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アクアリウムと夢紬ぐ人魚

作者: 静 霧一

ご評価お願い致します。

Twitter:@kiriitishizuka


 

「博士、この少女どうしましょうか」

「うむ……どうもせざる負えないだろう」


 静まり返った研究所で、博士とその助手が、大きな球体上の水槽に入った少女を見つめ腕を組んでいた。

 この研究所は『人類の脳の進化と記憶』というものを世界最先端で研究しており、そして人類の英知の結晶がこの少女には詰まっている。

 水槽の中には数多くの機械が設置され、それが赤や青、緑や黄色などちかちかと発光をしている様子から、この少女は『アクアリウムに住み人魚』とも呼ばれていた。


 世界の崩壊まで残り3時間を切った。


 デジタルの赤い電光掲示板が1秒ごとに世界崩壊までのカウントダウンと刻み、この世界の最期をどう過ごそうかと、研究所の外では人類がこの狭い陸地を右往左往逃げ回っていた。

 研究所の所員も皆、愛する者の元へとすぐさま帰り、今この広い研究所の中には博士と助手しか残ってはいない。


 なぜこの2人だけがこの研究所に残ったかといえば、彼らが最後に愛を注いだものが妻でもなく子でもなく、この水槽の中の少女であったということだ。

 この博士は、科学というものには狂信的ともいえる思想を持っており、自らの生涯をかけて作った物とともに死ねるのなら本望だと本気で思っている節がある。


 そしてその助手については、もともと身寄りがなく、愛すべき人もおらず、博士に拾われてからというもの、博士を父親のように慕っていたために、結局のところ、この研究所に2人だけが残るというのは必然的な結果であったといえよう。

 どうもこうもなぜ世界崩壊にカウントダウンが設定されているのかといえば、人類の滅亡をコントロールできるまでに革新されてしまった科学のせいなのだ。


 人間というものはやはり生物の枠を抜け出せないもので、地球の浄化作用の循環システムに悪の判定を受けてしまったせいか、ある一部の人間が暴走を始め、挙句の果てに核戦争にまで至ってしまった。

 このカウントダウンは人類として生きた証を残すべき許された通告であり、最後に人類に残った一絞りの優しさでもあった。


 それもこれも人間の未知への探求心というものが引き起こした現象であり、それを実現してしまったのが科学という、唯一の人間の思想であった。

 博士もその科学思想に囚われた一人であり、自身の生涯をかけた研究として人の記憶をいかにして具現化するかという難題に取り組んでいた。


 記憶の具現化という着想は、とある都市伝説から閃いたものであった。

 その都市伝説というのが『アカシックレコード』、通称『神の図書館』とも呼ばれるものの存在であった。


 その『アカシックレコード』にはこの世界の知識や法則、過去から未来までの記憶のすべてが保管されていると囁かれている。

 歴史において、必ず預言者というものが度々現れるが、その預言者の誰もが『アカシックレコード』へアクセスしたと古い文献には残されている。


 博士は、科学の進歩による世界の崩壊を何十年も前から予見していた。

 だからこそ、博士が作り出した技術や数式、そして人類が積み上げた歴史や記憶を、いずれまた生まれるであろう新人類に託すべく、『永久的持続記憶保管庫』としてこの少女を創り上げたのだ。


 人類の暴走によって、博士の見つけ出した科学の功績を破壊されるのは如何せん納得などはできず、博士にとって最後の悪あがきであったのかもしれない。


「ラムよ。すまなかったな。こんな時代に君を創ってしまって」


 博士は球体の水槽の前で、膝をつき、水槽を手で擦りながら涙を潤みながら言った。

 人工心肺装置につながれ、何本もの管が体に刺さった少女は相変わらず水の中でゴボゴボと泡を立てているだけであって、博士の言葉に反応を示すことはなかった。


「博士、最後の準備が整いました」


 助手は大きなパソコンの前で一生懸命に動かしていたキーボードを打つ手を止め、ふぅと一息漏らした。

 緊急時の処置として、この水槽は独立できるような仕組みとなっている。

 本来であれば、人工心肺装置は外部から接続され、少女の生命を維持しているのだが、緊急時においては最後の手段として、少女の中に組み込まれた生命維持ユニット、つまり人工心臓が稼働するようになっていた。


