#32 激動終わりの手紙
幽霊になったんだ。そうだ。ソファで寝て、そのまま消えたんだ。街にいる。街は、静けさ真っ只中だった。暗いし、光は限られている。夢の中とは、全然違う。死後の世界とも、また違う。ここには、知っている牛丼チェーンがある。
死んでから、だいぶ経過したみたいだ。建設中だった焼肉屋が、営業している。そこだけ、光の量は多めだった。ニオイがしてきた。お肉を焼いたニオイ。そのままだが、それしか表現できない。幽霊になっても、食の欲は減らない。鼻で息を、吸ってばっかりだ。
口がやや渇いている。あの時と一緒だ。生きていたときと、あまり変わらない。心配になると、口が渇く。まだ、家族のことを心配している。そういうことだ。電柱をすり抜ける。それ以外は、蝉人間時代とほぼ同じだ。トコトコと歩みを進めた。そして、家に帰ってきていた。
「手紙が見つかったんだけど」
「えっ、本当ですか?」
「うん。私が開ける。それとも、開けたい?」
「開けてください」
「うん。開けるね」
「何て、書いてあります?」
「朱音を、お母さんの娘として育ててだって」
「ああ。そんな感じですか」
「当たり前だよね。育てるよ」
「あっ、はい」
「半分くらい不満だったけど、楽しかった。そうも、書いてあるよ」
「よかった」
母と彼は、笑顔だった。それだけで、安心した。娘は、すやすや寝ていた。上から、ベビーベッドを覗き込んでいた。今は空を飛べる。そんなことに、気付いたから。生きているときは、普通に歩いていた。蝉人間と、呼ばれていたのに、飛べなかった。一回も、地に足が着いた生活から、離れていない。だから、今の方が蝉人間かもしれない。
娘がいる。でも、触れられない。頬を娘の頬に当てても、すり抜ける。死前と変わったのは、感触だ。どんなに頑張ったって、四感だった。母とも彼とも、抱き合いたいのにダメだ。肌がよくわからない。感覚がない。
3人を、見ることが出来ている。それだけで、すごいことだ。みんなの生の声を、鼓膜がキャッチしている。それだけで奇跡だ。彼と母は同い年。だから、それなりに気が合っている。心も、笑っていた。彼の小さな、小刻みな笑い声。それが出たから、今は気を使ってないということだ。




