第一章「孤狼たちの序章・2」
静まり返った部屋に、二人の息遣いだけが交差する。
カチリ──乾いた音を立てて、五嶌はエアガンの安全装置を戻した。
「もう一度だけ聞く。何のつもりだ」
女は肩で息をしながら、唇をきゅっと結んだ。
表情は思いのほか真剣で、ふざけている様子はない。
「弟子にしてって言ってるんだよ。聞こえなかった?」
「その前に、不法侵入だろ。警察呼ぶぞ」
「呼べば? お兄ちゃんの死因、ちゃんと説明してもらえるのかな?」
その言葉に、五嶌のまなざしがわずかに揺れた。
亜佳里は一歩前へ出る。
肩までの茶髪が揺れ、童顔には似つかわしくない鋭さを帯びていた。
「新妻和昭は、殉職ってことになってる。でも、あの夜の現場、矛盾が多すぎる。監視カメラのデータは消されてるし、報道も途中で止まってる。お兄ちゃんの死は、あんたと関係あるでしょ」
言葉に詰まりそうになりながらも、彼女は続ける。
「わたし、警察官になろうとした。お兄ちゃんみたいになりたかった。……けど、試験に五回落ちた。毎年、毎年……。バカだって、何度も言われた。でもやめられなかった」
「……」
「それでも無理だった。お兄ちゃんの死の真相を知りたくて動いてたら、ある日、ネットで見つけたの。公安の元刑事が開いた探偵事務所──“五嶌亮伍”。兄が生前、唯一“友達”って呼んでた人。……あんたしかいないって思った」
息を吸い、叫ぶように言った。
「だから、お願い。弟子にして。なんでもする。掃除でも、書類でも、聞き込みでも……。敵を、兄の仇を──この手で見つけたいの」
沈黙が落ちた。
その場の空気を裂くように、亜佳里は部屋の隅に目を向け、壁に飾られた古びた猟銃を手に取った。
「……?」
見よう見まねで銃口を自身の口元へと運ぶ。
彼女の手が震えるのが見えた。
「──死ぬ気で来たんだよ。そっちが本気じゃないなら、わたしは……」
次の瞬間。
五嶌の声が鋭く割り込んだ。
「やめろ。弾なんか入ってねぇ」
ピタリと動きが止まる。
「その銃、観賞用だ。分解してもトリガーは引けないし、マガジンも飾りだ。口にくわえる前に、せめて確認くらいしろ」
──静寂。
亜佳里は、ばつの悪そうな顔をして銃を下ろす。
しばらくの沈黙のあと、五嶌はため息をついた。
「……根性だけは、あるみたいだな」
驚いたように、亜佳里が顔を上げた。
「わかった…住み込みでいい。ただし、家賃はタダでも、給料は期待するな。三食と雑用、あと週一で警察からの依頼書類の整理が仕事だ」
「えっ、それって……」
「弟子じゃねぇ。雑用係だ。いいな。」
亜佳里の目が、ぱっと輝いた。
「やった……! え、あの、いつから?」
「今からだ。まずはその足元、散らかった書類を時系列で並べ直せ。時事案件だけ除けておけ」
「う、うん!」
勢いよく屈み込んだ彼女の動きはぎこちなく、資料の束がまた一つ崩れた。
「おい、余計に散らかしてどうする……」
五嶌が頭を抱える。
──静かに、だが確実に、止まっていた時間が再び動き始めた。