第6話 『明日』③
『んだと…!? どう言う事だそりゃあ!?』
『それじゃ、あのバケモンはお前の知り合いだってのか!?』
『うん……かなり、長い話になるけどね』
『その前にちょっと休憩しようか。…飲み物でもどうだい?』
そう言うとユーノは、震えながら泣いているアネモネを気遣うように、張り詰めた表情を緩めながら立ち上がると、自身の修復魔法で瓦礫を集め、簡易的な机とグラスを生成し、再び椅子に座ると、腰からぶら下げた鞄の中から、少し茶色く濁った謎の液体が入った丸い硝子瓶を取り出してから栓を外し、やがてそれを簡易グラスに注ぎ始めると、フィストは不思議そうな顔でそれを見つめながら、ユーノへと問いかける。
『便利な魔法だな…しかし』
『てかおい……なんだよ、その汚ねえ水は』
『これはお茶って言ってね、花や薬草を水に混ぜ込んだ飲み物さ。お茶には心を落ち着かせる効果があるんだよ』
『僕の魔法はあらゆる物を思うがままに治すことができるけど、心の傷だけは癒す事ができないからね』
少し悲しげに笑いながらそう答えて、それと同時に液体の注がれたグラスを二人の前へ置くと、どうぞ、と言わんばかりに手のひらを差し出した。
得体の知れない液体に、フィストは疑心暗鬼になりながらも、手で扇ぐようにして、まずはその匂いを確かめる。
すると、摘みたての花の様な良い香りが風に乗って鼻孔をくすぐり、それに少し驚いたような顔をしてから、恐る恐るその液体へと口をつける。
熱くはない筈の、そのお茶とやらを啜りながら飲むと、しばらくした後にフィストは蕩けた顔になり、ふぅ、と溜め息を吐く。
その様子をにこやかに眺めてから、その横で一人俯くアネモネを見て、ユーノは優しく問いかける。
『アネモネ。これから話す内容は、もしかしたら君の辛い過去を更に思い出させてしまうかもしれない…』
『これ以上聞くのは…やめておくかい?』
『そうだぜ、何より一番辛いのは、あの光景を目の前で見たお前だろうしな……』
ユーノに続いて、フィストも気遣うような顔でそう言うと、俯いた顔を上げてから微笑み、目の前に出されたお茶を少し飲んだ後に、アネモネは首を横に振ってから答えた。
『ごめんなさい…さっきは取り乱してしまって。でも、もう平気だから』
『二人とも、心配してくれてありがとう』
普段とは違う、少し他所行きな喋り方をするアネモネにフィストは少し驚くと、それをからかうようにして、すぐにいつもの表情で軽口を叩き始めた。
『おい…ユーノ』
『なんだい?』
『アネモネの様子がおかしい……普段なら『ありがとう♡』とか…絶対言わねぇぞ!?』
『この飲みもんに毒とか入ってねぇだろうな!?』
『え? いや、お茶には体に良いものしか入って……』
真面目な顔で原因を探すユーノは、しばらくしてから、まさか! といった顔で、何か原因を思いついたのか、すぐさま魔法陣を展開して、術式の構築を確かめる。
『もしかして…! 治癒魔法をかけた時に、何か重大な術式構築ミスが……!?』
『マジかよ!? おい大丈夫かアネモネ!?』
ぷるぷると体を震わせて、必死に笑いを堪えつつも更に茶化すフィストと、額に汗を流しながら真剣な表情で魔法陣の再構築を始めるユーノの二人を、心底呆れた表情で見つめながら、アネモネはいつものようにため息を吐き、
『おかわり』
と、お茶の二杯目を要求するのだった。
『それじゃ…君たちの故郷を襲った超越者、スマイルについて話そうか…』
『彼の本当の名前はアルシエラ。僕に…魔法の扱い方を教えた男だ』
『だが…それと同時に、この地…エデンシア大陸の三割ほどを支配している国、ヴァナ王国で、その実力が十分に認められた者だけが入ることのできる王国騎士団…その名を、星の騎士団』
『その中でも、国と世界の秩序を守るに相応しいと、王や貴族たちにより実力を認められた、八人の騎士団長たち……神星騎士の一人でもあった男さ』
『僕は…そんな彼に憧れた、何も知らないただの見習い騎士の一人だった』
