#17 激動で普通へと向かう
母の家は狭い。ひと部屋しかない。灯りはついているのに、やや暗い。ここは、全てのものが控えめだ。蝉人間を出産した場合は、すぐ退院できるらしい。だから、出産当日にもう家にいる。3人でいる風景に、一人だけオドオドした彼がいた。
私は、彼に似てきた。だんだん、滲むように滲むように。私の体感では、かなり生きている感覚。だから、馴染むのは不思議ではない。一日目の蝉の私は、苦しさを覚えた。外では息が、しにくくなった。私が白で、外気が黒だとする。そうすると、外気は黒のままで、私だけが、グレーになった感覚になる。
まだ、一日目の私だ。そればかり、確認してしまう。そればかり、考えようとしてしまう。一日は濃い。一日は、普通の人の、何倍もの価値がある。唇をぎゅっと、巻き込んでいた。生まれて初めての、実家に母といる。それだけで、口が乾いた。
「もう、生まれるよね」
「うん、そうなの。だから、色々準備しないと」
「ベビー用品は、何でもあるからね」
「あ、そうなんですか?」
「うん。子供が好きで、楽しみだったから。妊娠する前から、色々と揃えていたの」
「蝉人間だと、分かる前からですか?」
「うん、そうだよ。蝉人間は出産も、かなりはやいって書いてあったから、使えるなって思ってた」
「ありがとう。使わせてもらうよ」
「そこに、積んであるから」
「うん、分かった」
部屋の隅に、段ボールが積み上がっている。オムツの商品名が、書かれた段ボール。ミカンの箱もある。ベビーカーも、その山の中にいた。斜めになっているが、綺麗に積まれていた。私は、蝉人間であることに、自信を持てなくなっていた。段々と、人間らしくなってきた。そう思ったら、目がしっかり開いてきた。
お腹の皮膚が、引っ張られる。赤ちゃんの元気がいい。もう、いつ出てきてもおかしくない。肌が、美しくて良かった。これから、死ぬまで衰えない。綺麗なまま、子供の顔も見られる。そして、そのまま、消えることができる。それは、嬉しいポイントだ。
母が赤ちゃん言葉で、お腹に喋りかけた。顔をそっと、近づけて。私は、生まれてから、どんどん声が弱々しくなっていた。でも母は、私と接するにつれて、段々明るい声になっている気がする。始めから、色々と知識があることで、不安がある。そのひとつは、楽しみなどが、右肩下がりになってしまうことだ。




