出会い その1
『店主』になるまでのお話です。
佐久和 肇は疲れ切っていた。
元々彼は田舎者で、都会に住むのは慣れていなかった。都会は欲望と不満の渦。誰もがよりよい生活を求め、権力を欲し、富を追いかけている。
そんな人々の中で生きていくことは彼にはちょっと、いや、だいぶつらかった。
(ああ、じいちゃんに会いたいなぁ)
小さい時に離婚した両親は、どちらも彼を引き取ろうとしなかった。父親は『無口で何を考えているか分からん子供』と言い、母親は『私に似ない不細工な子供』と顔を見るのも嫌がった。双方から拒否された彼が養護施設へ行く寸前に、駆けつけてきた父方の親である祖父が彼を引き取ることで決着がついた。
『まったく、うちのバカ息子めが。子供を嫌ってどうすんじゃ』
強面で丸坊主の祖父は、子供心にも近寄りがたかった。だが、頭をなでてくる手はあたたかく、かけられる言葉に嘘はなかった。
祖父の住まいは山間の片田舎で、俗に言う限界集落に近かったが、その分隣人との距離が近く、肇は村人総出で育ててもらったようなものだった。幼馴染と呼べるような人間はいない代わりにのびのびと自然の中を駆け回り、転び、叱られ、褒められつつ育った。
中でも祖父のしつけは厳しかった。行儀作法のみならず箸の使い方から靴の揃え方、風呂の作法まですべてを叩きこまれた。
それでも、一番褒めてくれるのも祖父で、いかつい顔を緩めながら頭をぐりぐりなでてくる手に愛情を感じた。
祖父の趣味が料理であったことから、肇も見様見真似で基本を覚えた。二人並んで台所に立ち、味付けのコツやら時間の見極め方やらを実地で体験しつつ、ああだこうだと言いあいながら食べて過ごすことも多くなった。
当然ながら祖父においしいものを食べさせてやりたいという目標が芽生え、専門学校を志望したものの、
「学校くらいまともに行かんで今どきどうする!」
の一言で全寮制の高校から大学、そのまま都内の会社までも行くこととなった。
「お前はまともに勤めてええ嫁さん貰えよ」
それが口癖となった祖父の家に帰る暇もなく、都会の生活にも馴染めないというのが肇の現状だった。
そんななか、肇のところに緊急連絡が入った。
ソフタオレル カエラレタシ
特急電報…当日お届け便というらしい…で打たれたカナ文字を3回読み返し、慌てて寮監督の元へ走る。要領を得ない話っぷりであっても電報文がすべてを語ってくれたため、肇は速やかに故郷へ向かう最終列車に飛び乗ることができた。
ともすれば走り出しそうな体と気持ちを何とか抑え込み、村の診療所に肇が駆け込んだのは次の日の夕方だった。
「おう、肇っちゃん、何とか間に合ったかいね」
「よかったよかった、ささ、こっちこいや」
「ほら、全さんよ、肇っちゃんが来てくれたでな」
部屋に居た近所の顔なじみが次々に声をかけ、席を譲ってくれる。引っ張られるままに枕元へと進んだ肇が見たのは、ほほがこけてやつれた祖父の寝顔だった。
「じいちゃん……」
「2日前に畑で倒れての、それからずっとこのまんまじゃ。診療所のセンセは脳出血とか心臓とか言うとったけどようわからん」
「今は少し落ち着いてるからな、そばについているとええ」
「わしらは外に居るでな、心配いらんで」
口々に言いながら部屋を出ていく。ベッドのそばの椅子に座り込み、祖父の顔色を窺う。日に焼けたほほから血の気が引き、かさついてしわが寄った口元からかすかに息が出入りしている。
身動きするとそれだけでどうかなりそうな恐怖に肇はただ見つめるしかなかった。
と、瞼が震え、薄く開く。
「じいちゃん…?オレだよ、肇だ。わかるか?」
