7.二人の夜
二人は会話をするでもなく、狩猟小屋の中を注意深く探索している。
一番広いであろう部屋の床には酒瓶が転がり、テーブルにはゲームの途中だったのか、カードが散らばっており、あまり座り心地の良さそうではないソファはいくつものシミが着いている。
何かを炊いたようなニオイに不快感が押し寄せ、オスヴァルトは窓を開けようとしたが立て付けが悪いのか元々の構造か少ししか隙間を作れなかった。
「誰もいないみたいですね」
盗賊団の首領はここにはいなかった。
たまたま別行動していたのだろうか。
オスヴァルトは言い知れぬ不安に駆られた。
「ランゲ卿たちは遅いですね……」
自分達が早すぎたのか、あちらに何かあったのか。
ここにいた盗賊団は全て縛り警備隊へと護送した。
北部の洞穴への案内に辺境騎士数名を付け、ディートリヒ達はそちらへ向かう振りをしつつこちらに来るはずなのだ。
洞穴とここはさほど離れていないはず。
何か良くないことでも起きているのだろうか、とテレーゼはぎゅっと拳を握った。
「兄上は一個隊を殲滅した事のある男です。きっと大丈夫ですよ」
そう言いながら、誰より気にしているのがオスヴァルトだ。
あれから約10年は経過した。
騎士団で訓練を積み重ねているとしても、ここ数年は平和そのものだ。
時折遠征はあれど、命のやり取りとまではいかない。
年齢もある。
だが、オスヴァルトの中で兄に対する絶対的な信頼があった。
あの兄が、義姉を、子どもたちを置いていくわけがない。
どんなに危険でも、何があっても兄は家族の元へ帰るだろう。
隣国が再度戦を仕掛けてきたときも、「腕の一本になっても俺は帰る」と言っていた。
(だから、何事も無くここに来てくれ……)
「……信頼なさってるんですね」
「兄上は弱みを見せませんからね。いつも強く皆を率いるんです」
プレッシャーを感じないはずは無いのに、隙を見せない。
どこか完璧な兄の背中をずっと見てきた。
兄に憧れ、同じ騎士としての道を歩み出すと、兄はずっと遠くにいて。
「だけど、時々心配になります。……無理をしてるんじゃないかと」
「心配なんですね。お兄様のこと」
「……そうですね。でも、兄には義姉上がいますから……」
きっと辛いとき、苦しい時に側にいて、分かち合ってくれる。
ああ、そうか。
自分はおそらく。
うらやましかったのだ。
兄の隣に堂々と立てる義姉が。
兄を労れる存在が。
ずっと兄を支えるのは自分でありたいと思っていた。
両親が亡くなり、婚約者に逃げられ、落ち込みながらも弱音を吐かなかった兄。
そんな兄から頼られたかった。
「……ははっ」
オスヴァルトは、今自覚した。
義姉への想いは、勘違いだったのだと。
義姉の隣に自分が並びたかったのではなく。
兄の隣に並び立ちたかったのだ。
それを義姉への恋情と錯覚した。
「オスヴァルト様?」
急に立ち止まり、顔を片手で覆ったオスヴァルトをテレーゼは訝しむ。
「すみません。なんか、色々悩んでたのが急に晴れたので」
「はぁ……」
テレーゼは不思議に思ったが、確かにオスヴァルトはモヤモヤが晴れたようにすっきりした顔つきになっている。
「よく分かりませんが、晴れたのなら良かったですね」
「ええ」
「……そろそろ休みますか?私が見張りをするのでオスヴァルト様は仮眠を取られては?」
小屋内を一通り探索し、首領の不在と危険なものが無い事を確認できたので休憩するならば今だろうと、テレーゼは提案した。
「いえ、今は目が冴えていますのでテレーゼ様が先にどうぞ」
「いえ、私も目が冴えて眠れないのでオスヴァルト様から」
「俺は大丈夫ですから」
「私も……大丈……夫…ふふっ」
互いに譲り合い、引かないので、なんだかおかしくなってきて。
テレーゼは思わず吹き出してしまった。
それを見たオスヴァルトも、頬をポリポリと掻いた。
「とりあえず、座りましょうか。仮眠するしないは別にしても休憩は大事です」
「そうですね」
そうして二人は出入口が見えるように、一人分の距離を空けて壁を背にして座った。
しばらく静寂が支配していたが、やがてテレーゼは口を開いた。
「私も、兄夫婦が羨ましかったです」
俯いたテレーゼの表情は、オスヴァルトからは見えない。だがその声にはいつもの元気は無かった。
「兄上が亡くなって、妻だった義姉上も後を追うように亡くなりました。
二人は政略結婚でしたが、傍から見れば仲が良くて。兄は勿論、義姉上もお互い尊重しあって。
私も伴侶を選べるなら、そういう関係を築きたいと思いました」
「……」
「中々良い方がいらっしゃらないんですがね」
ははっ、とテレーゼは苦笑した。
「テレーゼ様なら、きっと見つかりますよ」
「えっ」
「テレーゼ様はとても眩しいです。先程の戦いでも、貴女は輝いて見えました。
強い意思のある瞳も、引き込まれます。だから……」
そこまで言って、オスヴァルトはハタ、と我にかえる。
これではまるで、口説いているようだと。
義姉には無かった感情を、確かに隣にいる女性に感じている。それが何であるかは分からないが、確実にオスヴァルトの心を侵食しつつあるものだ。
「だから、えっと」
無意識下ではスラスラ出ていた言葉も、気付いてしまえばつっかえた。
思わずテレーゼをみやると、彼女は耳まで真っ赤になっている。
それを見て、オスヴァルトもつられて赤くなる。
「あ……ありがとう、ございます……」
微かな声は尻すぼみになる。
静寂の中、互いの鼓動が聞こえるのではないかと気が気ではない。
「いえ……」
「そ、そろそろ、ちょっと、寝ます。すみません、見張りをお願いします!」
そう言ってテレーゼは顔を隠した。勝手なのは申し訳無いが、これ以上口を開けば自分が自分で無くなりそうだった。
「は、はい、お任せください」
オスヴァルトもこれ以上は何も言えなくなった。
強制的に終了され、再び静寂が訪れる。
「…………」
いつか彼女に誰か良い人が現れるだろう。
彼女に並び立ち、支え合える男が。
そう思うと、オスヴァルトの胸が痛んだ。
その理由は今はまだ分からない。
やがて夜が明ける。
だが、いつまで待ってもディートリヒの一団が姿を現す事は無かった。