 電光掲示板に赤く表示された時計は残り30分を切った。


「さて、アルバード君。今までのお勤めご苦労であった。最後にコーヒーでも飲んでいかんかね」

「ありがとうございます博士。是非とも頂きたいですね」


 それを聞くと博士は温めていたお湯を持ってきて、長年使っているマグカップにインスタントコーヒーの粉を適当に何匙か入れ、慣れた手つきでお湯を注ぎ入れた。

 お互いが議論を重ねた落書きだらけのテーブルに、湯気の立ったマグカップが2つ置かれる。


「世界の終末に、こうやって日常をくつろぐのも悪くはないですね」

「あぁ。やはりコーヒーというのは、至高の飲み物だな」


 彼らは息が合ったように、同じタイミングでマグカップを手に取り、コーヒーを一口すすった。

 博士はこの物悲しい研究室に少し寂しさを覚えたのか、山積みになった資料の上に雑に置いてあった赤いポケットラジオを持て来て、電源を入れるとガチャガチャとチャンネルを合わせた。

 ピーガーというノイズが鳴り響き、そのノイズが徐々に小さくなっていくと、古い歌が一曲流れているところに周波数が合わさった。


「あぁ、懐かしいな。ジョン・レノンのイマジンじゃないか」

「私も聞いたことありますよ。生まれていませんでしたけどね」

「誰だろうな、こんな瞬間にこんな皮肉ったような歌を流す輩は」

「いつの時代も、人は死の直前まで生きることを願う生き物なんですよ」

「相変わらず、欲が深いな。人間とは」


 彼らは他愛もない談笑が、緊迫した空気を忘れさせるかのように和ませてくれた。

 電光掲示がいよいよ残り5分を表示し、研究所のアラームが警報音をけたたましく鳴らし始める。


「よし、アルバード君。最後の仕事だ。このエンターキーを押せば、あの少女は完全にこの研究所から独立し、地下の水路を辿って海へと放出される。用意はいいかね?」

「もちろんですよ、博士」

「悲しいな。こんな最期だとは思ってもいなかったよ。さらばだ、ラム」


 それだけを言い残し、博士はボタンを押した。

 外部の人工心肺が外され、少女の生体維持ユニットが稼働し始まる。

 ちょうど胸の真ん中のあたり、薄い白肌の上からでもわかるほどの赤い光が灯り、少女に初めて命が吹き込まれたことを確認すると、博士は優しく微笑んだ。


「オトウサン……」

 水槽の中で、少女は上手く動かない口を一生懸命に動かし、ただ一言、視界に映った最初の人の名前を呼んだ。

 それはたった一瞬であったが、少女は博士の姿をはっきりと脳裏に焼き付けた。


 そしてそのまま少女の視界は暗闇へと落ちていき、再び目を閉じると深い眠りについた。


 ◆


 私は気づけば白い砂浜に打ち上げられていた。

 波がちゃぷちゃぷと私の体にあたり、目をゆっくりと開けると、そこには赤い小さなカニが不思議そうに私を見つめていた。

 ずっと長いこと眠っていたせいか、うまく体が動かないが、なんとか匍匐前進の要領で波の当たらないところまで進んでいき、近くの岩まで来ると、上半身を起き上がらせ腰をかけた。


「ここは……どこなんでしょうか」


 あたりを見渡してみるが、どうもここには人の気配がなかった。

 場所を見るに、ちょうど岸壁の間にできた小さな砂浜のようで、満潮になるとここは水没すると考え、早めにこの場所を移動しなければと、少しづつ体を慣らしながら、岩場につかまり、よろよろとした足取りで歩き始めた。


