第三章-7『落とし所』
マルコに促されてキヨシが入室した部屋は、置かれている家具類を見るに、どうやら居住スペースのようだ。人一人には不相応な程に広い、まるで高級なホテルと見紛うような部屋だったが、よくよく考えてみれば、ここは王宮。これくらいは当然なのかもしれない。二人が備え付けの椅子に腰掛けると、いよいよ本題となる。
内容は、キヨシたちの今後の処遇についてだ。
「始めに伝えておくが、今回の議会の決定については、欠席している第一席、ンザーロ氏の承認を得るまでは、常に動く可能性があるということを了解してくれ」
「了解。そんで?」
「さて、まず結論から言おう。此度の亡命だが……即時認めるワケにはいかない、とのことだ」
とても良い返事とは言えないが、キヨシは特別狼狽えたりはしなかった。およそ予想通りの返事だったからだ。それも、議会が始まるよりも前からの。
「取り敢えず、君が異世界からの来訪者であるということについては、確実に否定できる材料もない故、今のところは追及する気はないそうだ。逆に、オリヴィーでの一件については、現地に諜報部を派遣して、徹底的に調べさせるのだと」
「ち、諜報部……ここの人たちは、ヴィンツェストをとことん嫌ってるみたいっスね」
「みたいだね。こういう態度になりがちなのについては、申し訳ないと思ってるよ」
「いやいや、おたくが謝ることなんか何もないでしょ。こっちだって、なんの不都合もない。洗いざらい吐いたもんだから、調べられて困ることなんか、何もないワケだし。しかし、『即時認めない』という言い回しが気になってるんスけども……ひょっとして──」
「ああ。恐らく、君の想像通りの意味だろう」
ヴィンツェスト内部に間者が忍ばされているという後ろ暗い話は置いておく。そんなものは、キヨシたちにとってはどうでもいい、枝葉の話でしかない。重要なのは、あくまでも一行の処遇──その一点に尽きる。
「諸君の身柄は、当分の間は監視も兼ねて、王宮で預からせてもらう。君個人の扱いに関してだが……まず、そのボロボロになった身体の治療の一環として、しばらく療養してもらう。医師もこちらで手配しよう」
「お、マジィ!?……じゃなくて! よかった、ありがとうございます」
「……──────」
「……や、ヤだなあ、マルコさん。黙りこくっちまって……無礼な言い回しでした。ホントすいません」
「いや、そうではなく……その…………その後の扱いについて」
「……なんスか、いやに歯切れ悪いな」
「あー……」
今度の返事は、キヨシにとってめでたい話ではあったものの、それを伝えるマルコの口が、どんどん重くなっていく。怒りに触れたかと思えばそうでもなく、むしろ申し訳なさそうに、
「身体の傷が治癒して、完全に回復した時点で……君は、王宮勤めの"奴隷"になってもらう、そうだ……」
キヨシは耳を疑った。
「……え、何? "トレイ"? 板がどーしたって?」
「いや奴隷」
「……え、何? "クレイ"? 粘土がどーしたって?」
「いや奴隷」
「……ウソォォォーッ!!?」
「ホントォ……」
額を抑えて突伏するマルコに対し、キヨシは容赦なく叫ぶ。
「え、いや待て! 奴隷って、あの奴隷!?」
「その奴隷。存在そのものに価値を定められ、金銭で売買される人間という意味の奴隷、だ……」
「ざっけんな! やっぱあの議会、最後までいるべきだったぜ!」
キヨシは真剣に、『信じた俺が馬鹿だった』と思った。手の平返しもいいところかもしれないが、ワケも分からぬ内に、キヨシの個人的異世界ファンタジー三大鬱要素(?)の一角を成す、『奴隷身分』に落とされたとなれば、そう思うのも人情というものだ。それに、これはキヨシだけの話ではない。ティナやカルロッタ、そしてセカイにだって無関係ではないのだ。
と、ここでノックもなしに出入り口の扉が開く。
「……こんなことだろうと思った」
「ッ! おたくは……四席の!」
溜息交じりに入室したのは、議会四席のセレーナだった。
「セレーナ・セラフィーニ。こうして直接落ち着いてお話するのは初めてですね、イトウキヨシ君」
「これが落ち着いていられるか! 奴隷になるって、どういう判断でそんな……」
