壁の神様
区画整理とかで、部屋の真ん中に道路が通ってしまった。
立ち退きの話が事前にありそうなものだが、どうやら役所が計測を間違えたらしい。
工事の途中でここを突っ切る形なのに気付いたとのことだが、アパートの大家はいきなりの立ち退きを拒否した。
大家自身はアパートとは別の家屋に住んでいるからまだいいだろうが、住んでいるこちらはどうなるんですと一応の抗議をした。
俺の部屋は一階だ。もろに目の前を人が大勢通り過ぎることになるのだ。
大家は、家賃を安くするがどうだと言って来た。
俺を除いて住民は皆引っ越して行ったが、俺は残った。
就職した先が倒産し、今はアルバイト生活だ。
すぐに引っ越しなんか出来ない。
実家も結婚した兄が親と同居しているので帰りづらい。
道路との境界線には壁を立ててくれると大家が言ったので、俺は承諾した。
それならまだ住めるだろうと思った。
六畳の部屋が四畳くらいになってしまったが、布団は敷ける。
幸い水場は残ったので生活に不自由はしていない。
道路は部屋を斜めに通っているので、道路の向こう側にも部屋の隅が三角の形に残っている。俺はそちらを物置にした。
大家が付けてくれた壁は薄いベニヤ板。
言いたいことはあったが、揉めて壁なしになるのも何だと思い黙っていた。
新しく通った道は、駅への直通ということもあって出来た当初から人通りは多かった。ほぼ一日中、人の歩く靴音がしている。
始めは気になったが、慣れて来ると平気になった。
たまに壁に寄りかかりながら一晩中スマホで話してる奴なんかがいる。
ただの壁だと思っているのか、他人に聞かれたら恥ずかしいであろう話をしていたりするので、笑いを堪えているときもある。
今日も人混みの靴の音と話し声を聞きながら、アルバイトに出掛ける前の暇潰しのゲームをしていた。
トントン、と外からベニヤ板を叩く音がする。
何と間違えているんだろうと思い無視した。
もう一回、トントンと叩く音。
「あのぉ、住んでいる方」
そう聞こえた。年配の女性と思われる声だ。
壁の向こうに人が住んでると知ってたのかと慌てた。
「は、はい?」
バタバタと身体を起こし正座する。
「あのお!」
聞こえにくいと思ったのか、女性は声を張り上げた。
「聞こえます。大丈夫です」
「ここにぃ、お店をぉ!」
「だから、聞こえます」
女性はやや間を置いてから、声の音量を落とし言葉を続けた。
「ここにお店出してもいいですかぁ?」
「な、何のお店」
「いろいろ聞き回ったらぁ、ここの大家さんが、住んでる人の承諾得てくれって」
「だから、何の店」
「占いの……あっ」
バリッと音がする。
ベニヤ板に穴が開いた。
「えっ、お宅の壁?」
若い男性の声がした。年配女性の方に話しかけているようだ。
「わたしじゃないの。こちらの方の」
ベニヤ板に出来た穴から、少し皺の寄った女性の手が突っ込まれた。俺の方を指している。
「あの、すみません」
男性らしき目が覗き込む。
「会社の幟旗置こうとしたら、ベニヤ板壊しちゃって」
あらあらどうしましょ、と年配女性が男性の背後で言う。
「ちょっと……困るんですけど」
俺は立ち上がりベニヤ板に出来た穴から外を覗いた。
外の道は、ひっきりなしに大勢の人々が行き来している。
困惑した感じの作業服の男性と、無駄におろおろしているショートカットの年配女性がいた。
「すみません。あとで穴塞ぎますので」
ぺこぺこと何度もお辞儀をし、男性はそう言った。
男性が穴を塞ぐのに使ったのは、鳥居のポスターだった。
不法投棄対策に立てる小さな鳥居のアイテムを作っている会社とのことだ。
「すみません。小さな会社なんで、すぐには修理の予算出なくて。何でしたら、うちの商品も付けますか」
わざわざ持って来たのか、男性は小さな鳥居を片手で顔の前に翳す。
俺は「いいです」と断った。そんなもの置かれても何になるのか。風を防げる訳でもなければ目隠しになる訳でもない。
ベニヤ板の壁のちょうど中央辺りから、ポスターを通して薄い光が入るようになった。