 砂浜を少し歩くと、自然が生い茂る木々が現れ、それが森であることが確認できた。

 森があるというところはどこかに川が流れているということであり、どこかに水源があるはずだ。


 私はこの体にこびりついた塩に不快感を覚えており、すぐさま洗い流したい気分が先行し、すぐさまそれらしい水辺を探し回った。

 森の中をずんずんと進んでいくと、奥のほうから水が落ちる音が微かに聞こえた。


 その音のなるほうへ足を進め、とうとうそれが滝の音であることに私は歓喜した。

 滝に近づくにつれ、空気中に漂う水しぶきが体にまとわりつき、ひんやりと体を濡らしていく。


 がさがさと茂みをかき分けていくと、そこには透き通るような滝の水辺が現れた。

 かつて私が見たこともないような、手付かずの水辺に私は興奮し、服をきたままその水辺へと勢いよく飛び込んだ。


 私は水に浮かびながら生きているという感覚を大いに実感した。

 さらさらとした淡水が私に引っ付いた汚れを綺麗に洗い流してくれているようで、私はそれに身を任せ、ぷかぷかとその水面を漂流した。


 滝の水しぶきだけが水中でコポコポと反響する。

 その心地よい音に身を任せていると、ガサガサと不規則に茂みが揺れる音が、心地よい水の音をかき消す不協和音のように聞こえ始めた。


「―――誰?」


 私は浮かんでいた体を起こし、水辺の底が浅いところまで泳ぐと警戒しながら立ち上がり、じっと茂みを睨みつける。

 その緊迫した空気に耐えることができなかったのか、茂みに隠れた生物がひょっこりの頭を出した。


 私はその生物の姿に驚愕した。

 まず目についたのは、なめらかな金色の髪、吸い込まれるような青色の瞳、そして長く伸びた耳である。


 そして、私と同じような華奢な体躯を見ると、人間であることに間違いはない。

 だがその髪や瞳の色、耳の形までが、どうも私の中の記憶と違い、近しいものを辿ってみれば、『エルフ』という神話に登場する種族に似ているような気もする。


『んjsfjmklmぃ;l?』

 そのエルフは何語ともわからない言葉を発した。


 エルフの手には、私の前に出る直前に拾ったであろう、茂みの枝を構えられている。

 手先がプルプルと震えている様子から、エルフもまた私のような種族に初めて会い、恐怖におびえている様子が見られた。

 エルフを体躯を見る限り、人間でいえばまだ10歳ほどの幼さがあり、その顔は女にも男にも見えるような中性的な顔立ちをしている。


 私は目線を下げ、鏡のように私を映す水面に向けた。

 そこには作られたような左右対称の顔に、長く伸びた黒い髪が映っていた。


 その姿に不自然さは感じないが、私と対峙するエルフから見れば不自然極まりないのだろう。

 私は両手を上げると、エルフに向け、敵意はないというポーズを取った。


『んfsl;;kじぇいhん!』

 エルフはそのポーズを見ると、恐る恐る構えていた枝を下ろし、すり足で徐々に私に近づいてくる。

 私はその場で腰を折り、片足立ちをすると、そのエルフの小さな手を優しく握り、手の甲にキスをした。


 エルフの白く柔らかな肌はまだ汚れを知らない甘い林檎のような無垢な香りを放っていた。

 私はどうにかコミュニケーションを取ろうと、自分が知る限りのボディーランゲージを試し、それがある程度理解されていることに安心した。


 そして今はまだあなたの言葉はわからないということがエルフに伝わると、にっこりと笑顔を浮かべ、付いてきてといわんばかりに、私の手を握り、森の中へと誘っていった。

 少しばかり獣道を進んでいくと、急に人工的に整備したであろう道へと出た。

 整備といっても、無理やりそこにあった茂みを伐採し、土を何かの板で押し固めたような粗い作りをしている。


 その道をまっすぐと進んでいくと、辺りはだんだんと大きな巨木の立つ森へと変化していった。

 そうしてその巨木の森を迷わず進んでいくと、あるところに木でできた櫓のようなものが見え、そこにはいま私を引き連れているエルフと同族と思われるエルフが門番として、来訪者を見張っていた。


 その門番をしていたエルフは私たちを見るなり、2階から大慌てで降りてきて、私たちの前まで駆け寄ると、握られた私の手から幼いエルフを引きはがし、そのエルフを頭ごなし怒鳴りつけていた。

