絶望の森
『これを着なさい。』
武藤に渡されたのは厚めのボディスーツとツナギであった。
普段は制服がメイド服のアリサにとっては異様な格好である。
『どちらに行くのですか?』
『富士山だよ。樹海。』
青木ケ原樹海。
山梨県富士河口湖町と鳴沢村に跨がる深い森で、一度奥に入り込むと出てくる事が出来ないと言われ、全国有数の自殺の名所としつ知られている。
武藤も普段のスーツからツナギと作業用のコートに着替えてきた。
『タブレットに入れたアプリを開いてみなさい。』
『デスペアーチェッカー……ですか?』
アリサ用のタブレットには新しいアプリがインストールされていた。
『デスペアー、つまりは絶望の淵に沈んでいる人を見付けるアプリだよ。AIとタブレットに内蔵されたGPSに連動されるから人間が見ても反応しないけどね。』
数キロ先に自ら命を絶とうとする人がいるとアプリが反応するというものだ。
『政府からの依頼の一つで、年間二万人以上いる自殺者を減らすために現地の警察やボランティアと協力して自殺志願者を救ってほしいと言われているんだ。今は福井県の東尋坊に寒冷仕様の人形を一人派遣しているが、青木ケ原も導入計画があって今回はとりあえず一週間のお試しだ。』
自殺志願者を探すには深い森の中に入らなければならないが、普段のアリサのスーツでは直ぐ傷付いてしまうため、厚手のスーツを別に着用するのだ。
一週間の期間中に集めたデータをもとに、本格導入時は特定機能が強化された人形が専任で派遣される事になる。
2人は樹海近くのボランティア団体、[樹海お助けネット]の事務所を訪ねた。
『わざわざ遠くからご苦労さまです。私が代表の高山です。』
高山晴樹という名前の代表は髭をたくわえ、散弾銃を持たせば猟師に見える風貌である。
『カスタムドール社の武藤と、こちらがアリサです。』
『ふーん、この等身大の人形が自殺志願者を見付けるって言うんですか?ちょっと信じられないな。』
高山は半信半疑な目でアリサを見ている。
『宜しくお願いします。』
『わ、喋った!』
特定場所ではないのでAIの基本会話しか出来ないが、アリサは人間そのものの流暢な言葉で喋れる。
『アリサはわが社で一番優秀な人形なんです。元は家事手伝い用のメイド人形なので、アウトドアは不向きなのですが、データ採取という事情もあり派遣致しました。一週間、宜しくお願いします。』
アリサと武藤は一週間、この事務所に寝泊まりして自殺志願者の捜索をするのだ。
『まあ、この一週間の間に自殺しようって人が来ない事もあるから成果の程は分からないがね。こちらとしてはそういう人間がいない方が良い訳なんだから。』
そもそも、自殺する人がいなければこの団体も必要はないのだ。
『見廻るのは朝、昼、夕暮れ前の1時間づつ。体調が勝れない時、ちょっとでも怪我をした時はその時点で撤収。我々も万全でなければ帰り道を迷う事もあるから絶対無理はしないというのが鉄則です。』
ミイラ取りがミイラになってしまってはいけないのである。
3人は最初のパトロールに出発した。
『どうだ、アリサ?』
『今のところ異常ありません。』
タブレットに表示された地図を見ながらアリサは答えた。
『よく樹海の中だと磁石やGPSが効かなくなるって言われますが。』
GPSが効かなければこのアプリは役に立たない。
『あんなもん、ただの都市伝説だ。木に遮られて電波が弱る場所はあるみたいだが、おたくのGPSなんてそんなちゃちなもん使ってないだろ?』
アリサ自身のAIにもGPS機能が付いていて、ユウリがジュラルミンのスーツケースに閉じ込められた時はかなり遮られたが、このアプリのGPSは機能強化されている。
『なにもない場所なら20キロ先も反応します。』
今のところ、森林より都会の人ごみの方が感知するのが難しい。
大勢の人の感情の渦の中では本当に絶望の淵で電車に飛び込もうとする人などは至近距離でなければ特定出来ないのだ。
40分ほど歩き、折り返そうとした時にアプリが反応した。
『この先西北西方向、森の奥からです。』
『分かった。アリサはここに残って指示を出してくれ。』
武藤と高山が自殺をしようとした男性を連れて戻ってきたのは20分後である。
男性はかなりやつれていたが、自分の足でしっかり歩ける様で、そのまま駐車してある車の場所まで歩き、事務所に戻った。
『志茂田宗一、32歳か。家族は?』
免許証で身元を確認して高山は志茂田という男性に尋ねる。
『いません。独身です。』
『どうして死のうと思ったのですか?』
『会社が辛くて……。ブラックな会社ではあるんですが、自分も仕事がとろくていつも怒鳴られるし。』
『パワハラか……。同僚とかは?』
『話を出来る人は一人もいません。僕、生きている価値なんてないんです。』
まさに志茂田は人生に絶望していた。
『適応障害かもしれませんね。』
『このまま戻って転職してもまた自殺を図りそうな感じだな。』
説得をして社会に戻ったが再びここに現れ自殺をしたという人が過去にもいたのだ。
『志茂田さんは本当に生きていたくないんですか?』
『……はい……。』
武藤の質問に志茂田は力なく答える。
『せっかく救った命を無駄にされたくないんです。あなたにはどうしても生きてもらわなきゃ我々の努力が無駄になるんです。あなたにはそれが分かりませんか?』
『ちょっと武藤さん。あまり言い過ぎては……。』
高山が制止するが武藤は続ける。
『志茂田さんの貴重なその命、私たちに預けてみませんか?』
『は?……私みたいな駄目な人間、なにも出来ませんよ。』
『そんな事はありません。私たちがあなたを再生します。』
武藤は力強く志茂田に言い放った。