◆
『おいユーノ、ちゃんと皆に付いて来い』
『し…団長…でも、もう…息が……』
肩に五芒星の印が刻まれた黒色の質素なローブや、革と鉄でできた甲冑をその身に纏いながら、急勾配の山道を、松明を片手に登っているどこかの騎士団と思わしき集団の中で、周りとは明らかに距離が離れている、肩くらいまで伸びたサラサラとした黒髪を汗に濡らしながらも、置いていかれまいと懸命に山道を登る、一見少女のようにも見える顔つきで、それを確信させてしまうほどの華奢な体つきの色白な少年……ユーノは、今にも倒れそうな程息を切らせながら、先頭を歩く隊長らしき男の言葉にか細い声でそう返すと、そのへなへなの声を聞いた周りの騎士たちが思わず吹き出すと同時に、やがて力尽きるように地面へと突っ伏した。
その光景を見ながら、やがて団長らしき男はやれやれと言った顔で道を引き返し、やがてユーノの体を軽々と背中へと担ぎ上げると、また早歩きで坂道を進んで行くのであった。
『ん……ここは…?』
暖かい空気と、何かが燃えている音に合わせて、ユーノの意識がだんだんと目覚めて行くと、やがてはっきりと開けた視界に真っ先に映り込んだのは、輝く星空と、綺麗に輝いた満月だった。
『やっと目が覚めたか、落ちこぼれ』
『アルシエラ団長が、ひ弱なあんたをここまで担いで来てくれたのよ? まったく…ちゃんと後でお礼言っときなさいよ?』
『はぁ…何でお前みたいな奴が星の騎士団に入れたんだか』
見晴らしの良い崖の上で、野営の準備をしながら焚き火を囲んでいる騎士たちの後ろで、黙々とテントを設置している見習い騎士たちは、ようやく目を覚ましたユーノへと近づいてから、その安否を確かめるように次々と厳しい言葉を投げかけると、やがて持ち場へと戻って行く。
その言葉に、申し訳なさそうな顔で笑って誤魔化すユーノの頭を、同じく見習い騎士の一人である、短く整えられた赤色の髪で、少し筋肉のついた体の、そばかすの目立つ色白い顔の少女……アンナが叩くと、続けざまにその手に持った金槌を目の前に差し出して、少しうんざりとしたような顔でユーノを見つめてから、やがて指示を飛ばす。
『はぁ…起きたんなら、あんたもさっさと準備を手伝いなさい』
『うん…ごめんね、アンナ』
その後ろでテントを設営している、同じく見習い騎士である二人の少年たちはその光景を見るや否や、即座にお互いの顔を合わせてから、いかにも悪だくみが上手そうなにやけ顔で、すかさず二人へと冷やかしに入る。
『相変わらずお熱いねぇ、お二人さんは』
『お前らの場合、背格好と顔が男女逆だけどな! ぎゃははははは!』
そう言いながら楽しそうに笑う二人を、アンナはすかさず睨みつけると、やがて何かを諦めたような呆れ顔でため息を吐いてから、やれやれと言った仕草で、持ち場へと戻って行く。
ユーノはそれに付いて行くように立ち上がり、自身のその細い脚に走るズキズキとした痛みを庇うように歩きながら、少し急いでアンナの元へと駆け寄るも、それに気づいた彼女は、ユーノの肩を軽く突き飛ばしてから、
『アンタはついて来んな!』
と、軽く一蹴するのであった。
それからしばらく時間が経つと、今にも泣きそうな表情で一人黙々と作業をするユーノを見て、先ほどの少年たちが何かを思いついたかのようにその場へと歩み寄ると、またもや何か悪戯を思い付いたのか、嘘くさい笑みを浮かべながら話しかける。
『よう、ユーノ…しっかしひでぇよなぁ、そばかすアンナのやつ』
『そうだぜ、ちょいとばかし剣の腕が人より立つからって言ってもありゃあ無ぇよな……。腕も脚もムキムキだしよ』
二人のその言葉を否定するように、ユーノは必死に首を横に振ってから、
『そんな事ないよ! アンナは本当は凄く優しいんだよ!』
『それに、とっても強いし、可愛いし!』
『あのそばかすもチャーミングで…』
『うるさい!』
と、辺りに丸聞こえな程の大きな声でそう叫ぶユーノの頭に、その色白な顔を赤くしたアンナの強めの拳骨が降り注ぐと、ユーノは頭を抱えながら地面をのたうち回る。