穴の付近にいると人混みのざわめきが大きめに聞こえたが、もう慣れてしまったのでさほど気にならない。
年配女性は、壁の前に椅子とテーブルを置き、占い師の仕事を始めた。
四柱推命や姓名判断もやるらしかったが、主にやっているのは手相占いのようだ。
夕方から深夜にかけて、相談者のぼそぼそと話す声と、年配女性のアドバイスをする声が聞こえる。
毎晩聞きながら眠るうちに、いくらか占いのことを覚えてしまった。
今日も年配女性の手相占いの声を聞きながら俺は寝ようとした。
敷きっ放しの布団に入る。電灯の紐に手を伸ばし消灯した。
客は若い女性のようだ。
面白みもない恋愛相談だった。
でも……でも彼が、と先程から小さな声で言い泣いている。
はよ寝よ、と思い目を瞑った。
不意に客の女性が大声を上げる。
「あの大丈夫ですか! やだ!」
相当慌てた声だ。
俺は壁に貼られたポスターの接がれた部分を捲り、外を見た。
年配女性が占い用のテーブルの横に倒れている。
「誰かあ!」
若い女性は人混みに向かって声を上げたが、何人かがチラッと見るだけだ。
俺はベニヤ板の穴をバリバリと広げ外に出た。
「大丈夫ですか!」
年配女性に駆け寄る。
毎晩この年配女性の占いの声を聞いていたせいか、俺の中に親近感のようなものが芽生えていた。
「とりあえずこっちに!」
俺は年配女性の肩を抱えて玄関側に回り、部屋の中に運んだ。
「今、救急車呼びますから」
スマホを手に取る。
年配女性は少しだけ意識を取り戻した。
「占い……まだ途中なの」
「そんなこと言ってる場合ですか!」
「でも……占いに来る人は、本気で助けを求めて来てんのよ……」
年配女性はそう言う。
しょうがないなと俺は思った。ベニヤ板の穴から顔を出すと、若い女性客はおろおろしながら立ち尽くしていた。
「手を出して」
俺は、毎晩聞いていた年配女性の口調を真似て言った。
客の女性は目をぱちくりとさせながら両の手の平をこちらに向ける。
手の平の皺が占いのテーブルの明かりと街灯の明かりとで何とか見えた。
「流年法で見ると、あなたのより幸せな出会いは今じゃありません。二十代後半の頃です」
俺は言った。
「ええ?!」
客の女性が眉を寄せ不満の声を上げる。
「早く結婚したいの。そんなに遅くなるのやだ」
「焦って変な男と結婚して、不倫とか借金とかDVとかに会わされたいですか!」
俺は妙な高揚感を覚え声を張った。
「今の彼が、早くプロポーズしてくれるアイテムとかおまじないとか教えて!」
「彼氏が不倫も借金もDVもしない奴か確認してからにしろぉっ!」
俺は気分が盛り上がり怒鳴るように言った。なぜか気分は預言者だ。
客の女性は「もう来ないから!」と吐き捨て、小走りで去って行った。
「あ……料金」
俺は我に返って、年配女性の方を振り向く。
「前払いで貰ってるから大丈夫」
そう年配女性は言った。
それから数日。
俺のことがツイッターで拡散されていた。
あのときの客の女性は、その後彼氏の浮気が発覚して別れたとツイートしていた。
壁から現れて彼氏の浮気の可能性を告げ、未来の出会いを予言してくれた人がいたと書き込んでいた。
リプライした人達が「そこにいる神様かもしれない」とか「鳥居があったなら何かしら祀られているはず」とか盛り上がるので、ちょっとした謎の神様の都市伝説に仕上がっている。
俺は眉を寄せ、ツイッターの画面をスクロールした。
穴を塞ぐために貼られた鳥居のポスターの下には、要らんと言ったのに不法投棄対策の鳥居のアイテムが置かれていた。
その画像がアップされている。
壁の向こうのざわめきが、ここ数日どんどん大きくなった気がしていた。
今日にはとうとうポスターに当てるようにしてお賽銭を投げ込む人間まで現れ始めた。
おいこら、と思っていると、パンパン、と柏手を打つ音まで聞こえる。
「壁の神様、どうか就職が上手くいくかどうか御告げをください」
そんなもん俺が自分のを知りたいわと内心で返し眉を寄せる。
「神様、お願いします!」
声からすると若い男性のようだ。
