶ。
「また...また負けるのか!」
彼の身体も、光となって消えていく。
最後に残ったのは、ダース・ベイダーだった。
「これが...運命か...」
機械的な声が、水の中から響く。
そして、彼も光の粒子となって消滅した。
「ああ、大変だ!」
フレーダーが叫んだ。
「地下には、まだ子供たちがいる!」
覧久からある程度の情報を聞いていたフレーダーとマリアは、地下世界に住む人たちや子供たちを地上へと導いていたが、洪水は思ったよりも早かった。
水位は、急速に上昇している。
覧久たちは、必死に子供たちを探した。
「こっちよ!」
マリアが、避難所を見つけた。
そこには、数十人の子供たちが、恐怖で震えていた。
「大丈夫、お姉さんたちが助けるから」
シズカが、優しく語りかける。
彼女は、損傷した身体に鞭打ち、その人間離れした力で、一度に3人の子供を抱き上げた。
「すごい...」
子供たちが、シズカを見上げる。
覧久も、フレーダーも、マリアも——
全員で、子供たちを地上へと運んだ。
水は、もう腰まで来ている。
「急げ!」
階段を何度も往復する。
一人、また一人と救出していく。
フレーダーは、この救出活動の中で、真の強さを見出していた。
父への反逆ではない。愛する者を守るための、本当の勇気。
マリアは、聖母のような微笑みで、子供たちの恐怖を和らげた。
そして覧久は——
虚構の世界で、紛れもない現実の「英雄」として戦っていた。
最後の子供を地上に運び上げた時、水が引き始めた。
破壊されたハートマシンの残骸が、静かに横たわっている。
労働者たちも、正気を取り戻していた。
本来ならば子供を失ったと考えた労働者たちが、アンドロイド・マリアを処刑する。
しかし、今回は違う。子供たちはすでに地上で守られていたのだから。
「何をしてしまったんだ...」
彼らは、自分たちの愚行を悔いていた。
フレーダーが、前に出た。
「みんな、聞いてくれ」
彼の声が、広場に響く。
「確かに、過ちは犯された。でも、まだやり直せる」
彼は、マリアの手を取った。
「頭脳と手の間には、心臓が必要だ。支配者と労働者の間には、愛が必要なんだ」
それは、映画『メトロポリス』の、有名なメッセージ。
労働者たちが、涙を流しながら頷いた。
そして、フレーデルセンも現れた。
「息子よ...」
父と子は、長い対立の後、ついに和解の手を差し伸べ合った。
物語は、本来よりもハッピーなエンディングへと収束していく。
覧久とシズカは、その光景を静かに見守っていた。
「終わったね」
「ええ。ラストが少し変わってしまったけど」
この世界での経験は、二人を変えていた。
虚構の恋から始まった逃避行は、真の愛と勇気の物語へと変貌を遂げていた。
シズカが、スクリーンマシンを見る。
「これで、帰れるのかしら」
エネルギーは充電されている。
「これで元の世界に戻ろう。最新の機器を使えば、スクリーンマシンも、君も完璧に治せる」
覧久が自信満々にいうと、シズカは嬉しそうに寄り添う。
「ありがとう。修理が終わったら、私はーー」
その時だった。シズカの目の前に、すさまじい光の線が走りはじめた。
「シズカ?」
「私は…私は…」
覧久の声を聴きながら、シズカは、真っ暗な地面に倒れ落ちた。