 その門番をしていたエルフは、華奢でありながらきちんと筋肉が浮き出ており、すぐに雄であることがわかる。


 幼いエルフは、その門番のエルフに負けじと、唾を飛ばしながら一生懸命に言い争いをしている。

 その言い争う声が予想以上に大きく、森の中に木霊するものだから、遠くのほうからわらわらとエルフたちが様子を伺いにこちらへと近づいてきた。


 言い争うエルフ2人をなだめようと数人が話し合いに参加したが、門番のエルフが私を指さした途端、そこにいた全員のエルフの目線がこちらへと向いた。

 幼いエルフは泣きじゃくった顔で、その場から逃げ出し、私の元へと駆け寄る。


 そして私の太ももにぎゅっと抱きつき、やだやだやだと額をすりすりと擦り付けた。

 私はその可愛らしく抵抗する姿に愛おしさを覚え、すりすりと優しく頭を撫でた。


『ダイジョウブ』


 私は先ほどから話しているエルフたちの言語のアルゴリズム解析を済ませ、片言ではあるものの、エルフたちの使う言語を多少なりとも話せるようになっている。

 その言葉に幼いエルフは驚き、「お姉ちゃん話せるの?話せるの?」としきりに伺ってきた。

 私は軽く頷くと、その幼いエルフの手を引いて、先ほどまで言い争いをしていたエルフたちの方へと向かう。


『ワタシハ、テキ、デハナイ』


 そう言うと、私は幼いエルフの手を離し、敵対心がないことを証明するために両手を挙げた。

 エルフたちは自分たちとは違う種族の生物に警戒をしていたが、幼いエルフが一生懸命に「お姉ちゃんは敵じゃない!」と泣き叫ぶものだから、その気圧に押され、少しづつ肩の力を抜いていった。


