#05 激動はまだまだ
テレビでは、台風情報をやっている。ここにも、台風がやってくるみたいだ。ここは、関東の南あたり。かなりの大雨が、予想させるようだ。まわりは、不安そうな顔ばかりだ。近くには、5人ほどいる。テレビの方に、その5人全ての視線が、刺さっていた。
横に長いイス。それが、3列になっている。そのイスの後列の左端に、私はいる。それなのに、イスの右の先にある花の、香りがしてきた。台風への不安から、過度に鼻で息をしていた。その度に入ってくる。花のやさしくて、力強い香りが。花の名前は分からない。でも、私の心は、とてもやさしくなった。
テレビは、場面が切り替わった。唐揚げ特集が、流れ始めた。なんだか分からない感覚がある。食べたくなって、よだれが出た。お腹がすいてきた。それを確信した。子供たちが、先程、あめ玉をくれた。それを袋から取り出して、口に放った。しっかりとした、オレンジの味がした。
「ここから、かなり近いよ。その唐揚げ屋さん」
「そうなんですか」
「食べたら、止まらなくなるんだよね。また、食べたくなってきちゃった」
「私、まだ外に出たことがなくて。テレビに映る全てが、新鮮なんです」
「蝉人間さんは、まだ初日?」
「はい」
「台風だから、まだ外出はしない方がいいよ。外の世界は、まだお預けということで」
「はい、そうします」
ニュースで、インフルエンザのことをやっている。この季節に流行る、感染症だという。知っているけど、新鮮だ。知らないようで、知っている。そんな説明しにくい、不思議な感覚。私の視線は、まんべんなく空間を行き来していた。
袖を捲ったり、戻したりしていた。腕の皮膚を、手でずっと撫でていた。天井から降り注ぐ温かい風を、露出している皮膚で受け止める。それを、何となくしていた。ゆっくりと、時が流れている。その感覚はある。でも、こんなにのんびりでいいのか、と感じた。僅かな焦りが生まれた。
番組が切り替わり、アナウンサーが現れた。声が低かった。私の、心の奥の奥の方に、響いた気がした。声の中では、一番好きな声かもしれない。トキメキというものは、こういうものなのか。私は、目をつむり、アナウンサーの声を、優しい心で聞いていた。