それぞれの努力
一〇月三日。その日剣一はリビングで漫画を読んでいた。既に何度も読み返した本ではあったが、今度アニメ化するというので改めて読み始め、ペラリペラリとページをめくる手が止まらなくなった頃。不意に剣一の後頭部にピチャッと冷たい感触が走った。
「はーい、剣ちゃんアウトー!」
「え、今の!? 嘘だろ!?」
ニヤリと笑う祐二に、剣一が焦りの声をあげる。だが祐二は渋い顔で首を横に振ると、スマホに表示されていたタイマーをタップして止めた。
「今回は五八分だったね」
「うあー! あとちょっとで一時間だったじゃん! 何でそこまで待たなかったんだよ!」
「そりゃ待たないよ。訓練なんだし」
そう言う祐二の手にあるのは、小さな子供が遊ぶようなシャボン玉の玩具だ。そして二人が行っているのは、対ウロボレアス戦を見据えた剣一の長時間警戒訓練である。
当たり前の話だが、人間の集中力には限界がある。ダンジョン内部のような危険地帯において気を引き締める、くらいならそこそこ保つが、刹那の判断が命の明暗を分ける戦闘中のような集中は、どんな達人だろうとせいぜい一〇分くらいが限界となる。
が、今回剣一に求められるのは、敵がこの世界に入ってきた瞬間を斬り捨てる……つまり戦闘中のような集中を、数十分とか数時間、場合によっては数日維持することだ。そんな人の限界を超える集中力を身につけるには、どうすればいいか? 祐二の出した答えは「気を抜いている状態での警戒度を集中してるときくらいまで磨き上げる」であった。
「なあ祐二、これスゲー難しくね? そりゃ集中してりゃわかるけど、そうじゃねーときにシャボン玉ができたかどうかなんてわかんねーって!」
「僕だってわかんないと思うけど、でも今の剣ちゃんに求められるのはこういうレベルらしいからね。
それにディアさんが言うには、ウロボレアスが世界に入ってくるときに生じる空間の歪みは、シャボン玉が膨らむ感じに近いってことだから、これをいつでも完璧に捕らえて斬れるようになったら、きっと本番も楽勝になるよ」
「むぅ……」
「さ、次いこう。あーでも、また同じ漫画だとシャボン玉に意識が向き過ぎちゃうから、何か別のものの方がいいかな?」
「別のって、何だ? アニメでも見るのか? 流石にゲームやりながらはまだ無理だと思うんだけど」
「そうだね……あっ」
考え込んでいた祐二が、不意に声をあげる。だがその表情はとても渋い。
「ん? どうしたんだ?」
「いや、そういう集中力を磨く最適な訓練方法が思いついたんだけど……」
「おおー、流石祐二! で、どうやるんだ?」
「うーん……これ、僕が思いついたって言わないでね?」
「? 別にいいけど?」
「じゃあ言うけど……まず剣ちゃんが実家に帰るんだ。で、時々おばさんに部屋を訪ねてもらうように頼んで…………鍵のかからない自分の部屋で、えっちな動画を見る、とか……………………」
「……………………いや、それは…………ほら、あれだよ。確かにスゲー集中力が鍛えられそうだけど、でも、ほら。流石に……な?」
「……そうだね、流石にね。じゃあまた漫画にシャボン玉でいい?」
「おう! 頼むぜ祐二」
目の前のことに集中しながら周囲の気配を探る能力が抜群に鍛えられそうな訓練ではあったが、失敗した時に失うものが大きすぎる。ベストを尽くすならやるべきかも知れないが、剣一にだって譲れないものはあるのだ。
故に二人はしょっぱい顔でしばし見つめ合うと、改めて漫画を読んだり、シャボン玉を膨らませたりし始めるのだった。
「ふぅ、また空振りですわ…………」
時を同じくした頃。光岡 聖もまた自室でため息を吐いていた。といっても勿論その理由は、親友から有効だがアホな提案をされたからではない。
「どうしても……どうしても四人目が見つかりませんわ…………」
世界を救うために特別なスキルを与えられた四人。その最後の一人を探すのが、今の聖の目的だ。