その光景を近くで見ながら、二人の少年は続くようにその場に笑い転げるのだった。
『カイン、ヘザー! あんたらもくだらない事やってないでさっさと手を動かしなさい!』
『へいへい』
そう気怠げに返事をすると、小柄でありながらも悪戯な性格が見て取れる顔の、仲の良い二人の少年、ヘザーとカインはユーノの腫れ上がった頭をぽんぽんと優しく叩いてから、自身の持ち場へと戻って行く。
アンナはその場でその光景を見届けてから、ふん!と鼻息を荒げて持ち場へと戻って行くと同時に、しばらく地面に横たわっていたユーノも、やがてふらふらと立ち上がり、服についた砂埃を払うと、またもや泣きそうな表情になりながら一人黙々と作業を始める。
『ふぅ…これであらかた完成かな』
『お前は、相変わらず器用だな』
それからしばらくして、一人でテント作りを進めながら、ようやく完成かといった所で一息ついていたユーノへと、後ろから誰かがそう声をかける。
その聞き覚えのある声に振り向くと、ユーノはすぐさま立ち上がってから、間をおかずに深々とお辞儀をする。
『師匠! また迷惑かけちゃってすみません!』
『お詫びに、僕…なんでもします!』
師匠、とそう呼ばれる男…アルシエラは、目の前の肩くらいにまで伸びた髪を振り回すかのようにお辞儀を繰り返す少年の肩に手を置いてから、ふぅ、と呆れたようにため息を吐いてから、
『師匠はやめろ、ユーノ。ここでは団長だ』
と、薄い笑みを浮かべながらそう言うと、ユーノはしまった、と言ったような表情で、すぐに両手を自身の口に当てると、またもやお辞儀を始める。
またもやお辞儀ラッシュへと突入した弟子を見て、どうしたものか、と言ったような顔でアルシエラは微笑むと、やがて肩に置いたその手を頭へと移してから、まるで動物をあやすかのように優しく撫で始める。
それからしばらくして、何かを思い出したかのような顔になり、その整った高貴な顔立ちを、少し悪戯な笑みへと歪めながら、照れくさそうにしているユーノの両肩へと手を置いて語りかけた。
『ユーノ……そう言えば、このお詫びは何でもするんだったよな?』
『は……はい、何でもします』
『そうかそうか、よく分かった。楽しみにしておけよ?』
『お前には早速…私特製、新作ポーションの実験台1号になってもらう事にした』
『え?』
にこやかに微笑んでいる、その一見優しげな表情とは裏腹に、絶対に逃さまいとがっしりと肩を掴まれたユーノは、その言葉に絶望するように悲鳴を上げると、すぐさまズルズルと、抵抗も虚しくその身体をテントの暗がりの中へと引き摺り込まれて行く。
その光景を少し遠くで見ていた二人の少年、ヘザーとカインは固唾を飲んでから、神へと祈るように目を閉じると、軽く敬礼をしてから、やがてその場を後にする。
『ユーノ……お前が星の騎士団に入団できた理由が分かったぜ…』
『ああ、お前は落ちこぼれなんかじゃねぇ…立派な騎士だ』
『俺たちは忘れねぇぜ…お前のこと』
ぶつぶつとそう言いながら焚き火の方向へと向かう男たちを、アンナは不思議そうに見つめてから、怪訝な表情で首を傾げると、それと同時に、少しばかり離れた場所に設置された、上級結界魔法の術式が施された団長のテントから、ユーノと思わしき声のとんでもない絶叫が響き渡ると、やがて全てを納得したと言った表情でその場へと屈み、祈りを捧げ始めるのだった。
『ユーノ…吐いたらサンプルが取れないだろ』
『ぅぼるぅえぇぇぇぇぇぇ』
『……しょうがない、もう一回飲んでもらうか』
『ひぇ!?』
『ひ、ひひょ……ひゃ、ひゃめ、ひゃめてくだ…』
『ひぎゃああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!』
『ユーノ…生きて帰ってこいよ』
……静かな夜に響いたその声に、騎士たちは涙を流しながら、それぞれが静かに無事を祈るのだった。
次回、暁月の騎士 第7話『明日』④