第四章「実体のない落雷事件」
その日の朝、鬼頭大吾は二人の重要参考人──雨宮洸介と霧島アヤ──への取り調べを開始していた。
取り調べ室では、雨宮がうつむいたまま、何度も何度も霧島の名前を呟いていた。
「アヤ……アヤ、アヤ……アヤ……」
その様子に鬼頭は顔をしかめ、目の前の報告書に目を通す。
「雨宮洸介。理工学部出身。研究テーマは将来予測される水不足とその解消法。出資者不明の資金で別人に成り済まし、霧島アヤの生活圏に頻繁に出没……」
「彼女になりたかったのか?」という鬼頭の問いに、雨宮は顔を上げることなく、薄く微笑んだ。
「……違う。彼女になったんだよ。心も……肉体も」
次の瞬間、彼の体が震え始めた。肌の下で蠢くように腫瘍が膨れ上がり、急速に全身へと広がる。急性多発性腫瘍──尋問中、医療チームの対応も間に合わず、雨宮は死亡した。
彼の全身は、霧島の遺伝子をCRISPR-Cas9で組み込んだ「模倣体」と化していた。皮肉なことに、その過程で自己免疫系が暴走し、癌化が起こったのだ。
霧島アヤは、別室で沈黙を保っていた。
鬼頭の問いかけに応じたのは、ある一言だけだった。
「私は……ただ、あの人に見られていた気がしただけなんです」
「あの人?」
「──名前は知りません。ウサギの入れ墨だけ、強烈に覚えてます」
一連の事件の裏で糸を引いていた人物…その名も正体も知らない様子だった。
鬼頭は静かに頷き、五嶌に連絡を入れる。
数日後、都内某所。青空が広がったが、連続不審死事件が発生していた。
どの遺体にも外傷がなかった。ただし、皮膚下にある毛細血管が爆裂し、心臓には焼け焦げたような痕がある。
「……雷に打たれたような状態だが、落雷はなかった」
現場を調査していた五嶌亮伍は、周囲を見渡す。
「亜佳里、手分けして周囲の聞き込みを頼む。見た目は普通の街区だが、何か見落としがある気がする」
「了解です、五嶌さん!」
亜佳里が周辺の聞き込みを行っていた際、ビル裏の路地で五嶌は妙な女と出会う。
黒のチャイナドレスに身を包んだ美しい女性。その左腿には、ウサギの入れ墨──
「……誰だ?」
「瞭然。ー5年前あなたたちを壊したものの残滓よ」
五嶌は咄嗟に警棒を抜こうとしたが、次の瞬間、女の姿は通行人の一人へと擬態し、雑踏に紛れて消えていた。
鬼頭にコールし、五嶌は言う。
「──左腿にウサギの入れ墨の女。瞭然と名乗っていた。おそらく5年前の超常的事件の関係者だ……仮称を付けよう。奴らを”鳥獣戯画”と呼称する。」
一方の亜佳里は、秋葉原の駅前で見つけた科学サークルのパンフレットに目を止めた。
“アクシオン科学倶楽部──市民参加型の電磁気研究サークル”
ふと気配を感じ、振り返ると露店の店主が彼女に話しかける。
「見学かい? あのサークルの代表はすごい奴だ。元大学研究者で、最近じゃ変わった機材持って出入りしてるらしいよ」
「代表って……お名前は?」
「春田要って男だよ」
鬼頭との連携で、五嶌たちは春田の行動パターンを割り出し、ビルの屋上へと向かった。
そこには、巨大なアンテナ装置があった。外見上は通信設備に偽装されていたが、五嶌の検査で異常な電磁界が感知される。
「……これは誘導放電装置だ。被害者の衣服や持ち物に微細な導電体を付着させ、ビル上空から局所放電を狙ったんだ」
「つまり、周囲から見たらただの心臓発作。でも中身は──雷殺」
その瞬間、待ち伏せしていた春田が襲い掛かる。手には高出力のスタンガン。だが、五嶌と亜佳里は絶縁素材のインナーとグローブで準備済み。
「科学は、人の命を奪うためのものじゃない!」
春田の足を打ち抜いたのは、亜佳里の電磁カッターだった。
春田は倒れながらも呟いた。
「俺じゃない……あの女が……黒い服で、ウサギの入れ墨を……」
ー夜、事務所。
鬼頭と五嶌が電話で話している。
「浄水施設で、鳥獣戯画の痕跡を見つけた。今動いているのは、瞭然だけじゃない。こいつら……組織的だ」
電話の向こうで、鬼頭の声が低く響いた。
「次の行き先は、浄水場だ。だが、これは公安の枠を超えてる。命を賭ける覚悟がいるぞ、五嶌」
部屋の隅。毛布にくるまった亜佳里は、眠ったふりをしながら、その通話を聞いていた。
(……お兄ちゃんの手がかり。もう……逃がさない。)
彼女の目は、夜の帳の中でも鋭く輝いていた。