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「お姉様、本日も早朝からお祈りご苦労様です。お疲れでしょう」


朝食の席。ソフィアの定型句で幕が開く。

いつもならアンは「皆様のお役に立てて幸せです」と笑顔で返し、その言葉を楯にソフィアは“悲劇のヒロイン劇場”が始まる。

自らの不出来を嘆き、涙し、部屋へ籠る――一家の毎朝のルーティンだ。


今日も同じ……のはずだった。


「大丈夫よ。皆のために祈れるのは幸せだもの」


使用人たちの視線が、いつものように敬慕で潤む。何度聞いても飽きぬらしい。

ソフィアは芝居の開幕を告げるように、小さく喘いだ。


「お姉様は偉いわ……。聖女として国のためにお勤めしているのに、ソフィアは何もできない――」

涙がぽろぽろと落ちる。


よくもまあ毎朝これだけ出るものだ。


ソフィアが椅子にもたれ、額に手を当てる。

「また発作が……」

と弱々しく呟いた。



昔は仲の良い姉妹だったのに――アンは乾いた笑みを浮かべた。


アンが聖女候補と判定され、周囲の注目を一身に集めるようになってから、ソフィアは病弱をつかうようになった。最初は本当に体調を崩していたのかもしれない。だがやがてそれは習慣となり、彼女は悲劇のヒロインを演じるのが板についた。




ガタン! と椅子を引き、アンは大仰に立ち上がる。

全員が目を見張る。珍しいことだ。


大きく息を吸って――アンは、叫んだ。


「ああああ神様ぁぁ! どうして! どうして私の妹にこんな過酷な試練をお与えになるのですか!」

右手は天へ、左手は胸へ。涙ゼロの瞳を覆い、テーブルに突っ伏す。


「かわいそうなソフィア! 毎日家にいて、怠惰で、役立たずで……ただの穀潰しだと自ら嘆いている――!」


ソフィアの涙は止まり、目がまんまるになる。


観客席(家族)は息を呑み、芝居の主役が入れ替わった瞬間を見せつけられていた。


「私は酷い姉です! 妹を救えないなんて、聖女失格ですわ! ああ、なんて罪深い!」


涙ひとつ出ていない目を覆い、母の膝にすがって嗚咽する。

ソフィアは呆然。母は困惑。父は黙々と食事を続けていたが、やがて重い声で言った。


「……ソフィア。お姉様に謝りなさい」


「なっ……なぜソフィアが……?」

矛先が予想外の方向へ飛んで、ソフィアの声が裏返る。


「アンが泣いているからだ」


父の目的はただ場を収めること。子どもに心から関心はない。

これまでずっと「アンがソフィアに謝る」形で収束していたのに、今日は立場が逆転のようだ。


もう一押し。

アンは肩を震わせ、母の足元で嗚咽を深くする。


「お、お姉様……申し訳……ございませんでした……」


ソフィアの目に涙がたまり、声が震える。

父は続けざまに告げた。


「それから、外へ出なさい。いつまでも家に籠もっているな」

「で、でも――」

「でもではない。お前が出ないせいで、アンが心を痛めている」

「……はい」


しん、とした空気。誰も男爵を止められない。

周囲は気まずそうに目を逸らし、空気だけがやけに澄む。


アンの胸に、初めての勝利の甘美が広がる。


(――最高)


部屋に戻ると頭痛がずきりと疼いたが、心は羽のように軽かった。

この日から、“王都の聖女アン”の暴走が始まった。

暴走――に見える、ただのわがままだが。




王都の神殿。白い石畳と高い尖塔が朝日を浴びて輝いていた。

レオン・リュミエールは久方ぶりの光景を前に、淡々と歩を進める。

自分が呼び戻された理由も分からぬまま、重い扉を押し開けた。


遠回りした先の廊下には歴代聖女の肖像画。

壁には歴代の聖女の肖像が小さく並んでいる。その中のひとり――自分と同じ切れ長の目をした女性に、一瞬だけ足を止めた。絵に名札はない。聖女たちは役目を終えると名を捨て、新しい名を神から授かると言われているからだ。



