第七話
校長の木下によるレクチャーが始まって、一週間が経った。
その間、朝月は授業に通いつつ、また実技教師である清近に逃げ腰になりながらも授業についていき、その度に氷美も心配そうな様子で朝月を見守っていた。
とはいえ、氷美の心配というのは、清近の事だけでなく、
「あ、朝月さん。顔色、悪いけど…だ、大丈夫?」
「ぅぇ? あーだ、大丈夫ー」
休み時間は机で爆睡。
それが朝月の日課となっていた。
授業を終えた上に、校長である木下からの徹底的な教育。
少しの合間でも寝ていないと、もう。
やってられない、というのが朝月の本音だった。
そして、そんな事を話していたその日の晩。
朝月は今、木下の手前で両手を前にかざすポーズをしている。
「よし。それじゃあ、そろそろ実戦の練習をしてみましょうか」
「あ、あの。こ、校長先生…私、未だに魔法が何なのか、イマイチなんですが…」
「大丈夫。葵ちゃん、結構飲み込みが早い方だったから、知識における基礎は身についてるはずだから」
「いや、知識って」
「それに、一回でもいいから魔力に触れておかないと」
そう言って、ニッコリ笑う木下は朝月の手のひらに、自身の手のひらを合わせた。
「初めはビリッ!! ってなるかもしれないけど、逃げちゃあダメよ?」
「ぅえ!? ビリって何!? 怖いっ!!」
その脅しにビクつき、手を離そうとする朝月。しかし、木下はそんな彼女の手を指と指で挟むように…。
いわゆる恋人繋ぎで、ホールドしながら、
「それじゃあ、行くわよー」
「いゃー!! 離してーーっ!!」
そんな言葉は聞こえません、と言いながら木下が魔力を手のひらに集中させた。
その、次の瞬間。
ビリっ!! じゃない、バチンッッ!!! という音が朝月の手のひらに火花を散らして巻きちった。
それも、激痛を伴って。
「いぎゃーーーーーーーーーっ!!!」
ピクピク、と全身を小刻みに震わせながら、倒れる涙目朝月。
木下はいたって平気な様子で話しかけてくる。
「どうだった? 初めての魔法の感触は」
「どうだったじゃないです!! ビリっじゃなくて、バチンッッ!!でしたよ!! 後、無茶苦茶痛かったっ!!」
負け犬の遠吠えのように吠える朝月。
ごめんごめん、と軽く謝る木下は小さく笑みを浮かべ、
「それじゃあ、葵ちゃん。一回、一人で魔法をやってみようか」
「…へ?」
突然の言葉に目を点にする朝月を無視して、木下は手のひら真上にかざしてから、小さく魔法を唱える。
「ウォーター」
言葉と魔力に反応し、木下の手のひらから水の塊が現れる。
魔法の中でも、一番レベルの低い魔法だ。
「それじゃあ、今のをやってみよ。葵ちゃん」
「………は、はい」
木下に進められるまま、朝月は手のひらを前にかざし、深く呼吸を整える。
一番レベルの低い魔法。
それはウォーターだけではなく、ファイアもまたそれに該当される。
そして、同時にその魔法は朝月にとって、トラウマの一つでもあった。
初めての実技授業を受けた中で、皆の目が集まる中、一人だけ辱めを受けた苦い記憶。
出来ることなら、思い出したくない経験だ。
「……」
不安げな様子の朝月。
だが、視線を上げた先には、優しげな表情を浮かばせる木下の姿がある。
この一週間の間、見捨てもせず付きっ切りで魔法について色々な事を教えてくれた校長先生。
叱る教え方でもなく、身につくよう工夫をして指導をしてくれ…。
そんな、彼女に朝月は、
(…信じて、いいんだよね)
その思いを飲み込むように。
小さく唇を紡ぎながら、もう一度深呼吸する。
そして、手のひらに力を込め、
「う、ウォーターっ!!!」
朝月は、魔法を唱えた。
唱えた際、朝月は目をつぶってしまった。
だが、そんな中、微かにこの場に似つかない音が聞こえてくる。
チョロチョロチョロ…
聞き慣れた音に、朝月はゆっくりと目を開ける。
すると、そこにはーーーーーーーー
「ぁ…」
朝月の手のひら。
その数センチ手前から現れた水が床にこぼれ落ちていた。
木下に比べ、明らかに小さい魔法。
だが、それでも、
「で、…できだっ」
初めて魔法を使うことができた。
そう呟く朝月の頰に、不意に熱い何かが流れ落ちてくる。
それは、瞳からこぼれ落ちる涙。
心の底から溢れ出る嬉しさから生まれた、喜びの涙だった。
「おめでとう、葵ちゃん」
「っ、ひくっ、こ、校長先生っ!!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにする朝月は駆け出すと共に、木下の腰に抱きついた。
「っ、あ、ありがどう、ごさいますっ。わたし、私っ!」
「…もう、まだ魔法の一歩を踏み込んだだけなのに、大げさなんだから」
未だ涙を隠せない朝月に、木下は笑みを浮かべる。
そして、やっと腰から手を離してくれた朝月に、木下はしゃがみ込む形で向かい合いながら、改めて彼女にもう一度あの言葉を送る。
「葵ちゃん」
「っ、はい…」
「入学、おめでとう」
「……はい!」
こうして、朝月 葵は魔法使いとしての第一歩を踏み出したのだった。