 すると、エルフたちがささっと道を真ん中で割るように開け、そこから腰を曲げたエルフのお爺さんが長い白い髭を垂らしながらこちらへと向かってくる様子が見えた。

 そのお爺さんはゆっくりとしたスピードでこちらへと向かい、私のもとまで歩み寄った。


「君はどこから来たのかね?」

『オボエテハ、イナイ。ウミカラ、キタ』

「ほほほ、それでは海の女神とでも言ったところかな」

『ウミノ、メガミ?』

「その話は後でしよう。君に敵意は感じられないし、力も感じない。どうじゃ?少しここで泊っていかんかね」

『ヨロコンデ』


 私が承諾すると、お爺さんは私の手を両手で包み込むように握った。

 その慈愛の籠った握手に、私は人間の愛をいうものを感じることができた。


 一連の出来事が収束し、私はこのエルフの村長(同行時に教えてもらった)とともに、集まったエルフを連れ、住居まで徒歩で戻っていった。

 櫓より300メートルほど歩いていくと、ちらほらとそこに住むエルフたちが見え始め、村長の後ろを歩く私の姿を見ては、その場で硬直し視線を何度も上下させている。


 私はそのエルフたちが驚愕している姿を横目に、エルフたちの住居を見上げた。

 エルフたちの住居は、土地ではなく、巨木と巨木の間に橋を垂らし、大きなツリーハウスが何個も何個も重なり合い住居群を成している。


 その幻想的ともいえる空中住居に招待され、私は村の集会所へと村長と幼いエルフとともに向かった。

 集会所で到着するやいなや、村の幹部ともいえる老若男女が一同に介し、村長と私の前に左右に分かれてズラリと座った。


「よく集まってくれたな」


 村長が口火を切り、今回の集会の目的を話し始めた。

 議題はもちろんのこと、私の存在であり、ところどころ理解できない部分もありながら頭の中で整理すると、「私をこの村に居住させるかどうか」というものであった。


 議論は私が思っていた以上に紛糾し、居住賛成派と反対派で、怒号が飛び交うほどに加熱してしまっている。

 大人たちの言い争う姿を見て、幼いエルフは涙目となってしまい、村長はその怖がる姿を見て、幼いエルフの恐怖を癒すように優しく頭を撫でた。


「そろそろいいかね、諸君」


 村長が議論を割くように言葉を放つ。

 その瞬間、言い争っていた怒号が嘘のように止まり、霧散した。


「それでは多数決を取ろうかの。居住に賛成のものは手を挙げい」

 静かに過半数が手を挙げた。

 その様子に手を挙げなかったものは少し不服そうな表所を浮かべたが、多数決で決まったことに抗うことはできず、粛々とその結果を受け入れた。


「これで決まったな。よかったの女神さん」

『アリガトウ、ゴザイマス』

「それじゃあ、簡単に皆に自己紹介をしてくれんかの?」


 村長は微笑みながら私に話すように促す。

 私は少し緊張しながらも、一呼吸置き、ゆっくりと口を開けた。


『ハジメマシテ、ワタシノナハ、ラム』


 ラムという言葉に、皆が少し動揺したのが見て取れた。

 私はその様子に構うことなく話し続ける。


『トオイ、ハルカ、ムカシカラ、ヤッテキマシタ』

「海からやってきた……というのは本当か?」


 若い男が前のめりに興味津々な様子で聞いてきた。


『ホントウ、デス』


 ほほうと皆が顔を向き合いながら、賑わい始める。

 私はその賑わいが何を意味していたのか、その時はわかってはいなかった。


 居住について一悶着があったものの、それが終われば私を家族としてエルフたちは向かい入れてくれ、私はこの村で過ごすこととなった。


 ◆


「ラム様、大変でございます!」

『何事だ?』

「隣村のエルスベダがこちらへと侵攻をしかけるとの宣言があり、明朝にこちらへと進軍してまいります!」

『それは一大事だな。少し待っておれ』


 私はすぐさま、神棚を模した祈祷場へと向かい、祈祷の準備を行った。

 仄暗い密閉された部屋の中に、火の灯るトーチが等間隔に置かれ、怪しく揺らめいている。


 その部屋の中央には祈祷場が設けられており、そこには様々な供物と、大きな楕円形の鏡が置かれていた。

 私は一段上がった祈祷場に足を踏み入れ、祈祷上中央に正座をした。


 そして、壺に入っていた柏の枝木を数本つかみ取ると、顔の前で一生懸命に祈祷をした。

 部屋の隅では、その祈祷の姿を侍女が見守り、まるで神でも見るかのような眼差しを向けている。

 数分もの間、黙々と祈祷をし続け、私はふぅと息を吐き、侍女へ神から承った神託を告げた。


『エルスベダは真っ向から進軍をしてくる。道半ばを泥状化させ、敵兵士の体力を奪え。そして、門より一番近くに立てられた赤い旗を目印に敵軍を囲うように炎を走らせ、逃げ道を正面門に向かわせなさい。そこを弓士の一斉射撃で狙いなさい』

「かしこまりましたラム様。すぐさま、軍師長へとお伝えしてきます」


『ありがとうネカベル。それとお前に頼みごとがある』

「なんでしょうか?」


『少し汗ばんでしまって、着替えを持ってきてほしいのだ。頼めるか?』

「喜んで!」

 そういうと侍女のネカベルは、すぐさま外へと飛び出し、神託の伝令と着替えを取りに行った。


『はぁ、疲れるなこれ』


 ふと心の声が漏れだした。


 実際、神託などというものは存在せず、状況判断による適正解を導き出したに過ぎない。

 ただ、あまりにもその軍略が何世代も後に編み出された戦術ばかりであることから、あくまでもこれは神が考えていることであるというようにしているだけなのだ。


 祈祷などという行為は、皆にそれを納得させるためだけのパフォーマンスであり、この大きな鏡も柏の枝葉もそれっぽく見せるための小道具である。


 エルフの村に来てから、時は数十年と経過した。

 エルフ自体は長寿であるものの、神話のように何百年と生きるものではなく、その当時では長寿といわれる歳、つまり、私が作られた近代的時代とほぼ同じく、平均で100歳という寿命であった。