「どうぞ、はいってください、リュミエール卿」

目的の部屋に着いたレオンがノックをしたと同時に中から声が聞こえた。

高官は椅子に腰掛け、いつもの柔らかな笑みを浮かべている。まるで慈愛深い父のようだった。

背後の机には、王都周辺の地図が貼られており、赤い印が幾つも打たれていた。


「ひさしぶりですね」

「はい、4年が経ちました」

「もう四年も……。急に呼び戻されて驚きましたか」


レオンは頷きつつ尋ねる。

「理由をお聞かせ願えますか」

「彼の方の調子がずっと悪い中の異動でしたものね。申し訳なく思っています。ですが、あなたほどの方にはやはり都がふさわしいのです」


「……何かあるのですか?」

高官は頷く。


「最近、聖女アン殿を排除しようという動きがあるようで。掲示板に妙なビラが貼られるなど、不穏です」

「聖女アン殿は……例の病を?」


「はい。病を発症されました。怪しい連中が『乱心している』と騒ぎ立てるでしょう。だから、あなたにお守りいただきたいのです」

そう言いながら高官は、まるで心の奥を覗き込むようにレオンを見据えた。

慈愛の笑みは変わらぬまま、しかし瞳の奥に探りの色があった。


「…専属の護衛、ですか」

「それ以上に、安心を与える存在に。彼女はまだ若い」

聖女アン殿のことを憂いた口ぶりである。しかし、レオンは少しだけ違和感を覚えた。彼が担当していた聖女さまもまたアン殿と同じ18歳であった。


「リュミエール卿、あなたにお伝えしないといけません。 まだ公表されていませんが、彼の方は先日神の元にお帰りになりました」

レオンの考えを読んでいたようなタイミングであった。

はじめに『彼の方』と名前で呼ばなくなった時点ではレオンは気がついていた。


退室しようとしていたレオンは思わず足を止めた。高官の表情に変化はない。

レオンは微動だにせず、続きをまった。


「じきにあそこに並ぶでしょう」

あの廊下のことだろうか。

神殿所属のただの騎士と聖女、関わりなんて無いに等しかった。話したことすらない。ただ、彼の姉と同じ存在に一層気を配っていたのも事実である。


「神のみもとで幸せにお過ごしのことでしょう」

レオンの返事は短く、感情をほとんど含まない。

「はい、きっと」

高官は微笑みを崩さず机の上の地図を手にとった。レオンが所属していた国境付近の神殿には赤字いバツ印がつけられており、それが二重線で消されている。

レオンは小さく頷くしかなかった。




高官の部屋を出たレオンは、再びあの廊下を通った。今度は遠回りではない。

同じ切れ長の目の肖像画が視界に入りかけたが今度は足を止めずに通り過ぎた。

神殿の奥は妙に静かで扉の前だけが張り詰めた空気を放っていた。




ノックをしても返事はない。

「……」

「……」

「あの、もう一度…」

アンの部屋をノックした侍女が気まずそうにレオンを見上げる。


「いえ、結構です」

本来ならば無礼な行動であるが神殿から正式な『専属の護衛』に任命された今ならそれも許される。


「ちょっと! なんなのよ! 勝手に入んないでよ!」

開けたと同時にかけられた金切り声であった。

きっと扉をずっと気にしてはいたのだろう。


「ご無礼をお許しくださいませ。聖女アン様の専属護衛を拝命しました、レオン・リュミエールでございます」

毛足の長い絨毯に寝転んでいる聖女。レオンは深く頭を下げた。


「……」

「レオン・リュミエールと申します」

「……」

「レオン――」

「そんなのどうだって良いわよ」

自己紹介を受けて早々に興味を失ったアンはレオンすら見ていない。


「聖女さま」

「……」

「アン様」

「勝手に名前呼ばないでよね」


レオンは開いた口が塞がらない。

レオンの知る“聖女”像が音を立てて崩れていく。


聖女の病とはここまで深刻であったのか。すでに7人も騎士が辞めた理由を納得した。


「用がないなら出てってよ、そこのあんた」

視線だけをレオンに向けたアン。下から見られているはずなのに心理的には上から目線である。


「聖女さま、わたしの名前はレオン・リュミエールと申します」

「あー、はいはい、でも覚えても意味ないし。あんたもどうせすぐ辞めるし」

思わず開いている扉の向こうを見やる。外でアワアワしている侍女を何かを言いかけては飲み込み、レオンから視線を外した。


病気の聖女は触らぬ神に祟りなし――。

だが、神殿の騎士として、そして自らの矜持として、ここで引き下がることなどできるはずがなかった。


「わたしは絶対に辞めません。聖女さまの元を離れることはありません」

「あー、はいはい、分かった分かった。早く出てってよ。早速離れていってよー」

「聖女さま、レオンです、レオン。名前を呼んでいただけたら退室します」

今思えばムキになっていたと思う。

レオンはこれまで誰かにこんなにぞんざいに扱われたことがなかったのだ。


「早くでてけよ!」

「レオンです、聖女さま、レオン」

「うるさいな。わたしが言っていること分からないわけ? 」

「レオンでございます」

「しつこいわね! あんたにはアホの『モロン』で充分よ」

なんて良い語呂かしら!――アンはケタケタ笑い、床で転げた。


レオンは宙を仰ぎ、肩を落とす。


(……この任務、想像以上に骨が折れそうだ)

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