第3話 『帰ってきた男』
「ん……」
少し狭い部屋のベッドで心地良さそうに眠る少年、シオンは開いた窓から聞こえる鳥の囀りで目を覚まし、気持ちよさそうにぐっと体を伸ばした。
……もう朝か。
風で揺れるカーテンの向こうから部屋の中へと差し込む光をボーっと見て、シオンは昨夜の出来事を思い出す。
フィストの事を。
(フィストは、あそこで何をしてたんだ?)
その真相を確かめようと、ベットから起き上がり、身だしなみを少し整えてから外に出て、フィストの部屋に向かって歩き始めた。
◆
どうやって昨日の事を聞き出そうかと悩んでいるうちに、気づけば目的の部屋の前まで辿り着いてしまったシオンは、考えるのを後にして部屋の扉をノックする。
……コンコン。
「はぁい」
ガチャリと音を立てて開いた目の前の扉の向こうに見えた顔はフィストではなく、同じ部屋に住んでいるユーノの村の子供、シグなのであった。
「どうしたの、シオン兄ちゃん?」
不思議そうな顔でこちらを見つめながら、そう尋ねてきたので、
「いや、フィストにちょっと用があって……部屋にはいないのか?」
と、答える。
すると、シグはその言葉に頷いて、
「うん! アネモネ姉ちゃんと一緒にネルの町に行くって言ってたよ!」
と、そう答えた。
「そうか、ありがとう」
シグの頭を撫でながらそう言うと、自慢げな顔でえへへ、と笑う。
まるで天使のように輝くその笑顔に暖かい気持ちになりながら、
「フィストが帰ってきたら、俺が呼んでたって言っといてくれるか?」
そう言伝を頼むと、シグは両手を腰に当てて胸を張りながら、自信満々な顔で、任せて!と言い放って部屋に戻っていった。
天使だ。
間違いなくそう確信して、次の行き先を考える。
(昨日フィストがいた場所に、何か手がかりがあるかもな……)
行き先が決まると、シオンは村を後にした。
◆
ヴァナ王国の端に位置する小さな町、フィノリス。
今度はその隣に位置するネルの町で、またもや騒ぎが起こっていた。
「泥棒だあああああああああ」
野太い声が甲高く響き渡ったと共に、そこそこ栄えているその町の店から、二人の泥棒が飛び出した。
「やべぇ、逃げるぞ!」
二人の泥棒……そう、アネモネとフィストは、今日も懲りずにヴァナ王国まで盗みに向かっていた。
全力疾走で逃げながら二人で後ろへと振り返ると、鬼の形相で店主の男がこちらに迫ってきているのを確認し、そのあまりの足の速さに思わず悲鳴を上げる。
「待てやコルァァァァ!!!」
「ぎゃああああああああああああ!!!」
そう叫びながら、段々とスピードを上げてこちらへと追いついてくる男から発せられたとてつもない殺気に震えながら、アネモネはフィストに向かって叫ぶ。
「フィスト!! あんたが責任持って囮になりなさい!!」
「アホか!!! 間違いなく殺されるわ!!!」
フィストも負けじとアネモネに向かってそう叫ぶと、
「あんたの事は忘れないわ……絶対に」
と、アネモネは悲しそうな表情でそう言い放った。
「きゃぁっ!?」
しばらく二人でそんなくだらない言い合いをしていると、ついに男の手がアネモネの背中に背負っている荷物へと届く。
「捕まえたぞこの泥棒猫! 覚悟はできてんだろうな……?」
男が片手で荷物ごとその体を持ち上げながらそう言うと同時に、アネモネは一呼吸置いて、その顔を恐怖の表情に染め、全力で叫んだ。
「きゃあああああああああ!!!! 助けて!! 誰かああああああ!! この男に殺されるうううううううう!!!!!!」
突然の大きな声に男が怯んでいると、その悲鳴を聞いた町の人々が次々と集まり、やがて店主の男に向かって罵声を飛ばし始めた。
「おい! 何やってんだこの野郎!」
「今すぐその女の子を離せ!」
「こんな町中で……最低ね!」
「誰か! はやく自警団に通報してくれ!」
男がアネモネから手を離して弁明している隙に、華麗に雑踏の中をするりと抜けて、呆然と立ち尽くしたフィストと合流する。
「お前……まじでいつか罰あたんぞ……」
青ざめた顔で次々と罵倒されて行く男を見つめながらアネモネにそう言うと、
「うっさいわね! こうするしかないでしょ」
と開き直って、二人はまた走り始めた。
◆
村を出て、昨夜の場所へとたどり着いたシオンは、ヴァナ王国の方角から、男の悲鳴のようなものが山彦のように響き渡ってきた事に少し驚いた後に、辺り一帯を調べ始めていた。
「手がかりになるような物は特に無いな……」
そう呟くと、視界の端にキラキラと光る何かが映りこんだ。
「なんだ……これ?」
その方向へと歩みを進め、落ちている何かを手に取って見ると、その正体は謎の刻印が刻まれた指輪だった。
見たことのない紋様に首を傾げながらも、何かの手掛かりに違いないと確信したシオンは、早速調べようと少し急ぎながら村へと帰っていくのだった。
◆
急ぎ足で帰路についたシオンは、村の入り口の前に二人の人影が立っているのを遠目に確認すると、足音を消すように歩き始めた。
(……誰だ?)
恐る恐る近づきながらその正体を確かめると、そこにいたのは呆然と立ち尽くすアネモネとフィストの二人だった。
ひと安心しながらも小走りで二人の元へと駆け寄り、どうした?と声をかけると、反応はなく、やや唖然としながら二人は手に持った荷物を、まるで全身の力が抜けたかのように地面に落とし、やがて口を開き始めた。
「「ユーノ……?」」
二人が確かにそう言ったのを確認すると、シオンはその視線の方向へと顔を向けた。
そこには、確かに見覚えのある男が立っていた。
やや猫背で。
にこにこと笑っていて。
汚れた丸メガネで。
あんなに黒くて綺麗だった長い髪も、すっかり白くなっていて。
それでも誰かの為に命をかけてくれて。
暖かくて。
優しくて。
本当に優しくて。
誰よりも俺たちのために泣いてくれて。
そして誰よりも俺たちの為に怒ってくれる。
そんな大人。
ユーノが、確かにそこに居た。
子供達に囲まれあたふたとしながら、呆然と立ち尽くす三人の気配に気がつくと、昔よりも少しだけ皺が増えた顔で、
「ただいま」
と、笑顔でそう言った。
次回、第四話 『明日』