模擬戦その一 天空の王者
時はわずかに遡り、ある者が頭を、ある者が腹を抱える少し前。基地を飛び立った剣一は、オアフ島周囲の海上にて優雅な空の旅を楽しんでいた。
「はー、気持ちいいな!」
「そうじゃな。こうしてのんびり飛ぶのも悪くないのじゃ」
現在の進行速度は、時速七〇キロ程度。速いと言えば速いが、マッハで飛行する戦闘機と比べれば亀のような速度だ。
といっても、勿論これがディアの限界というわけではない。今回の模擬戦の予定飛行コースは大きく迂回しても一〇〇キロくらいなので、あまり速く飛ぶと戦闘が起こらないままに終わってしまうからだ。
「それでケンイチよ、これからどうするのじゃ?」
「うーん、そうだな。こっちから攻めすぎるとあっという間に終わっちまうし、とりあえずは相手の出方を……うん?」
「お、何かくるのじゃ」
目で見えたわけではない。だが何かが猛烈な勢いで自分目がけて飛んでくることに、剣一もディアも気づいた。それはすぐに予想ではなく現実となり、空を斬り裂く鋼鉄の矢が瞬きの間に剣一に迫ったが……
「よっと」
「フンッ! これケンイチよ、もうちょっと考えて斬るのじゃ!」
「ああ、悪い悪い。でもあのくらい平気だろ?」
「まったく、お主は雑じゃのぅ」
休日のお父さんがラジオ体操をしているくらいの雰囲気で剣一が腕を振るえば、目前に迫ってきていたミサイルが真っ二つに裂ける。銃弾の時と違って体積が大きく、そのままだと二つに分かれた状態のまま剣一達に当たりそうだったが、そこはディアがあっさりと魔法で吹き散らした。
ディアの苦笑を自身もまた苦笑で返すと、剣一は改めて落下する破片に意識を向ける。
「今のって多分、ミサイルだよな? てことはそろそろ敵が来るのか」
「思ったよりも早かったのじゃ。ではケンイチよ……」
「ああ」
請うように問うディアに、剣一は笑ってその頭を撫でる。
「ドッグファイトってやつをやってみようぜ」
『嘘だろ、また無効化された!? どうなってるんだよ!?』
コールサイン「バルチャー1」と呼ばれるパイロットは、その事実に驚愕する。追加で三発連続で撃ったミサイルも、その全てが爆発すらせず迎撃されてしまったのだ。
『チッ、もう距離が近い! こうなったら……短距離ミサイル、全段発射!』
レーダーの反応する場所に見えた、黒い点。視認できる距離など空では無いも同然なので、パイロットは搭載されていた残り全てのミサイルを発射した。だが……
スパスパスパスパッ!
『はぁ!?』
優れた動体視力を持つパイロットは、白い雲を引いて飛んでいったミサイルが空中でバラバラになる様を確かに見た。驚愕に口を開けながら剣一達の横を高速で通り過ぎると、そこで更なる驚愕に襲われる。
『待て、追いかけてきてる!? 一体どういう原理なんだ!?』
バックの取り合いは、由緒正しき戦闘機の戦い方だ。なので当然自分も、すぐにUターンして戻るつもりだった。だがドラゴンは自分が抜き去った直後から、まるで慣性の法則などないかのようにいきなり反転してピッタリと自分に着いてきている。
『あり得ない、どんな挙動だ!? くそっ、振り切れない!』
インマンメル、シュワベル、ナイフエッジ……実戦だけでなく曲芸飛行で使うようなマニューバまで駆使したが、ドラゴンは振り切れない。その事実にパイロットが恐怖する一方、ドラゴンを駆る剣一はご機嫌だ。
「ヒャッホー! ジェットコースターみたいだぜ」
「ほれほれ、もっと機敏に逃げ惑わねば、すぐに捕まえてしまうのじゃ!」
急加速と急制動を繰り返す熟練パイロットの操縦も、ディアからすれば猫を前に逃げ惑う鼠と変わらない。即座に落とさないのは単なる気まぐれであり……つまり両者にはそれほどの差がある。
ちなみにこの挙動で剣一に一切の加重がかかっていないのは、これが通常の物理法則に基づいた飛行ではなく、重力制御魔法による浮遊だからだ。ディアの背に乗っている剣一はディアと一体と見なされ魔法の影響を受けているため、どれだけの高速起動をしても「ただそこに座っているだけ」と変わらないのである。