ゆっくりと黒目が動き、肇の顔に焦点があったようだ。唇がわずかに開いたが、音が出てこない。
動きだけで肇を呼んだ。
(ハ、ジ、メ)
「うん。うん、オレだよ、今着いたんだ。じいちゃん」
(ゴ、メ、ン、ナ)
「何謝ってんだよ。大丈夫、オレ、ここに居るからさ。水、要るか?」
(キ、ン、チャ、ク、ナ、カ)
「え、きんちゃく?てか、いつも持ってたあれか?ええと、どこだ?」
慌てて見回すと、窓の前にある小机にちんまりと置いてあった。
煮しめたような色の小さな袋。祖父がどこに行くにも腰に下げていた巾着袋に何が入っているのか、肇は今まで知らなかったことに気づいた。
「じいちゃん、これだろ?中身、出すのか?」
(ヤ、ル)
「え?オレにくれるのか?でも、大事なもんだろ、これ?」
(オ、マ、エ、ノ、モ、ノ)
「オレのもの?て、じいちゃん、どういうこと?」
(ア、ト、ハ、タ、ノ、ム)
「頼むって、何をだよ。なあ、じいちゃん、説明してくれよ」
(ゲ、ン、キ、デ、ナ)
「なんだよそれ。何言ってんだよ、やめてくれじいちゃん」
(ハ、ジ、メ・・・・・・)
「じいちゃん?じいちゃん、しっかりしてくれよ。なあ、なあって!」
薄く開いた眼から一筋涙がにじみ…黒目が消えた。
「じいちゃん!!」
肇の絶叫に外の人たちがなだれ込んできた。白衣を付けた医者が割り込み、聴診器と瞳孔を調べ、首を振った。
「置いてかないでくれよ、オレ一人になっちゃう…じいちゃんってば!!」
うなだれた人々の頭の上を、肇の泣き声が通り過ぎて行った。
肇が我を取り戻したのは葬式の済んだ夜だった。
祖父が息を引き取った枕元で号泣した後、神経が切れたような肇を心配した隣人たちが寄ってたかって通夜から葬式まで面倒を見てくれた。肇はただ言われるままに喪服に手を通し、祭壇の横に座って喪主を務めるだけでよかった。
肇にしてみれば、その間は現実とは思えなかった。目の前に薄い膜が張ってあって、人の動きも声もすべてが遠く、何かの映像を見ているような心持だった。
それがすべて終わり、仏壇の前にひとり、まだあたたかい骨壺を膝にのせて座っている今、現実として迫ってくる。
「じいちゃん。オレ、どうしたらいいんだろ。わかんないよ」
膝の上の骨壺に話しかけても、返ってくる言葉はない。ため息をついて、ふと思い出した。
「そういえば、じいちゃん、アレくれたっけ…何だろう?」
祖父が最後に託してくれた巾着袋。
それは骨壺と共に、肇がしっかり握りしめていた。
そっと袋の口を開いてみると、中にあったのはカギがふたつと紙きれが一枚。
カギの一つは多分祖父の箪笥の引き出しだが、もうひとつが分からない。
「なんだか不思議な形だなぁ。これでカギになるのか?」
木のような金属のような不思議な材質で、鍵の部分に切れ込みがなく、棒と言った方がいいくらい。
「で、こっちにあるのは……URL?」
そういえばなんかやってるって言ってたっけ。ぼんやりと思い出しながら、文机にあるPCを起動させる。
少し旧型のデスクトップ型PCが小さなうなりを上げて動作を始める。
肇が紙切れにあったURLを打ち込むと、少ししてモニター画面が黒く変わり、中央に扉が一つ、そしてそのカギ穴がズームアップされてきた。
「へ?なんだこれ?どうすんだ…もしかしてこのカギ、か?」
凹凸のない不思議なカギをモニター画面の前に持ってくる。
「これ、を、くっつける、のかな?まさか入ったりして?!?!」
言葉通りに鍵が画面に吸い込まれて…小さな、カチリ、とした手ごたえが。
「え、えええぇぇぇっ!?!?!?」
画面の扉が開き、肇はその中に吸い込まれた。