「……なんだか、過剰なまでに嫌がるのですね?」
「ッたりめーだァバカタレ!」
先程のマルコ相手の態度以上の無礼な物言いだが、そうなっても仕方がない理由がある。が、セレーナの方はキヨシが何故そこまで声を荒げるのか、イマイチ理解できない様子だ。
「一応伺っておきますが……あなたは、奴隷をどういう存在だと?」
「は? そりゃあおたく、あの……そうですね……こう、足に鉄球とかつけられて、鞭打たれて馬車馬の如く過酷な労働を強いられ──」
「まあ、野蛮! 貴方の世界の奴隷は、そんな酷い扱いをされていらっしゃるの?」
「いや少なくとも表向きは奴隷貿易やらは禁止されて……つーか、イメージ語っただけで野蛮呼ばわり? キレそう。じゃ、逆に聞きますけど。この国の奴隷ってのは、どういう扱いを?」
「そうですねぇ……一言で言うならば『労働者の最下級層』といったところでしょうか」
キヨシの問いに少し考え込むような仕草をしつつ、セレーナはアティーズにおける奴隷について、簡潔に話し始める。
「今の奴隷と呼ばれる者たちというのは、十五年前の戦争による戦災孤児か、単純に貧しき者かに大別されるのですが……共通しているのは、『社会的な生き方を知らない』という点」
「社会的な生き方?」
「職に就き、労働の対価として金を得て、その幾ばくかを税として王宮に納める。そういう当たり前を教えてくれる大人が、身近にいなかった者。そうなれば飢えるか、奪うかしかない。放っておけば、治安も悪くなっていく。そこで、それらを王宮で雇用し、人材を必要としている者たちがそれを買う……という仕組みが生まれたのです」
「オイオイ、その社会的な生き方ってヤツを知らん人間なんか、欲しいと思う人いるんですか? 社会に出るには、ある程度学が……」
「仰る通り。そこで、必要最低限の教育も行っています」
「なんだ、いやに至れり尽くせりだな……」
「ただし、タダではやっていませんけれどね。王宮で雇用された人間は、労働の対価として最低限の賃金と教育を受ける、ということになっています。色々と欠陥もある仕組みですが……そうせざるを得ない事情が──」
「……俺の故郷では、『ない袖は振れぬ』って言うんだよね。財政が不安定過ぎて、より現実的な難民救済に税金を回してる余裕がない……って感じですかね?」
「およそ、そんなところです」
話を聞く限り、キヨシが義務教育課程の『社会』だとか『歴史』の科目でフワッと学んだ奴隷とは、成り立ちからシステムまで根本的に違うようだ。有り体に言ってしまえば、派遣会社と職業訓練学校が併合したような存在と考えていいだろう。言葉が一致しているだけで、全く関係はないらしい。さらに言えば、恐らく飢えたる者が餓死から免れるためのセーフティーネットとしての側面もあるように感じられる。
となれば、『キヨシが』断ったり嫌がったりする理由もないだろう。しかし、これではまだ半分だ。
「了解、その辺は受け入れます。読み書きも勉強しなきゃいけないしね。ただ──」
「ティナさんやカルロッタさんのこと、ですか?」
「そうとも。実のところ、俺なんぞよりそっちの方がずっと重要です」
そう、キヨシの中で一番の関心事と言えば、ティナやカルロッタ、そしてセカイの処遇に他ならない。もしキヨシ一人が最高待遇で歓迎されようとも、彼女らが不遇となれば、キヨシは絶対に納得しない。逆ならどうか分からないところだが、とにかくキヨシはその辺りをセレーナに問い詰めた。
「ふふ、仲睦まじきは素敵なこと。そのお二方は──」
キヨシの剣幕もするりと流し、セレーナがニコリと微笑んで、口を開くとほぼ同時に、今度はしっかりと扉を叩く音が響く。セレーナが入室を促すと、現れたジーリオが、瀟洒な動きで一礼した。
「お二人をお連れしました。どうぞ」
お二人というのは問うまでもなく、ティナとカルロッタのことだろう。実際には三人いるが、そんなことは知る由もないだろう。
しかし、ジーリオの誘導にも関わらず、誰一人として姿を現さない。ジーリオの目を見るに、視線の先にいるのは間違いなさそうだが。
「……あら、どうされまして?」