「ディア様の話では、最後の一人が揃えば私達のみならず、世界中の人を……剣一様をパワーアップさせることができるはず。ならば今こそ彼、あるいは彼女を見つけなければならないのに……」
神の使徒四人が揃った時、初めて使えるようになる特別なスキル<共栄>。ウロボレアスの話を聞いた時、聖の頭に浮かんだのはかつて聞いたそのスキルの存在だった。
剣一が強くなるのみならず、自分達にも剣一の力の一端が与えられるならば、今度こそ自分達も世界を救うために戦える。それは剣一の負担を大きく減らすことに加え、ニオブとの戦いの際、見ていることしかできなかった英雄の心を救うことにも繋がる。
故に聖は祖父である白鷺 清秋の力もフル活用して情報を集めているのだが……その結果はどうにも芳しくなかった。
(そもそも私達四人は、運命に導かれて出会うようにできていると言われましたわ。実際私と英雄様、エル様の出会いはそうなるように決まっていたとしか思えないものでした)
三人が出会ったのは、日本のとある遊園地だった。顔を合わせた瞬間に互いのスキルが勝手に発動し、そのまま三人とも気絶してしまったのだ。その後は医務室で目覚め、そこで互いのことを話し合った結果、皆が神に選ばれたスキルの持ち主だと判明したわけだが、そこには大きな疑問が残っている。即ち――
(ならば何故、あの時四人目の方はいらっしゃらなかったのでしょうか?)
生まれも育ちも、エルに至っては国すら違う三人が同じ場所に集められたのに、どうして四人目だけがそこにいなかったのか? 四人揃うことで真の力が発揮されるというのなら、どうして三人だけなのか?
可能性としてもっとも高いのは、四人目が既に死んでいるということ。だがそれは考えても意味がないことであるし、何より「神に選ばれた存在」が出会うことすらできない……「始まる前から終わっている」などという状態になるとは、聖にはとても思えない。
故に軽く頭を振ると、聖は思考を切り替える。
(出会えなかったことには、何か理由があるはず……あの時に出会ってはいけなかった? あるいはまさか……もう出会っている?)
聖の脳裏に稲妻が走る。そうして最近出会ったばかりの人々の顔とスキルを頭に浮かべていくが……
(いえ、それは流石に荒唐無稽すぎますわね)
真っ先に思い浮かんだ剣一は、<剣技:->のスキルを持っていることを知っている。祐二や愛にしても<槍技>と<回復魔法>であることは協会証を見せてもらったことがあるので間違いない。
アリシアのスキルは剣一と同じ<剣技:四>だったし、ロシアからやってきた少女クサナのスキルは、物事の本質を見抜く<真眼>だと本人が言っていたのを覚えている。
唯一よく知らないのは中国から来たミンミンで、歳も近いため候補としては有力だが……
(先日剣一様から聞いた話ですと、かなり追い詰められた状況でも特別なスキルを発動したということはなかったようですから……やはり違うのでしょうね。
はぁ、いっそ剣一様がそうであれば、私も納得できるのですが)
剣一が神に選ばれた四人目の使徒であったなら、自分も英雄もエルも、誰もが大いに納得する。だが剣一のスキルが<剣技>である限りそうはならず、巡っていた思考が振り出しに戻されてしまう。
「益体もないことばかり考えていても仕方ありませんわ。さて、調査を再開しましょう」
テーブルに置かれたカップからアイスティーを一口含むと、聖は新しい資料を手に取る。協会証は任意取得なので一般人ならスキルを隠したり誤魔化したりするのはそう難易度も高くないため、どうしても一人一人の丁寧な調査が必要なのだ。
「残りは三〇〇人ほどですか。これで駄目だったらもっと調査範囲を拡大して……未だスキルが覚醒していない一〇歳未満の子供も、場合によっては調査対象にするべきですわね。
ふふ、これは私にしかできない仕事。頑張りますわ!」
お国のため、世界のため……そして何より、大事な友達のため。聖は気合いを入れ直すと、大量の文字が躍る書類に再び視線を走らせていくのだった。





