食べる女
アリサの新たな仕事が始まった。
リビングと寝室の間にあるウォークインクローゼットの隣にアリサの充電ユニットが配置されている。
ウォークインクローゼットの扉と同じデザインで、そこが夜アリサが収納される事は来客には分からない。
タイマーがセットされた6時になるとアリサはユニットから出て、先ずは起動チェックを行なう。
それが済むと洗濯された下着とメイド服を着る。
充電ユニットがピュア★ラブリーにあった充電器と違うのは充電中に人形の洗浄機能が付いた事であり、寝ている間にアリサは汚れを落とす事が出来るのだ。
久保塚は朝起きると先ず入浴をするのでバスルームに湯を張るのが1日の最初の仕事となる。
それから朝食の準備をして久保塚の着替えを用意し、同時に前日一緒に泊まっている準備のデータをチェックする。
アリサの1日の業務は夜9時で、久保塚が女性を連れて帰宅するのは大体日付が変わった後だから前日どんな女性が泊まっているかはまず分からない。
朝食を大切にする久保塚からは、泊まった女性が好む朝食を用意する様に指示を出されており、それが日によって和紙だったり洋食だったりその都度違うのだ。
しかも深夜まで飲酒して久保塚と夜を共にした女性は目の前に好きなものが出されても食べる事が出来ず、瞬く間に久保塚は機嫌が悪くなる。
『アリサ。』
『かしこまりました。』
久保塚の合図があるとアリサはその女性の手を取り、退室させる。
『なによ、あんたロボットのくせに!』
部屋を追い出された女性は文句を言うがアリサは黙って部屋の外で待機していた運転手の田代に引き渡す。
田代はそのまま地下の駐車場に女性を連れていき自宅まで送るのだがその女性がこのマンションに来る事もその車に乗る事もないだろう。
中には朝食をしっかり食べる女性もいて、それが久保塚にとって気に入る基準となるためアリサはその女性のデータは残しているのだ。
飯島友理、26歳、職業女優・モデル・タレント……。
既に週刊誌で取り上げられて久しいが、久保塚も友理も隠す事なく交際宣言をした仲であり、週に一度は久保塚の部屋に泊まりに来る。
モデルとして華々しくデビューした友理は女優に転身、ドラマ・映画・CMなどで活躍していたが、美人というだけで如何せん演技が下手なため干され掛けた頃久保塚と出会い、交際が始まったのである。
決め手はその食欲……。
アリサは友理が泊まった翌日は必ず神埼パンのパンを用意する。
神埼パンは以前友理がCMキャラクターを務めた関係もあり、友理自身朝は神埼パンの食パンでなければという徹底ぶりで、久保塚は友理が朝からしっかり食べる姿に惚れたのである。
アリサは毎回[ブレッドクイーン]や[ふんわりソフト]という神埼パンの銘柄を変えて出し、サラダやスープなども微妙に製品に合わせて味を変えるが、友理はいつもその銘柄をアリサの前で当てていた。
『今朝は[さわやかモーニングブレッド]ですね。これにレモンドレッシングのサラダはよく合うんです。さすがはアリサさん。』
友理は大好きなパンの事になると饒舌になり、アリサとの相性も良好でますます久保塚との仲は深まっていった。
しかし、二人が公然の仲であるにも関わらず久保塚は他の女性を部屋に招き入れるのを止めたりしない。
友理はそれも理解した上で久保塚を愛しているのだ。
『私が他の女性より輝いていればこそ久保塚さんは私を愛してくれるんです。だから久保塚さんが他の女性と遊ぶのは私にとって発奮材料です。』
昼のトーク番組に出演した友理がそう語っていたが、テレビの露出は以前よりかなり減り、友理は久保塚の恋仲というレッテルだけで芸能界で生き残っているだけなのだ。
(ご主人さまに見限られたら、友理さんかわいそう。)
たぶん久保塚は友理をその程度にしか見ていないとアリサは思うが、アリサの思いは心の中で留まっている。
(もし私が人間だったら誰かにこの思いを言ってしまうでしょう。でもそれはご主人さまに対する不忠。)
どんなに久保塚が人間として軽蔑に値する存在であってもアリサはメイドとして日常業務をこなすだけなのだ。
(私は人形で良かったと思う。)
毎週泊まりに来る友理の気持ちを知る程にアリサはそう思うのだった。
『おはようございます、ご主人さま。』
昨晩も友理が泊まったはずだが、久保塚は機嫌悪そうにひとりで寝室から出てきた。
『……友理はまだ部屋にいる。先に食事をして執務室に行くから9時になったら食事をさせて田代に送らす様に。』
『かしこまりました。』
二人の間になにかあったのだろうか?
明らかにいつもとは様子が違う。
『友理さま、おはようございます。』
9時になり、久保塚の言い付け通り友理を起こしに寝室に入ると、友理は真っ赤な目をしていた。
(見切られた……。)
理由は分からないがたぶん、久保塚の方から一方的に破局を言い渡されたのだろう。
友理は顔を洗い、アリサに促されて朝食の席に付いた。
友理は傷付いた心を食欲で癒すかの様に食べる。
『アリサさん、お世話になりました。私がここで朝ごはんを食べるのは今日が最後です。』
食卓にある全ての料理を食い尽くす勢いで友理は食べ続けた。
『もう芸能界の仕事もほとんど来ないし太っても構わない。これから徹底的に食べてやるんだから。』
そう言って食べまくった友理だったが、全てを食べ終わると涙目になった。
『……私、馬鹿みたい。どうせ棄てられるって分かっていたのに。芸能界で仕事もなくなってあの人にすがるしかなかったの。』
話し相手は人形のアリサしかいないが、アリサは友理に同情しているが自分の思いは言葉に出せないのだ。
『食事が終わりましたらお車でお送り致します。』
こういう時、AIの放つ言葉は冷たい。
友理になんとかしてあげたいと思った時、アリサはまさかの言葉を発した。




