反転現象の乙女たち
放課後の美術室。
美術部員はわたしと雨音の2人しかいない。
他に3人いたはずなのだが、いつの間にか幽霊部員になってしまっていた。
「反転現象って知ってる?」
と、雨音がパネルにアクリル絵具を塗りながらわたしに訊いてきた。
「ハンテン? 斑点? なにそれ」
イーゼルに向かって静物着彩画を描いていたわたしは、筆を止めた。
「自分が望んでる結果とはまったく反対の結果になるってことあるじゃん?」
「うん」
「たとえばさ、公募展に絶対入選したい!……って思って描いた絵に限って、一次選考も通過しないとか」
「やめてよ、それ、わたしのことじゃん」
「いやいや、わたしだってまだ一回も入選できてないから。おんなじおんなじ」
「なに現象だっけ?」
「反転現象。望んでる結果と反対の結果になる現象」
「それが、なんなの?」
「〈引き寄せ〉ってあるじゃん?」
「うん、聞いたことある」
「思い通りの未来を引き寄せる、ってやつ」
「うん、なんとなくは知ってる」
「それに失敗して逆の結果になるのが反転現象なんだって」
「へえ~。そうなんだ」
「そうなんだって。興味ない?」
「興味ないってゆうか、雨音がなにを言おうとしてるのかまだ全貌が見えないから」
わたしがそう言うと、雨音は筆を筆洗のうえに置いて、得意げな表情をした。
「ふふん。わたしはね、その話を聞いてこう思ったワケよ。『結果が反転しちゃうのなら、願いの逆のことを願えば、必ず引き寄せられるんじゃないか』ってね。頭いいでしょ!」
雨音は机の上にぴょこんと座った。スカート越しにでも雨音のお尻の形が美しいことがわかった。
「願いの逆かあ……。たとえば?」
「たとえば、『公募展に入選しないぞーっ』って強く願いながら描くとかさ」
「それってホントに効果ある? むしろそういうときに限って、反転しなくてそのまま実現しちゃうんじゃない」
「あはは~。それ、ありえそうだわぁー」
雨音は笑って机の上にゴロンと寝転がった。
制服のスカートがまくれ上がって少しパンツめいたものが見えていた。
「雨音……、パンツが」
「うん?」
「パンツが見えてる」
「それはさ、晴恵が見てるからでしょ? 晴恵が見なかったら見えないよ」
「そりゃそうだけど」
わたしは雨音のパンツから目を逸らした。
「シュレ猫ってあるじゃん」
と雨音。
「シュレーディンガーの猫でしょ」
「観測するまでは猫が生きてるのか死んでるのかわかんない、ってゆうやつ」
「説明されなくてもそれぐらい知ってるよ」
「わたしのパンツもさ、晴恵に観測されるまでは、穿いてるか穿いてないか決まってなかったんだよ」
「はあ?」
わたしは再び雨音のスカートの中を見た。たしかに白いパンツがそこにはあった。
「晴恵に見られるまでは、わたしのパンツは波の状態で宇宙全体に拡がってたんだよ。見られたから収束して今のこのパンツになっちゃったわけ」
「そんなワケないでしょ。神聖な量子力学を雨音のパンツで汚さないでよ」
わたしは呆れて再びイーゼルに向かって静物画に手を入れはじめた。
「もし、わたしがパンツ穿いてなかったとしたら、晴恵はどうした?」
「どうしたって言われても困るんだけど」
「晴恵のパンツくれた?」
「その確率は……ゼロ」
「ええーっ」
「ええーっじゃないよ。その場合わたしがキャストオフ状態になるじゃん。それはイヤ」
「これも反転現象なのかもね」
「えっ、なんで? 意味変わってなくない?」
「晴恵はさ、ホントはパンツを穿いてないわたしを願っていたけど、実現したのはパンツを穿いてるわたしだった――。ほら、反転現象でしょ?」
「そんなこと願った覚えないから……」
「ほんとう?」
雨音は起きあがり、わたしに近づいてきた。
彼女はわたしの腕に自分の胸を押しつけいずらっぽく笑って、わたしの耳元で囁くように言った。
「晴恵が、わたしにパンツを穿いてほしくないって願うなら、わたし穿かないよ」
わたしの心臓は不意にドキドキしはじめた。
「……その場合は反転現象は起きないの?」
とわたしは訊いた。
「起きない」
と雨音が答えた。
わたしは雨音の手を握った。
わたしたちはお互いの唇を重ねあった。
校内放送で『家路』が流れはじめた。
わたしたちはまた今回も公募展に落選しそうだ。