 当然エルフも歳は取っていくし、見た目も変わっていく。

 少し童顔気味であることからさほど大きな変化はないが、前時代人間とほぼ同じ成長過程を辿った。

 機械と人間細胞を混ぜたサイボーグである私の体だけは、朽ちることなく、まったく変わらないままでいる。


 この数十年間、私はエルフの村で言葉を覚え、村民と意思疎通を図った。

 コミュニケーションを通してわかったことは、彼らは狩猟と採取を生活の糧としており、農業を知らない技術水準であることが分かった。


 私は恩返しにと、自給自足の考えを広め、前時代にインプットさせられた記憶より、古代の農業方式についてを教え、エルフの村はかつてないほどに興隆していた。

 食物が安定的に手に入る仕組みを作り上げたことで、爆発的な人口増加が起き、土地を広め、今では一つの小国として数えられる規模にまで膨れ上がった。


 当然、エルフたちの新規開拓だけでなく、近しい隣国との争いで土地を吸収したものによることも大きい。

 その際にも、様々な生活様式の知恵を与えてきた私に白羽の矢が立ち、私は戦争戦略を考えるようになった。


 事が大きくなるにつれ、いよいよ私の軍事戦略にも時代が追い付いていないという歪みが生まれ、戦略についての議論がされるようになってしまった。

 そうなってしまっては内部崩壊を起こしかねないと考えた私は、咄嗟に今までの助言は神から授かった物であると嘘をついた。


 最初は何を言っているんだという反応であったが、実際に神のお告げだといって天候を予知したり、豊作不作を言い当てたりと、それらしい儀式を用いて当て始めた。

 そこから私は呪術師だの祈祷師だのと祭り上げられ、今ではこのエルフの国の国王と同じ位の地位を確立してしまっている。


 私が神の恩恵ともいえる知識を与えたということも大きいが、もう一つ、私が現人神として崇められている理由がもう一つある。

 それは、古くからエルフたちの間に伝わっている『海の女神』の伝説であった。


 エルフたちの住処は森の奥深くにあり、私が来るまでは活動範囲は森の中に限られていた。

 昔、一人のエルフの戦士が獣との戦いの中で、傷ついた体を守るようにして、森の中を彷徨っていると、聞いたことのない水の音が聞こえ、その音が鳴るほうへと駆け出し森の外へとでると、そこには凹凸のない白い砂浜が広がっており、その先には無限とも思えるほど遠くまで広がる海を見つけた。


 その戦士はトボトボと砂浜に足を踏み入れ、波の当たる場所まで進んでいくと、遠くの海面に上半身だけが出た黒髪の女性が浮いてた。

 自分たちの髪の色が違うことに驚いたが、こんなところにも人はいたのかという嬉しさもあり、思わずその女性に大声で声をかけると、ちゃぷんとその女性は海へと潜り、砂浜に向かって近づいてくる。

 そのエルフは思わず、海の中へと足を踏み入れ、下半身が浸かるほどまで進んで行ったところで、その女性と出会った。


 エルフはその女性の姿に思わず驚きの表情を浮かべた。

 上半身は女性であったものの、下半身が魚の尾ひれがついていたのだ。

 その奇怪な姿に一瞬動揺したが、その女性の美貌にそんな驚きは霞んでいき、エルフはいつしかその女性を抱きしめていた。


 エルフは「どうか俺の住処へと一緒に来てくれないか?」と口説いたそうだが、女性はその言葉に横に首を振り、『私はまだ呪いが解けていないからここから先には行けないの。時間が経ったらまた会いましょう』と告げた。

 エルフは強引に連れていくことはなく、「わかった。待っている」と一言だけ返し、その抱きしめた体を離した。


 エルフはその女性と別れる際、『あなたはきっと群れのリーダーとなるわ。平和のために尽くしなさい』という言葉だけを残し、その女性は海の中へと消えていったそうだ。


 この伝説を教えてくれたのは、この村の居住を勧めてくれた、紛れもないエルフの村長であった。

 村長は年齢のこともあり、私がエルフの村に居住し始めて2年後に亡くなってしまったが、その際に「最期に出会えてよかったよ。君は美しいな」と朧げになる意識のなかで、そっと私の頬に触り、微笑んだのをいまだに覚えている。

 村長が教えてくれた伝説は、エルフの村では有名であり、その伝説通りの女性が現れたものだから、敵対心の強いエルフも、私に拒絶反応を出すこともなく、この村の居住を受け入れてくれたのであった。


