第二章「火元なき焼死事件」
朝のワイドショーの音が、狭い探偵事務所に流れていた。書類を片手にコーヒーをすすっていた亜佳里が、画面に目を止める。
「……また焼死体。しかもカップルばっかり……って、ええっ!? 火元不明ってどういうこと?」
彼女の声に、奥の机に座る五嶌は無関心を装って新聞をめくる。
「ただの事故か模倣犯だ。いちいち騒ぐな」
「いやいやいや、五件目ですよ!? おかしいでしょ、これ……超能力で燃やされたって考えた方が……」
五嶌はけげんな顔を一瞬浮かべるが、瞬時に
「はい、却下」
と返す。
つづいて亜佳里が口をとがらせて言う
「大体、お客さんが来てるのに弟子にそんな口の利き方していいんですか?!」
「お前は弟子じゃなくて雑用!」
そういうと五嶌はクライアントである老婦人からヒアリングを行い、再び亜佳里へと向き直る。
「初依頼だ。猫探し」
「え、猫? まじで?」
指定された住宅街は、細い路地が入り組んだ迷路のような一角だった。アスファルトに陽が反射し、じりじりと背中を焦がす。亜佳里は額に汗を浮かべながら、手描きの地図を片手に小走りで角を曲がった。
「……白い三毛猫の“おもちちゃん”。女の子。すばしっこいけど、ツナ缶に弱い。……って、そんなメモだけで探せるかーっ!」
愚痴を漏らしながら、腰のリュックからツナ缶を取り出す。
シャカシャカと音を鳴らして歩き回る亜佳里。時折しゃがんでは「おもちちゃーん……おもちちゃーん」と小声で呼びかける。
「なんかこれ、職質されても文句言えないよね……」
民家の塀の上に影を見つけた。
「いた!」
真っ白な猫が日向ぼっこをしていた。亜佳里がそっと近づこうとするも──
「おもちちゃ……あっ、わっ、あぶっ!」
石畳に足を取られて転び、派手に尻もちをつく。ツナ缶がコロコロと転がって猫の足元に届くと、おもちちゃんはそれを興味深げに嗅ぎ、くるりと回って……一目散に逃げ出した。
「まってぇぇぇーっ!」
買ったばかりのスニーカーで泥を跳ね上げながら、住宅街を全力で追いかける。フェンスを越え、軒下をくぐり、塀の隙間に指を突っ込み──
──そして五十分後。
Tシャツは汗と泥にまみれ、髪はボサボサ。だが、その腕の中にはふわふわの白い猫が収まっていた。
「はぁ、はぁ……つ、捕獲完了。ミッションコンプリート、です……」
しっぽで顔をくすぐられながらも、亜佳里は疲労困憊の笑顔を浮かべた。
──その直後だった。
裏手の路地から、黒い煙が噴き上がった。
「え……?!」
急いで駆けつけると、すでに路地からは煙が上がり、通行人の悲鳴が飛び交っていた。警察のサイレンも近づく。
そこには、火の手も煙も見えないのに、焦げた臭いだけが漂っていた。
パトカーのサイレンのなか、現場を囲む人々の中には、泣き崩れる女性と倒れたカップルの焼け焦げた姿があった。
「また……火元がない……」
息を呑みながら、亜佳里はスマホを取り出し、現場の写真を撮ると、すぐに五嶌へ連絡を入れた。
「五嶌さん、現場に人が焼けた跡があるんです! でも、火の元がないんです、どう見ても超能力ですってば!」
『落ち着け、アホ。まず、すぐその場を離れろ。空気が悪い』
「でも、私──」
『現実には、“超能力”で発火なんてものは存在しない。だが、火元を巧妙に隠す方法ならいくつもある』
電話越しに五嶌の声が冷静に響く。
『例えば、油を染み込ませた衣服と化学反応を使えば、火種は人間の体の中に“仕込める”。加えて電気的導火装置を使えば──』
「……じゃあ、本当にトリックなんですか?」
『たぶん、いや──そうであってほしい』
亜佳里は静かに頷き、猫を抱いてその場を離れた。
戻ってきた亜佳里は、老婦人へ無事に“おもちちゃん”を返却し、ようやく一息つく。
「お手柄だったな」
五嶌が言うと、亜佳里は照れくさそうに笑った。
