想いはここにある
(これでも届かなかったか…………)
全てを失い茫然自失となる剣一を見て、ディアが内心歯噛みをする。先ほど喰らった黒い火の影響が広がっているせいで下半身は黒く染まっており、両足に至っては既に塵と化してしまっていて、とっくに自力では動けない。
(追い詰められた人間が新たな力に覚醒して一発逆転……フフフ、やはり現実と物語は違うのじゃなぁ)
「クソッ、クソッ! こんなの全然イケてねーじゃねーか! 俺ちゃんはもっとやれるドラゴンだったろ!? ウェェェェェェェェイ!!!」
やけくそのようにニオブが叫ぶと、剣一を包む結界が輝きを増す。それはニオブが本当の本気……自分の存在、命すら魔力に変換し始めたから。だがそこまでやってもなお、ウロボレアスの力は半分も遮断できない。
加えて、飛来する黒い火は今も次々生み出されており、新たに一つ剣一の方に向かっていく。
「ディア! は駄目か。なら……ウェーイ!」
もう盾になる者はいない。故にニオブは自ら地を蹴り、巨大な亀の体が一メートルほど跳躍する。
「……ニオブ」
「ハッ! そんなしょぼくれた顔するなよイッチー……その道を、最後まで歩き通すんだ」
既に力のほとんどを使い果たしていたニオブの体は、ドラゴンとは思えないほどあっさりと塵になる。そんなニオブの最後に目もくれず、レヴィもまた全身全霊を振り絞る。
「全ての過去は今このために。全ての未来を今この時に! 友の、愛し子の想い、必ずワタクシが成し遂げてみせる! ウオーッホッホッホッホ!」
レヴィの腹から、大量のイクラがひり出されていく。それだけ見ればギャグ漫画のワンシーンのようですらあるが……卵とは、即ち未来。あり得たはずの可能性を全て結界内部に叩き込むと、それを潰して強引に汚染を上書きしようとする。
「っ!? 力が……っ!?」
「ウオ……ホッホ…………げふっ…………さあ、どうですか剣一さん?」
「あ、ああ。少し……少しだけ力が戻った感じがする……」
ほんのわずかに声を上ずらせる剣一に、しかしレヴィは悔しげに尾ひれをばたつかせる。
「少しだけ、ですか…………ワタクシの全てを費やしても、それが限界なのですね……」
「レヴィ!」
レヴィの体がぺたりと地面に落ちると、苦しげに口をパクパクさせる。しかもそこに、空から降る黒い火が近づいていく。そう、何も黒い火は剣一にだけ向かってきているわけではなく、単に動き回れさえすれば回避は容易だったというだけのことだ。
「全剣……抜刀!」
動けないレヴィに迫る火を、剣一は少しだけ戻った力で斬った。すると確かにスキルは発動し、火のある部分を斬ったという手応えが生じたが……
「――――っ!」
ただ刃が通り過ぎただけで、火そのものは斬れなかった。ちろりと落ちた火が燃え上がり、レヴィの体が黒く染まる。
「ああ、不甲斐ない……無力なワタクシを、どうか許して…………」
パクパク口を動かしたレヴィが塵に変わる。俯く剣一に追い打ちのように黒い火が迫り……剣一は、その場から一歩右に動いた。
ただそれだけで、火をかわすことができた。だがそのせいで、まだ残っていた結界は砕けて消えてしまった。
もう逆転の一手はない。徐々に密度があがる黒い火は、やがて自分も世界も、その全てを塵に変えてしまうのだろう。
「…………殺してやる」
声も涙も涸れ果てた剣一が、絶望の空よりなお紅い目でウロボレアスを見上げる。大事なものが全て失われ空っぽになった心に、生まれて初めて感じる強烈な敵意と殺意が満ち満ちていく。
「……殺してやる!」
今更それに意味などない。そもそもそれを為す術もない。だがどうしようもない感情だけが荒れ狂い、異常に重く感じられる剣を振り上げ……
「カカカ、やめておけ。お主にそういうのは似合わぬのじゃ」
「…………ディア」
そんな剣一に声をかけたのは、遂に腰から上の胴体と首だけになったディアであった。
「怒りも憎しみも、人が持つ自然の感情じゃ。昏い復讐の道を選ぶことも、ワシは否定せぬ。しかしケンイチよ、お主が進む方向は、本当にそっちでいいのじゃ?」
「…………だって、みんな死んだんだ。もう、誰も……だから……っ」
「ふむ、確かに皆死んだな。そしておそらく、ワシももうすぐ死ぬ。じゃが、それがどうしたというのじゃ?」
「どうしただと!? お前、何言って――」
「死んだら、それで終わりか?」
「…………え?」
「じゃから、お主にとって人とは、死んだら終わりなのかと問うておるのじゃ。確かに死ねば、そこより先はないじゃろう。じゃが死したその瞬間、その者が残した全てが消えてしまうのか?