とはいえ大気中を高速で移動しているので風だけは吹き付けてくるが、これも一定以上の強い向かい風は剣一が無意識に斬り裂いてしまっているため、結果として剣一が感じていたのは、ちょっと強めの向かい風くらいであった……閑話休題。
「ふーむ、これはこれで面白かったが、これ以上からかうのは流石に悪趣味かのぅ」
「だな。アトラクションみたいで楽しかったけど、まだ始まったばっかりだし……よし、ディア。追い越して乗っかれ!」
「承知!」
瞬間、戦闘機の背後に張り付くように飛んでいたディアが速度をあげて追い越すと、あろうことかその場でクルリと振り返り、正面を向いてノーズの部分にちょこんと乗っかる。
『乗られた!? は!? え!?』
「お主が何者か知らぬが、なかなか楽しかったのじゃ! じゃがこれで……終わりなのじゃ!」
ディアがトンと足を蹴ると、その衝撃で戦闘機のノーズが下がり、地面に向かって垂直に落ち始める。パイロットは慌てて姿勢を立て直そうとしたが、操縦桿は何の反応も示さない。
『何で…………?????』
「あんた、いい腕だったぜ!」
キャノピーから見える左右の空に、斬り落とされた愛機の翼が落ちていく。呆気にとられるパイロットが顔をあげると、ニヤリと笑ってサムズアップした剣一があっという間に飛び去っていった。
バンッ!
『あー、あー、司令室、聞こえるか?』
『こちら司令室。バルチャー1、どうした?』
『当機はターゲットにより撃墜された。脱出装置は正常に稼働。回収を頼む』
『司令室、了解。直ちに救援部隊を送る……バルチャー1、人類で初めてドラゴンライダーと交戦した感想はどうだ?』
『ん? そうだな……』
パラシュートに揺られながら、パイロットが考える。見上げた空に輝く太陽は、皮肉なほどに眩しく暑い。
『これでも腕利きのパイロットだったつもりだが、どうやら俺はゲオルギウスにはなれないらしい。あれに剣で勝てるとか、そりゃ聖人って呼ばれるさ』
『ハハハ。なら今夜は一杯奢るから、英雄譚を聞かせてくれ』
『…………バルチャー隊、全滅しました』
『わかりました。パイロット達には労いの言葉を送っておいてください』
様子見として投入された最初の一機が撃墜されてから、二〇分後。送り出した一二機全てが撃墜されたという報告を受け、キャサリンは努めて平静を装いながらそうオペレーターに告げた。
だがその内心は、当然ながら穏やかではない。今回の模擬戦はそもそもドラゴンの使う転移魔法の情報を集めることが裏の目的だったというのに、その全てが物理的な力で迎撃されたうえ、転移魔法を一度も使わせられなかったのだから当然だ。
「いやはや、ドラゴンというのは凄まじいな! まさか戦闘機を相手にここまで戦えるとは……ミスター・シラサギ。これはミスターの想定通りかね?」
「ええ、まあ。彼らの強さは孫からよーく言い聞かされておりますからな」
「ほう? 自分が知っているとは言わないのかね?」
「ははは、私如きではあの高みを図ることなどできませんよ。それで、どうされますかな、大統領。こちらとしては、もう少し続けていただけると嬉しいのですが」
「無論だ。我々は交わした約束を途中で反故にしたりはしない。そうだろう、キャサリン君?」
「そ、そうですね…………問題ありません、大統領」
最新鋭ではないとはいえ、戦闘機一二機は途轍もない金額だ。しかも自分達の欲した情報を得られないとなると、国防長官としてのキャサリンは今すぐにでもこの模擬戦を止めたかった。
だが前払いの対価を受け取っている以上、そんなことできるはずもない。引きつりそうになる口元を何とか抑え、和やかな笑みを浮かべてみせる。
そして清秋としても、この程度で引き下がられては困る。この模擬戦を覗き見しているであろう第三勢力に対し、もっと強く大きく、はっきりと剣一やディアの強さを見せつけておかなければならない。
「共通の見解を得られてホッと致しました。では空を制した蔓木君達が、次は海でどう活躍するか……ゆっくり続報を待たせていただきましょう」
剣一宅のリビングと違って、ここに入ってくるのは情報だけ。それでも清秋は楽しげに笑い、やや硬めの背もたれに背中を預けた。