 現在、エルフの小国へ侵攻を仕掛けているのは、エルスベダという国であり、水産資源、農業技術、土地の略奪を目的とした侵攻となる。

 以前より、エルスベダより使者が来ては「我が傘下に下れ」という一方的な要求がされてはいたが、当然そんなものが飲めるはずもなく、毎回使者を突っぱね返していた。

 そんなことが続いたものだから、とうとうエルスベダの王が武力行使という手で侵略を開始してきたのだ。


 結局のところ、平和維持を求めてきた私だが、自然発生的に暴力というものはところどころで発生し、結果としてそれが解決策としてそれが最も平和的適正解であったりもする。

 お父さんは世界の終末を予見してからというもの、人間の変わらぬ欲に絶望した。


 だが、一縷の希望、生命の循環による、新たな人類の生誕に「私」という歴史を永い時の中を漂流させ、ついに新しい時代の者と巡り合うことができた。

 私はお父さんがプログラムした指示通り、平和を愛し、争いのない人間社会を生み出そうと奮起してきたが、人間という生物の根源は欲望であるがゆえに、それを取り除くことなどできるはずもなかったのだ。


 明日もまた、この侵攻で大量の人間が殺し合い死んでいくであろう。

 それが人類にとっての適正解であるというのなら、そうではない私はこれ以上口出しすべきでないのかもしれないと、桶にたまった水を眺めては、無機質な表情の自分をじっと見つめた。


 ◆


 私は愛を知らない。

 それは、自分が愛を知るべきではないと思っていることが原因なのかもしれない。


 さしあたって愛の原理を解析してみるが、愛の根源的な発生源は『生殖衝動』や『生存意識』といったものだという解にたどり着き、それと同時に永遠に私には愛を知るすべはないと悟った。

 オトウサンは私に生殖機能を付けることはしなかった。


 技術的には可能であったのかもしれないが、それをしなかったのは、あくまで私は種の平和的繁栄のための記憶媒体としての目的を全うさせるためだったのかもしれない。

 私はこの時代に降り立ち、人間というには遠く及ばない新種の人間(私はその見栄えからエルフと呼んでいたが)へ知識を与え、平和的発展に努めた。


 だが、時に戦いが最も平和的解決になりうることもあったことから、私は『平和』とは一体何なんだろうかと、組み込まれたプログラムの『平和』という定義を証明できないまま悩み続けていた。

 そんな悩みとは裏腹に、祈祷師としての私の立場は上がっていき、大きな選択を迫られることが数多くなっていった。


 そんな重圧が私の人間らしい部分を削っていき、いつしかその選択も機械的に行うようになった私の心は消滅していっていた。

 もともと『半人半機械』の私にとって、心なんてものがあるのかないのか証明はできないが、私が浜辺に流されついたあの時は、まだ砂浜に流れつく波を美しいと思えるぐらいの心は持ち合わせていた。


 私の心はどこから来ていたのだろうと考えてみれば、私の半人、つまり、オトウサンの本来の娘であった『レニス』の細胞から来ているのだと思い至っている。

 時々、私ではない誰かの幸せな夢を見ることもあったが、今はもうそんな記憶の欠片すらも消去されてしまっていた。


 人間らしさがなくなってしまったから私の愛がなくなったのか、愛がなくなったから人間らしさがなくなったのかなどという鶏と卵のようなパラドックスの深みに夜な夜なうなされては、頭を抱えることが多くなっていた。