お主のなかに、ユージの、メグの、ヒデオの、ヒジリの、エルの、ニオブの、レヴィの……そしてもうすぐ死にゆくワシは、何一つ残せておらぬのか?」
「……………………」
「違うと、ワシは信じておる。死してなお残るもの、繋がるものがあると。なあケンイチよ、お主はどう思う?」
「……………………あるよ」
ディアの言葉に、剣一は胸の前でギュッと拳を握る。
「ああ、ある。あるさ! 皆の想いは、ちゃんとここにある! でも、だったら俺はどうしたらいいんだよ!?」
「カカカ、それはお主自身が決めることじゃろう。じゃがまあ、強いて言うなら……己の内に残る面影に胸を張れる生き方を選ぶ方がよいとは思うぞ?
幸せな人生を送れば、よい思い出はいずれ風化して消える。じゃが己を苛む思い出は、死ぬまでずっとつきまとう。いずれ親が子から離れていくように、思い出の友達が笑顔で去って行けるような……そんな人生を送ることこそ最上じゃと、ワシは思うのじゃ」
「……………………」
深い深いディアの言葉に、剣一は何も返せない。だが祐二やエルや……自分の大事な友人達が、復讐に駆られてウロボレアスに特攻し、何もできずに無様に殺される自分の姿を喜ぶとはとても思えない。
『まったく、何やってるのさ剣ちゃん! 僕がいないだけでそんな風になっちゃうなんて……』
『ほんとだよー。これはおばさんに言って、きっちり叱ってもらわないとだねー』
『あの、剣一さん? もう少し落ち着いた方がいいんじゃないかなーって思いますよ』
『そうですわね。そのような暴力的な振る舞いをなされるのは、剣一様らしくないかと』
『俺ちゃんが背中に乗せた男が、そんなことでどうするのさ?』
『そうですわ! ワタクシが愛し子を任せると決めたのですから、そのような無様な姿を晒すなど許しませんわ!』
『ここまできてアタシに心配させるとか、アンタ馬鹿なの!? ……ほら、さっさと立って。大丈夫、アンタならできるわ。だって……ふ、ふんっ! これ以上は言ってあげないんだからね!』
「は、ははは……ははははは…………」
剣一の口から、乾いた笑い声が零れる。枯れ果てたと思った涙が、再び目から溢れてくる。
「俺の『覚悟』なんて口だけだった。どうにかなるだろって高をくくって、失敗したらどうなるかなんて、本気で考えてなかったんだ……」
失って初めて、強い想いが胸を刺す。だが後悔しているかと言われれば、剣一は首を横に振るだろう。
「でも、でもさ。もし時が戻ってやり直せるとしても、やっぱり俺はこの道を選ぶと思うんだ。だってディア達を殺してその先に行ったって……きっとこいつらは、誰も笑顔にならねーもん」
心の中の親友達は、皆笑顔だった。それは単なる妄想、思い込みかも知れないが、ちゃんと笑顔を向けてくれていた。
だがもし三体のドラゴンを殺す未来を選んだら、生きている彼らがそんな笑顔を浮かべているとは剣一には思えなかった。悲しい顔で生き続けるのと死んで笑顔を残すの、どちらがより幸せなのかは、剣一にはわからない。
「だから俺は……俺がやるべき事を精一杯やってみるよ」
故に剣一は、剣を構えた。怒りでも憎しみでもなく、ただ友に託された未来に向かって、もう一度剣を振るために。





