2.辺境での出逢い
伯爵邸に行かなくなって数カ月。
オスヴァルトは普段は騎士団の寮で生活している。
自分の今後を。
身の振り方を。
考える時間が必要だった。
とはいえ、一度芽生えた想いは簡単には無くならない。
簡単に失くせるくらいならとっくに割り切っている。
そんな時、リーデルシュタイン辺境伯領より助っ人の依頼が騎士団に舞い込んだ。
盗賊団が力を付けてきている為、騎士団に応援要請が来たのだ。これを機に一気に片付けたいらしい。
だが王都を留守にするわけにもいかず、騎士団長は残り、辺境伯領へは副団長率いる一団が向かう事になる。
騎士副団長はディートリヒ・ランゲ。
救国の英雄、王国の盾などと称される彼が未だに副団長の地位なのは彼が事務仕事が苦手だから、というのは有名な話。
机に向かって作業させるより、部下の訓練をさせた方が良いと、騎士団長のディアドーレ侯爵も納得している。
辺境へ向かう一団に、オスヴァルトの名前もあった。
自ら志願したのだ。
あの日以来、ディートリヒとオスヴァルトはまともに話せていない。
騎士団で事務的な会話はあれど、一言二言必要最低限にとどまる。
ディートリヒは言い過ぎた、とは思わない。
愛する妻は美しく、自身より8つ年下でまだ若々しい。
子を三人産んだとは言え年々美しさと可愛らしさが増すようで目が離せない。
妻を疑う事は微塵も無いが、そんな妻に懸想する自分より若くて頼りがいがある男がそばにいれば不安にもなる。
弟を信じていないわけではないが、本音を言えば妻に近寄る男は自分以外いらないとさえ思うくらい、溺れてしまっている。
年齢で言えば。
騎士団にいる限り。
妻より自分が先に逝くだろう。
その後でも誰も近寄ってほしくないという狭量さにディートリヒは常に苦悩していた。
「ようこそお出でくださいました。救国の英雄が来て下さったならば民も安心致しましょう」
「王都を留守にするわけにいかず、一団のみで申し訳無い。尽力するゆえ、よろしく頼む」
辺境伯と騎士副団長が握手を交わす。
その後二人は話し合いの為辺境伯邸へと入って行くが、オスヴァルトたち団員は当面の宿舎である辺境伯別邸へ向かった。
ぼんやりと荷解きをしながら考える。
今頃義姉上は夫がいなくて寂しくしていないか。
甥っ子はしっかり訓練しているだろうか。
だがそんな考えは親族なだけの自分のものではないとオスヴァルトは頭を振って追いやる。
「……ません!聞いてますか!?」
そこへよく通る女性の声がした。
一気に意識が浮上する。
「……っ、すみません、何でしょうか」
顔を上げるとそこに、茶色い髪、燃える炎のような瞳の女性が立っていた。
「さっきから呼んでるのにぼーっとしないで下さい。王都の温い警護騎士のままでいてもらってはこの辺境では命取りになりますよ」
よく通る声で話すその女性は、オスヴァルトをきっと睨みつけた。
「す、すまん……。気を引き締める」
決して王都の警護が温いとは思わないが、オスヴァルトは覇気なく答えた。
考え事に耽っていては敵を前にすれば命取りであるのは変わらないからだ。
「お願いします。無駄に命を失ってほしくありませんので」
ふっ、と緩むその笑顔。
陽の光に反射してオスヴァルトの眼に眩しく映る。
「それで、呼んでたのは遠征についてなんですが」
想い人に似ても似つかぬ容姿に戸惑ったが、その女性の姿が彼に焼き付く。
「……だから、聞いてますか!?いい加減腑抜けるのは止めて頂けますか?」
その女性に見惚れ、ぼーっとしてしまった彼に眉を吊り上げた女性の顔が映る。
「す、すみません。あなたに見惚れて……あ、いや、その、」
思いがけない言葉に、女性はきょとんとして。
一瞬にしてぼっと顔を赤らめた。
「な、ななななな、い、いきなり、あっ、あなたは何、何言って、ばっ、もっ、」
真っ赤になった顔の前で手を払い、熱を逃がそうとする女性を、オスヴァルトは素直に可愛いと思った。
「…………」
自分には想い人がいて、抱いてはいけない想いではあるけれど失くなりもしない想いで。
だと言うのに目の前にいる名も知らぬ女性を可愛いと思う。
これは裏切りになるのだろうか。
不誠実になるのだろうか。
そんな事を考えながら口を開く。
「君の、名前は……」
未だに顔を真っ赤にした女性に問いかける。
「テ……テレーゼ……」
「テレーゼ……」
当たり前だが想い人とは違う響き。
名を聞いてどうしようと言うのか。
そこまで思い、オスヴァルトは我にかえる。
「あ……すまない。仕事中だよな。遠征の、なんだっけ」
「あ、はい、そうです!遠征中の備蓄についてなんですが、あの……
ま、また来ます!失礼します!」
テレーゼは、ばっと頭を下げ、ばっと頭を上げると。
くるりと踵を返し一目散にその場をあとにした。
「あ……」
あとに残されたオスヴァルトは、複雑な思いを抱えたまま荷解き作業に戻る。
その様子を他の団員達は
『俺達がここにいる事忘れてるよなぁ』と、存在を消しながら見ていることに、テレーゼの姿が焼き付いたオスヴァルトが気付く事は無かった。




