君がいてくれて良かった
「アドルフ、そろそろ屋敷に戻れ」
妻が亡くなって数カ月。
流行り病も沈静化し、普通の生活に戻ったがアドルフは相変わらず王城で寝泊まりしていた。
理由は簡単。
「帰ってもマリアンヌはいないからな」
さも当然のように言う親友に、ユリウスは眉を顰めた。
「カトリーナがいるだろう。母親を亡くし、父親まで帰宅しないってなると寂しい思いをしてるんじゃないのか」
我ながら酷い父親だとは思っている。
だがあの時、一瞬でもカトリーナがいなければと思ってしまった事は、アドルフの中で後ろ暗いものになってしまっていた。
「……俺がいなくても使用人はたくさんいる」
「他人と親は違うだろう?カトリーナの元へ帰れ」
だがアドルフは帰宅しなかった。
妻を失った悲しみを忘れるように仕事にのめり込んだ。
誰が何を言っても、何度言っても忠告を無視した。
それを見かねたユリウスは、カトリーナを王城に招いたのだ。
だがいくら親友という間柄とは言え、一つの家を贔屓にしては角が立つ。
カトリーナは、国王の息子──つまり王子の婚約者候補として登城するように肩書を与えたのだった。
ユリウスとしては二人いる息子のうちどちらでも良かったが、年上のデーヴィドにカトリーナは懐いた。
デーヴィドの意向も聞き、問題無いと確認した上でやがて二人の婚約は結ばれる事となったのだ。
デーヴィド7歳、カトリーナ5歳の時だった。
この頃になるとがむしゃらに働いていたアドルフは少しずつ立ち直りかけていたが、約2年、娘を放置していた事はアドルフに重くのしかかった。
しかし、このままでいてもいけないと思ったアドルフは重い腰を上げ帰宅する事にしたのだった。
「お帰りなさいませ、お父様」
久しぶりに帰宅したアドルフを迎えたのは無表情のカトリーナだった。
あまりにも年相応とは言い難い娘の様子に、アドルフは戦慄した。
マリアンヌが生きていた頃のカトリーナは母とよく笑う子だった。
無邪気で、素直で。
だが母を亡くし、父も帰宅しない。
寂しさから彼女の心は閉ざされてしまったのだろうか。義務の一言をかけるとすぐ自室に引き上げて行った。
『カトリーナ、大好き。愛してるわ。私の可愛い娘』
マリアンヌはいつも娘を愛おしそうに抱き締めていた。
熱を出した時は自分の時より心配し付き添い励ました。
初めて歩いた時は「私の子なのに運動神経抜群だわ!」と目を輝かせていた。
愛されて育っていたはずの娘。
母を失い、頼れるはずの父から見離され。
カトリーナの心情を思い、アドルフは歯噛みした。
なぜ、もっと寄り添ってやらなかった。
マリアンヌが遺した希望だったのに。
アドルフは娘を追いかけた。
「カトリーナ、いるかな?入ってもいいか?」
「どうぞ」
かちゃりと開けて中に入ると、カトリーナは机に座り書き物をしていた。
5歳の娘の部屋にしては殺風景で薄暗く、ひやりとした空気にアドルフは息を呑む。
「カトリーナ……、その、すまない」
異様な光景は娘の傷付いた心を表しているようだった。まだ幼い子。親の愛情を一身に受けられるはずの年齢だ。それなのに父親としての責務を放棄していたと、アドルフはいたたまれなかった。
「……お父様は、お母様がいなくなって、寂しかったのでしょう」
「……ああ」
「私は平気です。使用人もいますし、殿下もいますから」
カトリーナは無表情に言い放つ。
それは幼い頃の自分を見ているようで、アドルフは言葉を失った。
「お父様は今まで通り、お母様だけを想って生きれば良いのだわ」
「カトリーナ……!すまない、お父様は、カトリーナも大事なんだ!」
「お父様は、私も、大事……?」
「ああ、お母様だけでなく、カトリーナも大事なんだ……。すまない、ずっと放ってしまって……」
ぎゅっと抱き締めると無表情のカトリーナに涙が浮かんだ。
まだ5歳なのだ。使用人がいくら良くしてくれても、親には敵わないのだ。
瞳に光を取り戻したカトリーナは大粒の涙を零し。
「う、うぅううわああああああん!!」
ついには泣き叫んだ。
自分の中に抱え込んだものを吐き出すように。
「さみ、寂しかった、なんで、いなくて」
「ごめん、ごめんな、カトリーナ……」
嗚咽しながら自分の気持ちを伝える娘を見て、心臓をわしづかみにされたように痛んだ。
アドルフは泣きじゃくる娘をずっと抱き締めていた。
しばらくして泣きやんで、うとうとしだしたカトリーナを抱っこしたまま、アドルフはソファに座っていた。
「カトリーナ、寂しかったな……。すまない。
お父様も、お母様がいなくて、寂しくて、どうしたらいいか分からなくなったんだ……」
屋敷に帰ると愛しい妻がいない現実を否が応でも見せつけられる。
仕事に夢中になっていれば、その間だけは忘れる事ができた。
だがそれは同時に娘を傷付けていた事にアドルフは気付きようやく目が覚めた思いだった。
カトリーナは寝ぼけ眼をこすり、無表情で父の頭を撫でた。
途端にアドルフの双眸から溢れ出す。
小さな娘はこんなにも自分を心配してくれていると、情けなさを自覚すると共にカトリーナをようやく我が子として愛しく思った。
これからは父娘の時間を作ろう、沢山愛情をかけよう。マリアンヌができなかった事をしてあげようと、眠る娘を撫でた。
だが、カトリーナは王子妃教育に行くようになり、アドルフは相変わらず仕事に忙しく。
父娘が触れ合うのはカトリーナが眠りについてから。
更にデーヴィドが10歳で王太子に任命されると、王太子妃教育に変わり、カトリーナは益々自由な時間が取れなくなっていた。
その為カトリーナの孤独は増し、次第に我儘になっていったのだ。
何とか暇を見繕い晩餐を共にしても気安い会話は無く、年頃になると我儘を窘める事で反発される事もあった。
それでもアドルフは裏から娘を支えるように動いた。
会えなくても常に娘に気を配り、王太子妃教育に精を出す娘を陰ながら労った。
晩餐には娘の好きなものを、お菓子も好みを調査させ時折贈り物もしていたのだ。
けれど、すれ違うばかりで届かない父親の愛をカトリーナが知るのはまだ先の事。
そう。
婚約破棄をされ、王太子命令で婚姻した、後に最愛の人となる夫が二人の架け橋となるのだ。




