縄文時代の通貨
【巨大貝塚の謎】
千葉市には狭い範囲に集中して、世界最大級の貝塚があります。
博物園が併設された加曾利貝塚が比較的有名ですが、実はその周辺に、同クラスの貝塚が多数あり、更にその周辺地域には小規模な貝塚が多数あります。
全てを含めるとその界隈は、世界最大の巨大貝塚地帯と見做すことが出来ます。
貝塚で、何が生産されていかは明白です。干貝ですね。
しかし、地元で消費するにはあまりに大量に、長期に渡って生産され続けていました。
また、縄文海進で広大な海となっていた古鬼怒湾(後に縮小して香取海と呼ばれ、現代では霞ヶ浦や印旛沼・手賀沼などになっています)が海退し、淡水化していった時代には、巨大貝塚地帯の東を北流する鹿嶋川以東では淡水産の貝による貝塚へと変わりますが、鹿嶋川以西では目の前に産する淡水貝ではなく、十数kmも離れた東京湾岸で採取した海水産の貝による貝塚が作られ続けます。
何故、それほどまでに海水産の貝を素材とした、干貝の生産を継続したのでしょうか?
【縄文文化のセンス】
縄文時代の文化は直後となる弥生時代の文化と、隔絶と言っても差し支えない程のデザインセンスの変化があります。
現代の目で見ても『前衛的』と言っても差し支えないほどの躍動的なデザインセンスから、シンプルな機能美的な『現代的』とでも言うべきデザインへの急変します。
変化の理由や担い手の人々についてはここでは問いません。
しかし、あの『火炎土器』に代表されるようなデザインセンスの文化は、何処から来たのでしょうか?
※注意して頂きたい事として、ここでは『民族』という用語を避けています。
理由は『民族』という用語が、『文化』を指すものなのか、担い手である『血統』を指すものなのかが、不明確である為です。
例えば、『文化』を指すのであれば、江戸時代までの日本民族と明治以降の日本民族は、異民族と見たほうが適切な程の、劇的な変貌を遂げています。
縄文文化と弥生文化の、隔絶に匹敵する程の変化です。
しかし、『血統』を指すのであれば、江戸時代と明治時代の間には、特段の変化はありません。
このように、『民族』という用語の定義が不明確なので、あたしは使用を避ける事にしています。
【黒潮文化】
日本では弥生時代以降はすっかり鳴りを潜めてしまう縄文文化ですが、縄文文化以外には似たデザインセンスの文化はないのでしょうか?
もちろん、有ります。
それも沢山。
まず、現代日本にも『縄文文化っぽい』デザインセンスの物が残っています。
代表格が狛犬です。
『弥生文化センス』の神社の前に、『縄文文化センス』の狛犬が控えている訳です。
他にも『唐草文様』や、『獅子舞』等のセンスも縄文文化的です。
そうした目で見直すと、シーサーに代表される沖縄文化は明らかに縄文文化的センスですし、アイヌ文化も多分に縄文文化的です。
ちなみに、南九州の『隼人』が使用していた盾の文様も唐草文様です。
『隼人』『熊蘇』『蝦夷』といった、大和朝廷によって駆逐された文化に、縄文文化の残滓が見て取れます。
海外に目を転ずると、バリ島のバロンに代表されるポリネシア文化は、縄文文化と類似点が非常に多いです。
とくに、バロンって獅子舞によく似てますよね。
なお、太平洋全域に広がっているポリネシア文化ですが、その広がりの出発点は、台湾と見做されるのが通説です。
ただし、ポリネシア文化が台湾から拡散し始めるのは、縄文時代よりずっと後のことになります。
そしてポリネシア文化を駆逐するかのように、ミクロネシア文化とメラネシア文化が、同心円のように広がっています。
中国の四川省の三星堆から、独特なセンスをもった青銅器が出土しています。
躍動的なデザインと、長く飛び出すような目の仮面。まさに『前衛的』としか言いようがないセンスです。
『長江文明』をご存知でしょうか?
中国北部に興った『黄河文明』と並ぶ、もう一つの古代中国文明です。
両者は、黄河と長江という中国の二大大河の下流域に興った文明です。
ナイル川中下流のエジプト文明、チグリス・ユーフラテス川下流域のメソポタミア文明、インダス川中下流から後にガンジス川流域にまで広がったインダス文明とならぶ古代文明ですね。
そして『黄河文明』は殷を建国し、後に拡大しながら漢民族となります。
では…『長江文明』の、その後は…?
【長江文明の崩壊】
さて、ここまでが学術的に認められている『歴史』です。
ここからが、推論となります。
おそらく長江文明は、黄河文明圏からの侵略によって滅ぼされたようです。
中国の歴史は概ね、『北』に興った勢力によって、それまでの勢力が『南』へと追い込まれ、そして滅ぼされる。
このパターンの繰り返しです。
(例外も多数有りますが、各論となるので割愛します)
そうした『北』の勢力による『南』の勢力への侵略の、最初期のものが『長江文明』の崩壊だったのではないでしょうか。
強大な勢力からの侵略を受けたとき、『正常な判断』は…『徹底抗戦』ではありません。
もちろん『逃亡』です。(勿論、抗戦を行った記録も残ってますけどね。滅ぼした側の神話に、悪神『蚩尤』の征伐として…。)
さて、肥沃な長江中下流から、北を除く各方面へ『逃亡』すると…。
南へ逃れれは、まずは長江南方の山岳地帯、現在の福建省。
ここへ逃れたグループは、後の百越、そして南越となります。
西へ逃れれば、長江を遡って四川省に至ります。
ここへ逃れたグループは、古蜀と呼ばれる三星堆遺跡を残します。
そして…東へ逃れれば…そこは東シナ海です。
海を渡り切れば九州です。
南東には台湾、その先には沖縄が有ります。
あたしは『縄文文化』は、長江文明の後裔であり、ポリネシア文化の北限に当たり、古蜀や山越とも兄弟的な文化だったのではないかと推定しています。
【ガムラン】
インドネシアの青銅器音楽、ガムランをご存知でしょうか?
