最後の手段
「くっ、このままではどうにもならぬ! ニオブはケンイチを結界で囲むのじゃ! レヴィはその内部を浄化して、少しでもウロボレアスの影響を薄めるのじゃ!」
「なーる! 了解!」
「ワタクシにお任せですわ!」
状況を見て叫んだディアの指示に、ニオブとレヴィが即座に反応する。ケンイチをギリギリ囲むような小さな……だが強烈な白光を放つ結界が形成されると、その内部にあるウロボレアスの魔力をレヴィが賢明に浄化していくが……
「ちょっとニオブさん!? 結界の内外が全然隔離されておりませんわよ!?」
「これでも全力なんだよ! クソッ、どんだけの圧力だってんだ……ウェェェェェェェイ!!!」
ニオブが全力で張った結界は、しかしウロボレアスの力を二割程度しか遮断できなかった。そしてレヴィの浄化魔法も、ごくわずかずつしかその影響を排除できない。
それは摂氏五〇度を超える酷暑日に、大きな窓を全開にしたまま四畳用のエアコンをフル稼働させるようなもの。実際剣一の体には、自覚できるような力の変化はなかった。
「イッチー、どうだ!?」
「……悪い、全然何も感じない」
「やっぱそうか。ディア、時間を稼げ! こりゃ相当かかるぞ!」
「わかっておるのじゃ!」
ニオブの声に、今度はディアが一歩前に歩み出る。そうして空を舞う黒い火の綿毛がフワフワと剣一に近づいていくのを確認すると、徐にその手ではたき落とした。
「ぐぅ……っ!?」
「ディア!?」
途端、ディアの手が黒く染まる。艶のあった黒い鱗が墨のように輝きを失い、軽く動かしただけでその指先がボロボロと崩れ落ちる。
「むぅ、やはりワシ等の体でもこうなるか……」
「ディア! どういうことだよ!?」
「どうもこうも、見た通りじゃ。この空を舞っておる無数の黒い火は、ウロボレアスの力の欠片。命あるものが触れれば、こうしてエネルギーを奪われてしまうのじゃ。
ワシはドラゴンじゃから多少耐えられるが、人間が触れれば一瞬で塵になってしまうじゃろうな」
「そんな……っ!? そんなものが、こんな沢山……!?」
朱く染まった空には、黒い火が数え切れないほど舞っている。しかもそれは今もウロボレアスの体から放出され続けており、風もないのに全周に向けてゆっくりと広がっていっている。
「俺が……俺がスキルを使えたら、あんなの全部斬れるのに……っ」
「カッカッカ、そういう埒外の輩がいるからこそ、ウロボレアスの加護封じは強力無比なのじゃ。
さあ、ここは何とかワシが防ぐ。じゃからその間に、お主達はケンイチの力を何としてでも取り戻すのじゃ」
「ウェイウェイウェイウェイ! アゲていくぜー!」
「これほど必死になるのは何千年ぶりでしょうか……鱗が光りますわ」
炭化した手をプラプラと振るディアの言葉に、ニオブとレヴィが更にやる気を出す。そうしてしばし時が流れ……
「ディア…………もう…………っ!」
「ハァ……ハァ…………まだ、まだやれるのじゃ…………」
泣きそうな顔で立ち尽くす剣一の前で、ディアが荒い息を吐く。その右腕は肩の位置からえぐれており、左腕の方も肘から上が辛うじて残っているくらいだ。
「ぬおっ、しまっ!? こなくそなのじゃ!」
またもふわりと漂ってきた黒い火を、ディアがその身で防ごうとする。だが体がよろけてしまい、黒い火がディアの横をすり抜けてしまう。
故にディアは、慌てて腹で火を受けた。するとぽってりと膨らんだ腹に黒い絶望が広がり、炭化した皮膚が崩れて削り取られたかのようにへこみができた。
「ディア!」
「ぐぅぅぅぅ…………これはちょっと失敗したのじゃ。やむを得ぬ、最後の手段を使うか……」