「えへへ、まぁ、運がよかっただけです」
そんな彼女の様子を見ながら、五嶌はふと冷蔵庫を開けた。
中には調味料と水だけ。
「……おい、お前」
「はい?」
「買い出し行ってこい。リストはここに置いとく」
突き放すように見えて、それは彼なりの「お疲れ様」だった。
「はーい! また張り切ってきます!」
軽やかに玄関を飛び出す亜佳里の背を見送りながら、五嶌のスマホが震えた。
着信表示──《鬼頭》。
『……お前、テレビ見たか?』
「何があった」
鬼頭の声には、いつもの軽口がなかった。
『さっきの焼死事件、例の“無炎焼死”。もう7件目だ。そろそろヤバいぞ』
「……場所は?」
『ちょうど今、お前がいつも使ってるスーパーのすぐそばだ』
五嶌の表情が一変する。
すぐにポケットに、官給の拳銃をそっと忍ばせた。
──走るべき時が来た。
――現場・夜
到着した現場では、既に通報が入り、煙が辺りに充満していた。
五嶌はマスクをつけ、吐息を最小限に抑えながら、人影を捜す。
「亜佳里!」
濃い煙の中、倒れている人影を発見。酸素が希薄な中で、五嶌は口元にウェットハンカチを当てつつ、彼女の脈と呼吸を確認した。
「──一酸化炭素中毒。軽度なら回復は見込める」
彼女の傍には老夫婦、通行人らしき人物も倒れていた。
その時、鬼頭が現場に合流する。
『手を貸せ、ここから搬送する!』
煙の濃度の低い外周部まで運び、レスキュー隊へと引き渡す。
呼吸器とマスクを備えた隊員に引き継ぎ、五嶌は振り返った。
「……まだ、終わってない」
周囲の監視カメラや目撃情報から、事件現場の前後に不審な動きをしていた人物──二瓶明人の姿が浮かび上がる。
過去にはガス関連の職に就いていたが、現在は職を転々とし、SNSでは恋愛に関する過激な投稿が目立っていた。
五嶌と鬼頭は、彼の元同僚から「指先をライターなしで赤熱させる“トリック”」を披露していたとの証言を得る。
「──こいつ、本物かもしれん」
熱電効果、あるいは生体内の電気信号を異常に増幅する異能。
これまでの痕跡と一致する。
――対峙と制圧
二瓶の居場所は、廃工場の一角だった。
五嶌と鬼頭は、彼のアジトへと踏み込む。
「二瓶明人!」
男は現れた二人に気づき、両の手を突き出した。瞬間、指先から赤熱した炎が舞う。周囲の空気が歪むほどの高温。
「お前らも──燃え尽きろ!」
鬼頭が投げたのは、工業用の耐熱フォームスプレー。空気中の酸素を遮断するように放射され、火炎を一時的に封じ込める。
「お前の“火”は酸素を必要とする。だが、空気を奪えば、ただの熱だ」
さらに五嶌は冷却スプレーを床へ散布。床材が冷却され、表面の可燃性を奪われる。
二瓶は焦り、無理に発火しようとするも、汗と息が荒くなり自滅しかけていた。
その隙を突き、五嶌が彼の背後に回り込み、警察用手錠で拘束。
「お前の炎はもう……届かない」
二瓶は苦し紛れに吠える。
「愛されない俺が、何であんな奴らに劣るんだよォォッ……!」
鬼頭が肩を掴み、冷たく言い放つ。
「その“劣等感”で、他人を焼くな」
――病室・数日後
薄明の病室。窓辺に差し込む光がカーテン越しにやさしく揺れる。
「……ん……?」
亜佳里がまぶたを開くと、椅子に腰かけた五嶌が眠そうにしていた。
「……所長?」
「起きたか。医者によれば、軽度の中毒症状だけだ」
彼は、無事だったと告げると立ち上がり、窓の外に目を向けた。
「巻き込まれた一般人も、なんとか救急搬送で助かった。だが……カップルは、間に合わなかった」
亜佳里はベッドのシーツを握りしめ、静かに頷いた。
「……そうですか」
「だが、お前が現場にいなければ、もっと犠牲者は増えていた。」
それを聞き、彼女はほっと息をついた。
瞼が再び閉じる。
戦いは終わった。
──だが、街の闇は、まだ消えてはいなかった。