#07 激動だからこその
私は、病室のベッドの横にいた。寝転ぶ男性をそっと、見守っていた。男性は、疲れきっている。目は、十分に開かず、細い。手のひらを、上に向け、力は完全に抜けていた。こちらに、気付いているのか、いないのかは分からない。リラックスは、ややしているように見えた。
病院特有のニオイがする。薬っぽいニオイだ。そのなかに、雨のニオイがする。男性のニオイだ。雨に濡れてはいない。もう、新しい布に着替えている。だとすると、男性はいつどこにいても、このニオイなのだろう。ずっと、変わらず。何度も何度も、鼻で息をした。
口が焦っている。口は、好きと言いたがっている。蝉人間は、時間がないから。好きの確信はある。百パーセントに近い恋心がある。でも、ある程度の常識も必要だ。飛ばしすぎれば、逃してしまうかもしれない。声を出さず、口だけを何度も動かした。
「あっ、どうも。目が覚めましたか?」
「あっ、ずっといてくれたんですか?」
「はい」
「ありがとうございます」
「あの、話があるんですけど」
「何でしょうか?」
「デートに行きませんか?」
「えっ、あっ、はい。いいですよ」
「ごめんなさい、急に」
「薬で、だいぶ楽になったので、大丈夫です」
「そうですか。ありがとうございます」
「蝉人間さんが、デートに誘うということは、あれですよね」
「はい。プロポーズを考えています。時間がない中で、確信しましたので」
「ほ、本当にいいんですか? ああ」
「はい」
リストバンドをしていた。男性は、灰色のリストバンドをしていた。準人間の証だ。それを見て一般の人間は、男性を見下したりしている。落ちこぼれという、立ち位置に男性はいる。私は、それでもいい。蝉人間には、そんなこと関係ない。恋に一直線に進む。それが、蝉人間だから。
男性を抱きしめていた。私に、ためらいはない。肌も心も、喜んでいた。鼻をすする音、微かな笑い声。それらが聞こえてきた。男性は、柔らかい。身体は細くて冷たいのに、力強い。弾力のある肌をしていた。強く抱き締めても、押し返してくる。そんな感じだ。
命の恩人だと拝められた。私は、人生に彩りをくれている。そう返した。男性の低い声が、鼓膜を中心に全身を震わせる。耳が癒されている。そんな感覚があった。今すぐデートしたい。そう口にしていた。どうしても、焦りが顔を出してしまう。男性は、満面の笑みで答えてくれた。答えは、もちろんオッケーだった。