婚約破棄の裏側で
「すまなかった、アドルフ。この通りだ」
目を据わらせ、椅子に座り足を組むアドルフの前で、国王ユリウスは土下座をした。
視察から帰って来て真っ先に知らされたのは娘の婚約破棄。
そして勝手に他者と婚姻させられているというではないか。
それを独断でやったのが、よりにもよって親友……国王の息子。しかも王太子の座にある若……バカ者である。
その事を聞いた国王夫妻は真っ青になり、すぐさま息子の自室へ向かった。
するとそこには裸で抱き合うバカ息子と見知らぬ女性がいたのだ。
激昂した国王は、女性を追い出し息子を謹慎処分とした。
国王不在時にはその執務を代行する筈が殆どされておらず、帰城するなり疲れも取れぬまま執務に明け暮れるはめになった。
両親はあんなに一途なのに、息子は何故他に目が行ったのかアドルフも驚きはしたが。
ユリウスが甘やかしてきたからだろうと思っていた。
その責を被るように自身の目の前で土下座したままの友人を見て、アドルフは溜息を吐いた。
「まぁ、すっっっっごく許せないが、無能の割にいい男を見繕ったよなぁ」
ぼそりと呟かれた言葉に、立場が上であるはずの国王はビクリと肩を揺らした。
「王国の盾、と言えば分かるよな」
「まさか……」
「何の皮肉だろうね。一人で一個隊を殲滅した男と結婚させるなんてね。
彼をどうにかすれば王太子なんて、ねぇ」
アドルフの言葉に国王は嫌な汗をダラダラと流した。
「良かったな、英雄が人格者で」
「かっ、彼は稀に見る良い男だ!」
先の戦にて武功を上げた英雄ディートリヒ・ランゲは、陞爵を辞退した。自分には不相応として。
だが国を救った英雄たる男に無報酬では角が立つ。仕方なくユリウスは、莫大な報奨金と子爵位とその領地を授けたのだ。
無欲で奢らない彼のひととなりは大変好ましく、正直デーヴィドが勝てるのは地位だけだった。
「俺としては王太子殿下よりこちらの方が良い。浮気もしなそうだし、何より結婚したなら妻を大事にするだろう」
父親としては複雑だが、娘を託すには最高の人材である。
「だが、カトリーナの気持ちがな……」
公爵家の影の調査で、カトリーナはランゲ伯爵を嫌っている素振りであるとは知っていた。
顔にある大きな傷を見ると顔を顰めるらしい。
だがある夜会で彼に何かを言って以来、ランゲ伯爵は極力カトリーナの視界に入らなくなった。
すると、今度はカトリーナの目線が伯爵に行くようになったとの報告だった。
勿論それは恋情などではなく、言い過ぎたという罪悪感からなのだが、素直になれないカトリーナが謝罪などできる筈もなく今に至る。
そんな二人が無理矢理婚姻させられたと聞けば心配にはなったが、貴族院に提出済の婚姻の書類は例え国王とて今更撤回もできず。
「聞けばカトリーナ嬢は記憶を失ったそうじゃないか」
「ああ、どこかの誰かが近衛に捕まえさせようとして逃げたせいだと言っていたな」
「むぐっ……」
「ユリウス、殿下の処遇、期待しているよ」
未だ土下座したままの国王の耳元で囁いた。
アドルフが公爵邸に戻ると、執事から手紙を渡された。
差出人はディートリヒ・ランゲ。
望まぬ婚姻を強いられた男からはカトリーナの現状を知らせる手紙が届いていたのだ。
それらを読んで、アドルフはディートリヒに会う事にした。
翌日、騎士団の詰め所に立ち寄ったアドルフは、ディートリヒを呼び出した。
「忙しい所すまないね」
「お目にかかれて光栄です」
握手を交したあと、副団長室のソファに腰掛けた。
「単刀直入に聞こう。カトリーナを愛しているか?」
公爵に問われ、ディートリヒは真剣な表情になった。
「愛しています」
「カトリーナは君を嫌っている」
「それでも……」
俯き、何かを堪えるように膝の上で拳を固く握り締める。
「申し訳ございません。手放したくありません。本来であれば離縁するのが筋なのでしょうが……」
「ああ、いい。離縁を望んでいるわけでは無いんだ」
アドルフのその言葉に、ディートリヒは訝しげに顔を上げた。
「君があの子を愛しているなら、離縁は望まない。独りにするより君の所にいた方が安全だからね。
娘は王太子の所業を知っていた。不貞を働く間、カトリーナが殿下の執務をこなしていたようだ。だがこれ以上利用されたくない。
貴族夫人であればおいそれと手は出せないだろうからね、婚姻していた方が都合は良いんだ」
「では……」
「私からの願いは、娘を見捨てないでやって欲しい。そして、愛してほしい。それだけだ」
おそらくカトリーナは実家に帰りたがる。
だが未婚であればアドルフが盾にならねばならない。しかし宰相の地位にいる彼が娘の全てに目を通せるほど暇ではない。
それならば、王国一安全な男の下にいた方が良いと判断したのだ。
「私から見捨てる事はありません。幸せにしたいと思っています。
……彼女からすれば嫌いな男と、ではありますが」
「……君は娘のどこを気に入ってるんだ?」
嫌われても側にいたいと願う男は、少し顔を赤らめる。
「私はこの顔の傷のせいで社交界で疎まれました。少し自棄になった時がありまして。
そんな時、彼女が人知れず頑張っているのを見て……勝手に励まされていました。
まあ、その後王太子殿下との婚約が発表され、終わったはずでしたが…」
何の因果か、想いを寄せる相手が懐に転がり込んできたのだ。やすやすとは離さないだろう。
「君は娘を想ってくれているんだな」
カトリーナを思い出しているのか、ディートリヒの瞳は優しく穏やかな表情をしていた。
それはいつかの自分が、愛する妻へ向けていたものと同じで。
「娘を頼む。寂しい思いをさせないでくれ」
「承知しました。お嬢様を独りにはしません」
そうして、ディートリヒとアドルフはカトリーナを守るという約束をしたのだった。
それからのアドルフは、娘が幸せになる様を見ていた。
婚約破棄をされた時は王太子に憤ったが、カトリーナにとってはディートリヒとの方が良かったのかもしれない、と思い直す事にした。
傍から見ればかなりの仲良し夫婦なので割り込めないのは複雑だが。
「マリアンヌの言う通りになったのかな」
空を見上げれば妻の瞳と同じ色。
『カトリーナは幸せになるのよ』
どこかでそんな声が聞こえた気がした。