必死な声色だった。
「手を出して」
壁越しに俺は声を張った。
相手は少し怯んだようだった。
うわ、神様でたとか呟いてる。
「手を出して」
俺はもう一度言った。
ポスターをほんの少し捲ると、自分と同年代の男が両手の平を出している。
頭脳線が上向きだ。
「理系の方のようですね」
「は、はい」
「頭脳線の先が小さく二股になっている。文章を書くのも得意では」
「ははははい」
「ですが、感情線を見ると少々気が小さいようです」
「はは、はい」
「木星丘にフィッシュが出ています。目上からの引き立てがある可能性があります」
「は、はい」
「頭脳線の長さを見ると、あなたは考え過ぎてしまう傾向があるみたいです」
「はいっ!」
「もっと積極的になれば、道は開けるでしょう」
どうだ、という感じで俺は男の反応を見る。
男は暫く自分の手の平をじっとみていたが、ややして深くお辞儀をした。
「ありがとうございましたっ!」
そう言い、帰って行った。
玄関の呼び鈴の音が鳴る。
かったるいなと思いながら玄関扉を開けると、立っていたのは占い師の年配女性だった。
「あ、もういいんすか」
俺は言った。
「ううん……ちょっと入院しなきゃならないみたいで」
年配女性はそう言い苦笑する。
「そうなんすか。お大事に」
「それでね、お願いなんだけど」
年配女性は肩を竦め両手を合わせた。
「あたしの代わりに暫く占いの仕事やってくれないかな」
俺はポカンと口を半開きにした。
「は?」
少し間を置いて言葉を続ける。
「やったことないし」
「この前、あたしの代わりにやってくれたじゃない。中々良かったわよ」
あんなのがか。
あの時のは殆どあの女の子にムカついて言った感じだ。
さっきのも暇潰しみたいなものだし。
「ツイッターでも拡散されてるみたいじゃない。壁から現れて御告げをした神様とか」
「いやでも」
「実のところね」
年配女性は言った。
「路上でやる占い師って、縄張りみたいなものがあるの。勝手に好きな所に出せないし、逆に良い場所を長く空けると、誰かに取られちゃうかもしれないの」
「はあ……」
「あたしが復帰出来るまででいいの」
お願い、と再度手を合わせられる。
「料金設定は好きにしていいから」
俺の中で、あまり得意ではない算盤が弾かれる。
ここは基本的に人通りが多い。
バイトが終わった時間帯でいいだろうし、結構いい臨時収入になりそうだ。
「いや……そう言うなら、何とか」
俺は承知した。
臨時収入を期待してちょっと口元が弛む。
年配女性は、両手で俺の手を握りぺこぺことお辞儀をした。
かくして。
俺は夜だけ占い業をやることになった。
特に占い師としての名前を名乗った訳ではないのだが、ツイッターで「壁の神様」と拡散され、壁の前は日に日に人混みで溢れるようになった。
だいぶ日にちが経ってから大家が業者を連れて訪ねて来た。
立派な造りの白い壁と、神社の注連縄ような飾りの付いた、朱塗りの小窓を取り付けて行った。
こんなのを付ける予算があるなら、さっさと付けろとモヤモヤする。
アパートの他の部屋は、道が部屋の真ん中を突っ切って住みにくいにも関わらず、縁起が良さそうだと入居希望者が出始めたそうだ。
陽が暮れる。
俺は、大家が勝手に小窓に取り付けた薄紫色のカーテンを開け、外を覗き見た。
小窓の横には、鳥居のアイテムのポスターが改めてきちんと貼られている。
小窓の下には例の鳥居グッズ。
安っぽい神社みたいになったなと思う。
「壁の神様」
「壁の神様でた」
壁の前の人混みから、口々にそう言う声が聞こえる。
「柏手打つの? 打つの?」
などとも聞こえる。
「順番に。料金は二十分、二千五百円です」
俺は威厳のありそうな声色を意識し言った。
含羞んだように口元を押さえた若い女性が前に進み出る。
札で小銭を挟み、料金をお賽銭のように窓から投げ入れた。
「手を出して」
俺は言った。
ずっと壁の前で待っていたらしき者から通りすがりの者まで。人混みのあちらこちらから、スマホが一斉にこちらに向けられた。
終