6.テレーゼの兄は
ルトガー・リーデルシュタイン。
辺境伯の嫡男でテレーゼの兄である男。
辺境騎士団の団長もしており、娘が一人いた。
だが彼は既にこの世にいない。
数年前の戦で命を落としてしまった。
彼の死を知った妻も程なくして儚くなってしまう。
一人娘はまだ幼い為、辺境伯家はテレーゼが跡継ぎとなったのだ。
ルトガーの死については様々な憶測が飛び交った。
決して厳しい戦では無かった。
その戦の戦死者は、ルトガーだけだった。
辺境において誰よりも強いとされていた団長の死。その原因については不審な点もあったのだ。
団長が亡くなり、空いた席には副団長だったアーベル・トラウトが引き継ぐと思われたが、辺境伯が難色を示し未だ空席のまま数年が経過した。
現在は辺境伯自身が仮の団長として立っている。
実力はルトガーに引けを取らないアーベルが何故団長になれなかったのか。
それは、アーベルが元々辺境領の者では無く、また出自も不明だったからだ。
アーベルは記憶喪失だった。
発見されたとき、彼は辺境領の端にある川に流れ着いて背中に重傷を負っていた。
生きているのが奇跡と言われたくらい酷い状態だったのだ。
名前も、出自も記憶が無い彼は剣の腕前だけは確かだった為、報告を受けたルトガーが保護し面倒を見た。
記憶が無かった為唯一彼が発した言葉「アンリ」と名付けられた。
持ち前の剣術で頭角を表し、遂にはルトガーの腹心にまで上り詰めたのだ。
互いに背中を預けられる関係だった筈の二人は、その戦でも表裏一体で動いていた。
負ける要素の無い、簡単な小競り合いを収めるための戦だった。
だが、ルトガーは崖から転落して絶命した。
一人帰還したアンリは記憶を取り戻したと言って、本来の名前「アーベル・トラウト」を名乗った。
それまで真摯に訓練に明け暮れていたアンリ、ことアーベルはガラリと変わり、享楽に溺れるようになったのも団長に任命されない理由だった。
副団長の地位からも退けたかったが、実力は辺境でも随一だった為それも難しく現時点で団長は辺境伯が担っているのだ。
実力はあれどその為人は上に立つ者としてどうなのかという意見はある。
だが辺境の人手不足に彼をどうかすると采配も問われてしまう。
仕方なく辺境伯はアーベルを今の地位のまま置いていたのだ。
作戦会議の場にて。
地図をテーブルに置き、候補地を絞り込んでテレーゼは作戦を伝えた。
「今回は突入を2手に分けます。
北部にある洞穴にはランゲ卿率いる一団、西部にある神殿にはトラウト卿にお願いします」
「へえ、今回こそ当たりだといいですね」
挑発的にニヤリとするアーベルを一瞥し、テレーゼは続けた。
「失敗は許されません。気を引き締めてお願いします」
射抜くような眼差しに、場にいる騎士たちは顔付きを変えた。
会議を終え、一団は準備に取り掛かる。
いよいよ追い込みを掛けないと益々領民への被害が増える一方だ。
騎士たちは今回の作戦を頭の中で反復する。
北部にある洞穴へ、ディートリヒを始めとした主に王都騎士団が向かう。
西部にある廃神殿へはアーベルたち辺境騎士団だ。
いずれも諜報部隊が目星を付け、実際に盗賊団の出入りがなされていた場所だ。
だが、本命はこの二つでは無い。
辺境領の北部寄りにある狩猟小屋。
ここが本命だ。
テレーゼやオスヴァルト始め精鋭たちが向かう。
そして、ディートリヒ達は洞穴へ向かう振りをしながら実際は狩猟小屋を目指す。
テレーゼ達と挟み撃ちにする作戦だ。
いつもであれば作戦を練って翌日に出発していたが、今回は準備ができ次第の出発となった。
アーベルは訝しんでいたが、結局西部へ向けて出発したのを見届け、テレーゼたちも北部へ向かった。
そして。
「なっ!今夜来るとか聞いてねぇぞ!」
「敵襲!敵襲!」
狩猟小屋と言うには立派な建物で盗賊団は寛いでいた。
不意打ちに成功したオスヴァルトとテレーゼたちの一団は、次々と盗賊団を殲滅していく。
倒された盗賊団たちはあっと言う間に縄で拘束され、一か所に集められた。
ディートリヒの団が到着する前の出来事だった。
「首領は誰」
テレーゼが盗賊団たちを見下ろしながら問う。
だが彼らは口を開かない。
カチャリ──
「──っひッ」
「あなた達のボスはどこ」
男の額から汗がつぅ、と滑り落ちる。
テレーゼは首筋に剣を突きつけていた。
「しっ、知らねぇ!カシラぁ気まぐれでよぉ!」
「そうだそうだ!」
盗賊団の男たちはつばを飛ばしながらやいのやいの言っている。
だが何かを隠しているわけでも無いような様子に、テレーゼは剣を納めた。
「テレーゼ様」
「オスヴァルト様……」
「盗賊団たちは荷馬車に詰め終わりました。兄上たちを待ちますか?」
「荷馬車だけは先に警備隊に引き渡しましょう。私はここに残ってランゲ卿の団を待ちます」
「お一人でですか?」
「部下を一人誰か……。行き違いになってもいけないし、盗賊団の首領が戻ってくるかもしれないし」
「では俺が残ります」
オスヴァルトの言葉にテレーゼはどきりとした。
部下のうち誰か一人残ってもらうつもりではいた。だがそれはオスヴァルトではなく別の──
何でもない、気になりもしないただの部下に頼もうと思ったのだ。
出会って間もないのにずっと見てしまう彼と一緒にいて、自分は戸惑わずにいれるのだろうか。
「皆に言ってきます」
「あっ、」
止める間も無くオスヴァルトはくるりと踵を返す。
テレーゼはその後ろ姿を呆然と見つめていた。
その頬を熱くしながら。




