10.絶望の中の希望
薬師がいるという小屋に着いたのは、中天より少し前の事だった。
鬱蒼と生い茂る森の中、ぽつんと建ったあばら小屋。
見るからに雨漏りでもしそうな外観で、本当に人が住んでいるのか疑問だった。
「薬師は気まぐれなので、いらっしゃるかどうか……」
テレーゼは不安そうに顔を強張らせる。
「いなければ帰ってくるまで待つだけです。行きましょう」
オスヴァルトは一歩踏み出す。
希望を持ったまま、扉を叩く。
「はい」
中から低い男の声がして、テレーゼと顔を見合わせ、ホッと胸を撫で下ろした。
テレーゼも安堵からか溜息を吐く。
「リーデルシュタイン辺境伯邸から参りました。テレーゼと申します」
「お嬢ちゃんか。入りな」
「失礼致します」
立て付けの悪い扉を開き、中に入ると外観とは違い意外と整った内装だった。
だがテーブルの上は薬品類が散らばり、床にはメモ書きのようなものが散乱している。
「わりぃがまだ薬はできちゃいねぇぞ」
「今日は定期の物の件で来たのではありません」
辺境伯邸では薬師より定期的に薬を購入しているらしい。
一月に二度、月頭と中日辺りで卸されるが、今は中日を過ぎた辺り。月頭まではまだ日にちがある為薬師は予め断りを入れた。
だがテレーゼの言葉と空気でそうでは無いと悟り、薬師は姿勢を正した。
「ワケアリか。どうした」
「『天上の楽園』が使われました」
テレーゼの言葉に、薬師は眉根をひそめた。
薬師界隈でも禁薬として知られたそれが使われた。
だが、対処法が分からない訳ではない。
「そうかい。なら交合すれば治るよ」
薬師はあっさりそう言った。
「できないからここに来た。禁止されてから5年は経過しているんだろう!?
解毒薬は無いのか?」
オスヴァルトは半ば苛立ちながら問いただす。
交合できるならとっくにしているのだ。
できないから、したくない、させたくないから他に解毒方法が無いか藁にもすがる思いで来たのにあっさりと言われ苛立ちを隠せなかった。
薬師はふむ、と顎に手をやり、口元を歪める。
「期待持たせちゃいけねぇから結論から言おう。解毒薬は無い」
「なっ……」
オスヴァルトは顔色を悪くし、テレーゼは口元を覆った。
「そん、な……、なぜ……」
「『天上の楽園』、便利な媚薬だ。政略結婚で最低限しかしたくない夫婦にとっちゃ、夢のような薬だ。
だが禁止され、5年経過しても解毒薬すら無い。逆に考えろ。
5年経過しても解毒薬すら無いから未だに禁止薬物指定なんだよ」
普通はそれくらいの時間が経過すれば、解毒薬が開発され、登録制などの制約は付くが禁止薬物指定が解除される事もある。
だが未だ解除されていないという事は。
「これを悪用した事件が多発した。望まぬ交合を強いられた事例が数多く出たんだ。
開発した伯爵家は取り潰し、製造工場も閉鎖された。
ある意味一番闇に葬りたいものだろうが便利過ぎて未だ裏で作られてるんだな……」
解毒薬は無い。
女性と交わる以外に方法は……。
「……薬が体外に出る事は……」
「一度身体に入り込むと全身に害が及ぶ。中和する以外には……」
それでは兄は。
「もし、中和できなければ……」
「罪人で効果を試した結果、3日と正気でいる奴はいなかった」
一晩経っただけでも兄はとても苦しそうで。
気が狂いそうな衝動を妻への想いだけで必死に抑えていて。
「3日なんて……」
絶望だった。
希望を求めてここに来たのに。
突きつけられた現実は、あまりにも無慈悲なもので。
「今から王都から義姉上を呼んでも、間に合わない……」
オスヴァルトはその場に座り込む。
「娼婦を呼ぶ事だな」
「兄は……妻以外は嫌だと!」
「では正気を失って死ぬか、女性を襲う野蛮人になり果てるか」
冷たい薬師の言葉にオスヴァルトはぎり、と歯を食いしばりながら睨む。
「緊急事態だ。死ぬよりマシだろう。一生秘匿し墓場まで持って行くか、あとから事情を説明すれば仕方ないと納得するだろう。
力になれなくてすまんな。これでも空いた時間に作ろうとはしたんだ。だが製造した者は雲隠れ、その方法も分からない。俺には打つ手無しだ」
「すみません……」
薬師の家を出て馬に乗る前。
テレーゼは力無く謝ってきた。
「テレーゼ様のせいではありません。気にしないで下さい」
「でも……!私が付けた騎士たちが裏切って……こんな事に……」
いつも凛と背筋を伸ばす彼女は俯き、だが涙を必死に堪えていた。
震える肩は思っているより小さくて、オスヴァルトは無意識に抱き寄せた。
「あなたが裏切ったわけじゃない。自分を責めないで下さい」
その温もりが、テレーゼには優しくて。
その声が、テレーゼには苦しくて。
だけど、その腕の中が温かくて。
テレーゼはやがてその背中に腕を回し嗚咽を堪えながら縋った。
「俺が兄上に言います」
死ぬよりはマシだろう。
人命救助だ、緊急事態だ。
兄上と、義姉上からの恨み言は全て自分が受け止めよう。
オスヴァルトは覚悟を決める。
「私も一緒に頭を下げます」
目を赤くしたテレーゼはオスヴァルトに微笑んだ。
「あなた一人に負わせません。私にも背負わせて下さい」
その言葉がどれどけの支えになるか。
オスヴァルトにとって、心強いものだった。
二人が辺境伯邸に戻って来たのは陽が傾きかけた頃だった。
馬を厩舎に戻し、エントランスへ向かう。
馬車待機場所に寄る事も無いので彼らは気付かなかった。
絶望した先にある、希望の光に。
一方その頃、辺境伯邸のエントランスにて。
「や、やっぱりいきなり訪ねて来るのは失礼だったかしら」
「大丈夫ですよ。今は『配達員』としての大義名分がありますから」
「そ、そうね。……ね、ね。その……少しでもお会いできると思う?」
「……どうでしょう?なんせ今はただの配達員ですからね」
「ええっ!?そ、それじゃあ、今から名乗って正面から堂々と」
「あっ、ようやく誰か来ましたよ、奥様」
奥様と呼ばれた女性は、自分達の方に向かって来る男女を見つけ、ようやく知り合いに出会えたとホッとしたと同時に顔を綻ばせ。
「オスヴァルト様!」
その名前を呼んだ。