ただ立っているだけ、見ていることしかできない剣一が悲鳴のような声をあげると、体をふらつかせたディアがそう呟く。すると次の瞬間、ディアの周囲の空間が歪み……現れたのは祐二、愛、英雄、聖、そしてエルの五人であった。
「えっ!? 何!?」
「ディアちゃん!? 何それ、酷い怪我してる!?」
「すぐに回復魔法を……スキルが発動しない!?」
「それにこの空気……うっ、気持ち悪い……」
「体も滅茶苦茶重いし……何なの、どうなってるのよ!?」
「カカカ、呼びつけてすまぬな。じゃが細かく説明している余裕もないのじゃ。ケンイチを助け世界を救うために、お主達の力を借りたい」
「力を借りたいって……僕達に何かできるんですか?」
弱々しいディアの言葉に、祐二が顔をしかめながら問う。そもそも祐二は……というか他の面々も、許されるならこの場に来たいと思っていた。だが実力的に足手まといにしかならないので、泣く泣く断念したのだ。
そしてそれは、今この場に来たことで全員が実感している。むせかえるような魔力に立っていることすらおぼつかない状態で、更にスキルまで封じられているというのなら、ただの子供でしかない自分達にできることなどあるとは思えなかったのだ。
しかしそんな祐二に、ディアはニヤリと嗤って言う。
「ああ、できる。お主達には、ケンイチを守る盾になってもらいたい」
「盾? それって――」
「おいディア、ふざけんな!」
言葉の意味を一瞬で悟り、剣一がディアを怒鳴りつける。だがディアはそんな剣一を一顧だにせず、そのまま祐二達に話し続ける。
「見てわかると思うが、ワシの体はそろそろ限界での。力を取り戻すため動けぬケンイチの位置に黒い火が来たら、それをその身で防いで欲しいのじゃ」
「ディアちゃんでも防げない攻撃を、私達で防げるの?」
「ああ、防げる。黒い火は対消滅。一度だけなら人間でも防げる」
「対消滅って……つまり、それを受けたらアタシ達は……」
「死ぬ。塵になってこの世から消えるじゃろう」
「馬鹿! やめろ! 今すぐ皆を元の場所に戻せ! ディア!」
「……わかりました」
「英雄!? 何言ってんだ!?」
結界のなか、動くわけにいかない剣一の正面に立ち、英雄が静かに語る。
「……神様に『世界を救え』って力をもらった時、いつかこんな日が来るんじゃないかって、覚悟はしてたんです。だって正直、僕達がニオブに……光塵竜ニオブライトと戦って勝つ未来なんて、全然思い浮かばなかったですから。
だから剣一さんに助けてもらった命、今ここでお返しします。僕達の代わりに、どうか世界を救って下さい」
そう言ってぺこりと頭を下げると、英雄が剣一に背を向ける。するとそこに剣一に命中する軌道で黒い火がふわりとやってきて……英雄は躊躇うことなく、その火に拳を叩きつけた。
瞬間、英雄の体が黒く染まる。勇敢な目で遙か天空のウロボレアスを見つめる背中が塵に変わり、跡形もなく消え失せる。
「……ひ、ひで……ひで、お?」
「英雄様……ご立派な最後でした。では次は私ですわね」
「聖さん!? やめ、やめろ! やめてくれ!」
「申し訳ありません、剣一様。今日までに四人目を見つけられれば、あるいは何か違ったのかも知れませんが……至らぬこの身ができることは、もう一つしか残されていないようです」
「ちがっ、違う! そんなのどうでもいいんだ! だから早く――」
「ふふっ、ここで逃げたりしたら、お祖父様に怒られてしまいますわ。
さあ、刮目しなさい永炎竜ウロボレアス! これが私の生き様ですわ!」
叫ぶ聖が、剣一に向かう火を思い切りビンタする。完全と邪悪に立ち向かう聖女の姿は黒化してなお絵画のように美しく……そして世の儚さを体現するように、あっという間に崩れて消える。
剣一が初めて指導した、自慢の後輩。その若い命が、こうしてあまりにもあっけなく二つ失われた。





