#12 激動に母の想い
屋根のある場所に入った。空が覆われた、商店街らしい。台風か。そこからは、斜めに激しく降る雨と、一瞬のまばゆい光が頻繁に見える。綺麗だった。美しかった。今まで見たなかで、ベスト3に入る。それくらいの光景だった。彼と二人で、そんな景色が見られて、幸せだった。
彼の香りを嗅いでいた。鼻を彼に押し付ける、直前までいっていた。そこからは、近づきも遠のきもしなかった。やさしさのかたまり。そんな言葉が、頭に生まれた。鼻からの情報が、一番ある。だが、その他諸々の器官からも、あなたのやさしさを感じていた。
鞄に入っていた、手紙を広げる。口が半開きのまま。落ち着きながら、広げた。直後、口を思い切り動かしていた。無音で。声を発さずに。何かを心に投げ掛けていた。真っ白になった。だから、一瞬、自分が何をしていたのか、分からなくなった。
「誰からですか?」
「私の母です」
「どういう内容でしたか?」
「色々です。困っている人は、助けてあげること。そして、恋を楽しむこと。あと、病室の番号がありました」
「そうでしたか。まだ、会ってないんですよね?」
「はい」
「じゃあ、会いに行きますか」
「一緒に来てくれますか」
「はい」
「じゃあ、そうしましょう」
私の前には、幸せそうな彼がいる。笑顔がやわらかい。私たちは、針のような雨の降る世界に、駆けていた。彼がいれば、無敵になれる。彼がいれば、視界はやさしさで溢れる。そう思いながら、駆けた。がむしゃらに。そして、なめらかに優雅に。
彼が、私の手を掴んだ。そこから、私は駆けることになった。私は、彼の手をやさしく握って、一緒に雨の下に出ていた。この親指の付け根の柔らかさは、彼の心の柔らかさを表していた。頭の皮膚にも、ダイレクトに刺激が来た。奥の奥に、染み込んでいくのが分かった。
ずっと同じ音。ザアザアと、アスファルトに刺さる音。代わり映えのない世界。だけど、それさえ、いとおしかった。あなたの音も私の音も、消された。でも、二人だけの世界に浸っている感覚だった。蝉時雨は、聞いたことがない。だけど、こんな雨のような感じなのだろう。そんな、想像は出来た。