 そんな悩み(私は一種のバグだと考えている)が私の体を蝕んでいき、気づけば一人、黄色い満月が照らす夜の森をふらふらと夢遊病のように徘徊していた。


 森の中では虫の小さな鳴き声が合唱し、獣が茂みの中をガサガサという怪しい音が聞こえる。

 私は巫女衣装に身を隠すような黒い法衣を羽織り、当てもなく鬱蒼とした森の中を足を擦るようにして歩き続けた。


 昨日の雨のせいか、少し地面がぬかるみ、足袋にその水っ気が浸み込んでくる感触は、到底慣れるようなものでないぐちょぐちょとした不快な感触であった。

 そんな当てもない徘徊を続けていると、木々の間から月光が漏れ出ている場所が遠目で見えた。


 私は光に誘われる我のように、ふらふらとその眩い月光へと歩いていく。

 木の枝を一重二重とかきわけ、その月光が漏れ出る場所へ到着すると、そこは大きな湖の畔であった。

 月光はその綺麗な水面に反射し、森の中へと届いていた光なのだと分かったが、私はこの森にこんなにも大きな湖があったのだろうかと不思議に思った。

 私はそんな混乱をしながらも、その畔に一人佇み、夜空に浮かぶ満月を眺めている。


 ちゃぽん。


 どこかで水が跳ねる音がした。

 その音に遠のいていた意識がもどり、その音の方へと視線を向けた。

 水の波紋が湖の水面に広がり、少し波立っている。


「あら、ここにお客さんだなんて珍しいこともあるみたいね」


 私は声がした方へと、視線をすぐさま移す。

 湖に不自然に飛び出た岩場の頂点に、下半身が魚の尾ひれとなっている女性が座り込んでいた。

 それは紛れもない本物の人魚であった。


『あなたは誰……?』

「私?私はレニスよ。あなたは?」


『私はラム。この国の祈祷師よ』

「嘘つかないで。あなたは祈祷師なんかじゃないわ」


『祈祷師じゃない?そんなわけ』

「あなたは記憶よ。知っているでしょう」


 言葉を遮るようにレニスが事実を突きつける。

 私はその言葉に動揺を覚えた。


 いつしか自分は祈祷師だと思い込んでいたが、実際はそうではない。

 愛を知らない私にとって、人間らしくいる唯一の方法は、人間の全体思想の中に生きるということであった。

 長い時の中で本来の自分の姿が分からなくなるほどに、その思想の海の中に私は溺れていた。


『私ハ……一体、何……ヲ』

 記憶という言葉が鍵となり、本来の自分の姿を心の奥から引っ張り出した。


「ずいぶんと醜くなったわね」

 そういわれ、ふと水面に映った自分の姿を見ると、そこには右半分が無表情で、左半分がぐしゃぐしゃに泣き崩れた顔が映っていた。


「記憶としてのあなたはもう仕事を終えたのよ。今新しい人類はあなたの教えた知恵で発展し続けているじゃないの。ラム、あなたは平和を求めていたかもしれないけど、結局それはあなたの中で考えた平和であって、他人の平和とはまた違うものなのよ。あなたは自分の理想を叶えるために、それを他人にも押し付けていたみたいだけどそれは間違いよ。いい?変えられるのは自分であって、他人を決して変えることはできないわ」


 私は言葉を出そうと頭を回転させるが、まるで文字化けのように考えが混乱し、口だけがパクパクと動いている。

 そんな私の様子を見ながら、レニスは言葉を続けた。


「あなたがこれからどう生きていくかはあなた次第よ。だけどこれだけは覚えておいて。あなたは生まれた意味は、新しい人類の発展のためよ。あなたのオトウサンもそれを望んでいたわ。今その役目が終わったあなたは、もう休んでもいいんじゃないかしら?」


 レニスはその言葉を残すと、岩から身を投げ、水の中へと潜っていった。

 水面に波紋が走り、小さく波立っていく。

 その水面の波に、月がゆらゆらと映り、月光がきらきらと不規則に光っていた。


『少しだけ休もうかな』


 私は虚空に向かって、ぼそりと呟いた。

 そのままゆっくりと湖のなかへと歩き出していく。


 体がゆっくりと水へと浸かっていき、その姿は次第に小さくなっていく。

 ぽちゃんと水が跳ねる音がすると、先ほどまでの出来事がなかったかのような静けさが流れ始めた。


 森には虫の鳴き声が木霊している。

 水面には、綺麗な満月だけが、美しく揺らめいていた。


『卑弥呼』を自分なりの解釈で書かせて頂きました。

その出自も死に際も、今だ解明はされていませんが、もしかしたら古代から来た最新のテクノロジーで作られた機械少女だったと思うと、それもまた夢がありますね。

案外そんなファンタジーが、世界の真実だったりすると、少しだけこの世界の歴史も面白いと思えるのではないでしょうか。

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