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不穏な空気の漂う居間。侍女たちが互いに目配せを交わし、沈黙の中にざわめきがある。

「お母様、わたくし今療養中の身です。そのようなことはできかねます」

「そうは言ってもね、既にお受けしてしまったのよ。あなたしかできないんだから」

母の口調はやわらかいが、譲る気配はない。


アンは不貞腐れたように髪をかき上げ、唇を尖らせる。

「わたくし以外に、あと九名も聖女がいるでしょうに」

「屁理屈言わないでちょうだい。王都にはあなただけでしょう」


――最悪な朝だった。身体は鉛のように重く、頭も痛い。そんな時に無理やり呼び出され、母の理不尽な命令。アンの不機嫌は隠す気もなかった。



そこへ扉が開き、ソフィアが顔を覗かせる。

「お母様、どうされたのですか?」


「まあ、ソフィア! 今日は顔色がいいわね」

「ええ、今日は大丈夫そうです、あなたじゃあこれをお願いね」


ソフィアは何気ない様子で侍女に手紙を託した。侍女は恭しくそれを持って下がる。

母は待ってましたとばかりにソフィアを自分の隣へ座らせた。

「ちょうどよかった。聞いてちょうだい、あなたのお姉様ったら母を困らせるのよ」


ソフィアはわざとらしく悲しげに姉をみやり小さく首を振った。

「お母様が可哀相ですわ」


「でしょう? 伯爵夫人がね、アンの助けを借りたいと言っているのに……!」

水を得た魚のように勢いづいた母はソフィアに縋った。


「お姉様……。でも、わたくし分かりますわ。世間では病に侵された聖女と噂されて……。長年病状に伏せっていたわたくしです。お姉様のお気持ちお察ししますわ。思うように聖力が使えないのでしょう? お可哀相に」


アンの眉間にしわが寄る。

(なにが“お可哀相に”よ、この芝居がかったアンポンタンが……!)


やってやろうじゃないか――。

急にやる気になったアンは口を開こうとしたその時――。


「っ……ああ……」

ソフィアが胸を押さえて倒れかけ、母が慌てて抱き留める。侍女たちは大騒ぎで駆け寄った。

昔はソフィアが熱を出すたびに側にしたのは自分だった。その時を知っているからこそ、今の仮病に騙されるはずもない。


「やはり無理をさせるべきじゃなかったのよ!」

「お母様……申し訳ありません……。やっぱり少し辛いようです……」

ソフィアは健気に言葉を継ぎ、母の腕に体を預けた。


母の目に薄い涙がにじむ。

「まあ、なんて健気な子」


二人の即興劇に、アンはとうとう声を荒げた。

「もういいかしら! ねえ、モロン。わたしの護衛でしょう? 療養中の身が脅かされそうだわ。なんとかして」


扉脇に立つレオンは、表情を崩さぬまま答える。

「恐れながら、聖女の祈りは本来神殿を通すもの。私的に行うことは許されません」


「ですってよ、お母様。まあそういう訳だから後はお二人で引き続き、その面白劇場でも続けたらいかがですか?」

ソフィアと母を見やり、アンは重い身体を引きずって部屋を後にした。




アンはソファに腰を落とすとわざとらしくため息をついた。

「疲れたわ。一人にしてちょうだい」


レオンと侍女たちは動かない。神殿の命を受けてアンを監視している彼らは、彼女の言葉を聞き流す。


「ねえ、果物を持ってきてちょうだい。そうね、西瓜がいいわ。季節外れでも探してきて」


侍女たちが困惑して頭を下げる。アンはさらに、レオンを手で追い払った。

「あなたも出ていって。モロン」


「……私の名はレオンです」

「はいはい、モロンね」

ソファに沈み込んだアンはレオンの顔すら見ていない。


その様子を表情を崩さずに見ていたレオンは一言つぶやいた。

「訂正する気はないのですか」

「だって、ほら、語呂がいいじゃない。わかったら早く出て行って。命令よ。」

呆れた態度の聖女にレオンは一礼して部屋を出た。



扉が閉まると、アンはこめかみを押さえた。鋭い頭痛と重い身体。心臓の鼓動だけが、やけに大きく響く。


(残り五ヶ月、くらいか……)

そう思うと胸が締めつけられる。


「死にたくないなー」

投げやりなほど軽い声で、誰に届くこともなく呟いた。





父のいない夕食の席。母はまだ食い下がる。

「私的はだめと言っても……同じ貴族同士、助け合いが必要でしょう?」


昼寝でずいぶんと回復したアンは恨めしげに母を見る。反応するのすら嫌だった。


見かねたソフィアがじっとりとした視線をアンに送り母に向き直った。

「お姉様……。お母様、お姉様はきっと協力などしてくれません。ですが、幸いなことにこの国にはお姉様以外にあと聖女様が8名もいらっしゃいます。代わりを探すのは難しくないのでは?」

これまで無表情であったレオンの身体に少し力が入った。無言でソフィアに一瞬視線を送る。


目ざとくレオンの反応を拾ったアンは、鼻で嗤った。

(また、ソフィアの演技に感動する人が増えたわね。バカバカしい)


「そうねぇ、だけど夫人は今度始まるビジネスが成功するようにどうしても王都の聖女に祈って欲しいそうなのよ」

母は伯爵夫人との繋がりをどうしても諦められないようである。


「わたしが祈ろうが祈らまいが良いものは成功しますし、そうでないものは失敗します。祈ったところでなんら変わりはありません。人だってそうです。祈りがないなら死ぬのならばそれがその人の寿命なのです」

アンは残ったヒレ肉をガシガシ切りながら告げた。


空気が凍りついた。

聖女という存在を真っ向から否定する言葉。


聖なる力を持つに値すると神に選ばれた存在。負なる感情を持たず清く自己を犠牲にする存在が聖女のはずだ。


あまりの口ぶりにレオンは失望を隠すことができなかった。彼の知っている聖女たち、彼の方たちは皆、人のために祈り、皆のために己捧げたというのに。



アンの言葉に見切りをつけた母は早々に自室に返り、食事を終えたソフィアもまた、ゆったりと立ち上がった。

「お姉様、ごゆっくりお休みになってくださいね」

「言われなくてもそうするわよ。早く部屋に戻れば? またベッドから出られなくなるわよ」


アンの減らず口も意に介さず、くすくす笑うソフィアは会場を後にした。アンとレオン、侍女だけが残る。


わずかな沈黙の後、扉の脇に立つレオンが口を開いた。

「……聖女とは、人々に平穏と希望を与える存在。誰よりも気高く、己を律し、神の代わりに祈りを捧げる者。そして人に救いを与える者。少なくとも、私が仕えてきた聖女さまたちは皆そうでした」


突然語り始めたレオンをアンはきょとんと見てから噴き出すように笑った。

「そう、あなたの聖女さまたちはね」

挑発するような視線でレオンを見据える。


――そのやり取りを、扉の外で聞いていたソフィア。

彼女の眼差しは冷ややかであった。

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