青銅の材料として必要な錫をほとんど産しないインドネシアにあって、海を越えたマレーシアから運ばれた錫を使て作られた楽器を使用しています。
その源はベトナムに興った青銅器文明、ドンソン文化の流れを引くとされています。
ベトナム…南越です。
ところで『青銅器の楽器』と言えば、日本には銅鐸が有ります。
…弥生時代に作られた、『用途未詳』の楽器です。
弥生時代には盛んに作られたものの、三世紀頃にぱったりと作られなくなりました。
日本で、三世紀に何が有ったのか?
中国の史書である三国志の東夷伝には、『倭国大乱』の記載があります。二世紀後半の記載が有ります…。
さて、ガムランの演奏ですが、『神に捧げる音楽』とされています。
日本の雅楽に相当しますね。
雅楽…遥か古代、弥生末期の時代には、銅鐸を含む青銅楽器によって演奏されていたのではないでしょうか?
東夷伝に記載された邪馬臺国の風俗は、ポリネシア文化の風俗と共通点が多数有ります。
【貝貨と乾貨】
漢字の部首である貝偏は、貨幣や財産に関わる文字である事を表しています。
…例を挙げる必要はないですよね?既に貝偏の文字が並んでいますから。
既に記載した文章中に顕れていますから。
さて、日本での漢字の読みには『訓』と『音』があります。
『訓』は漢字に日本語(と、言うより大和言葉)での意味を当て嵌めたもの、『音』は中国語での発言…なのですが、この『音』は『呉音』です。
『呉音』は呉、つまり長江下流域での発音です。
対して黄河流域での発音は『漢音』です。
遣唐使とかによって『漢音』が持ち込まれる以前から、日本には『呉音』がありました。
この辺り、奈良時代以前の日本では、中国南部との交流が盛んであった事が伺えます。
さて、現代でこそ『中国語』と言えば『北京語』ですが、メディアが発達する以前には、中国の各地で互いに言葉が通じないほどに、異なる発音の言葉が使われていました。
『中国語』と呼ぶのは『ヨーロッパ語』と呼ぶのと同等…とまで言われる程です。
(実のところ、中国はヨーロッパ全土より広いくらいなので当たり前の話なんですが。)
とくに華北と華南では、それぞれに異なる文明から発達した文化が栄えたため、『漢音』と『呉音』という異なる発音体系を形勢していた訳です。
その影響は漢字自体にも残っていて、同義異字が多数作らています。
『舟』と『船』みたいな奴です。
で、貨幣の話へ戻りますと…古代中国の殷では、東南アジアから入手した貝殻を使用した、『貝貨』が使用されていました。
後に貝を模した青銅貨が作られるようになり、次第にインドやヨーロッパとの交易の影響を受けて、コイン型の貨幣へと統一されてゆきます。
しかし、現代でも中国では、乾物(干物)を『乾貨』と呼びます。
とくに、『干し鮑』は、最上級の『乾貨』ですね。
『貨』は、日本語では荷物の意味ですが、中国語では貨幣の意味となります。
つまり…『乾貨』とは『干物製の貨幣』という意味に相当します。
漢字やその発言が、黄河文明圏と長江文化圏では異なっていたのと同様に、通貨も異なっていたのではないでしょうか?
材料となるタカラガイを輸入に頼る黄河文明圏では貝殻を使用した『貝貨』が使用され、タカラガイを含む貝類が豊富に入手出来る長江文明圏では保存食品でもある干し貝『乾貨』を通貨としていた…むしろ、『乾貨』を真似た代品が『貝貨』だったのかも知れません。
【縄文時代の通貨】
ここまでの論を読めば、もう推論の結論は明白でしょう。
縄文文化は長江文明圏の一部であり、その文明圏での主要通貨は『乾貨』だったという推論です。
則ち、千葉市の巨大貝殻群は…縄文時代の『造幣局』(っぽいもの)の遺跡…という事になります。
…生産した干し貝が、貨幣相当な価値を持つ訳ですから、より高価値である海産の貝を、十数kmも離れた場所から輸送して加工するのも道理です。
さて、この貨幣としての『乾貨』ですが、現代でも儀礼的に使われている国があります。
…その国の名を…(笑)
ご存知でしょうか?
贈答品などに付ける『熨斗紙』の、『熨斗』とは何なのかを。
『熨斗』とは、熨斗紙の右上に付いている折り紙みたいな奴です。
より正確には色紙に包まれた黄色っぽいモノが『熨斗』の本体。
正確には、『熨斗鮑』です。
本来は、贈答品の本体が『熨斗鮑』であり、熨斗紙に包んだ中身は、副贈答品なのだそうです。
そうです。
私達日本人は現代でも、『縄文時代の通貨』を使用し続けているのです。