「いや、あの、ジーリオさん? そこにキヨシいるんだよね?」
「ええ」
「えっ、きー君いるの!? 行こ、ロッタさん!」
「だァー! ちょっ、押すな押すなってー!!」
何故か入室を──というよりキヨシの前に立つことを渋っている様子のカルロッタの背中を、交代したらしいセカイが押す。
そうして無理矢理入室した二人の姿を目の辺りにしたキヨシは、『キョトン』とした──という反応を完璧に体現してみせた。
「イェーイ! きー君、どう? 似合う?」
「……あんまり、ジロジロ見るな……よな」
片やモデル立ち、片や真っ赤になって俯き。そんな二人の出で立ちは、ジーリオの装いに近い──言うなれば、『改造メイド服』とでも表現すべきもの。この手の服装をアニメや漫画で見る度にキヨシは、『こーいうので肌の露出ってどうなんだ? 料理のとき油とか跳ねて火傷すんじゃねえのか?』などと、デザインした人からしたらクソリプ極まりない感想を抱いていたのだが、それをそのまま口にするようなことはしなかった。納得いかない気持ちを奥底に秘めつつも。
「……え、あ? まあうん。なかなか似合ってるんと違う?」
「オイオイ、キヨシ。君はもう少し女性に対して──」
「やったァー! バッチリ御奉仕しちゃうからねっ!」
「……まあ、本人がいいならいいか」
キヨシの当たり障りと気のない返事を、マルコは無礼と判断して窘めるが、当のセカイが無邪気に喜んでいるのを見て、矛を収める。得な性格をしていると言わざるを得ない。
「ティナ様。お二人には王宮の召使いとして働いてもらうのですから、キヨシ様個人に、あまり構ってはいられないかと。明日から早速、業務内容を覚えてもらいますし」
「ええーッ!?」
セカイの露骨なガッカリ顔に、ジーリオは肩を竦めて、感心しているとも呆れているともつかない笑みを浮かべた。
「まあ、余裕があるなら……その余裕をキヨシ様に向けるのも構いませんが」
「それは望めないでしょうね。ジーリオは有能過ぎるから……」
「恐縮です」
「半分は"戒め"よ。くれぐれも、使い潰すようなことのないように」
「ちょ、なんか不穏な会話が始まってるんだけど!? きー君、さっきみたいにビシッと言っちゃって! ロッタさんもほら、隅っこで縮こまってないで何か言ってよ!」
ジーリオとセレーナのブラックな会話に戦慄したセカイが仲間たちに助けを求めるも、カルロッタはフリフリのスカートを抑えながら頭から煙を吹いて『あー』とか『うー』とか唸るだけで動かない。そうなると頼みの綱はキヨシだが、
「ティナちゃん、ワガママ言うな。追い出されなかっただけ、ありがたく思うべきだぜ。もし不満があるんなら本人か、こちらのセラフィーニさんに言えば、対応してくれるでしょ」
「むぅーっ、社畜根性のきー君め……分かった」
「あのすいません、就活生に社畜とかそういうのやめてもらえる? 敏感だからなその手の話は」
素直に従いつつも、助け舟を出してもらえなかった腹いせなのか、セカイは元いた世界から続くキヨシの古傷を抉ってきた。こんなやり取りは元いた世界でもしたことがなかったが、セカイもこの世界の人間の影響を受けてきている、ということか。『場に染まってきている』とも言うが。
「では、お二人におかれましては、また私についてきてもらいますように。二人のお部屋に案内させていただきますので」
「……行くわよ、ティナ」
「じゃーねー、きー君! また後でね!」
「ああ、また──ん? おいまさか、アティーズでも一緒に寝る気か!?」
「バイバーイ☆」
「コラ、答えて出て行け!」
ある意味キヨシ個人の名誉に関わる、議会以上に危険な場面だ。ここにはマルコもそうだが、議会に席があるセレーナもいるワケで、返答次第では再び懲罰房──いや、それすら通り越して今度は本当に囚人用の牢屋にブチ込まれるかもしれない。誰もが固唾を飲んで見守る中、呼び止められたセカイが取った行動は──
「んふ♡」
何も言わず、ただウィンクして退室。普段の立ち振舞を考えれば大したことはないと言えなくもないが、普通どう取られるかなど、想像に難くない。
「……童女趣味か?」
「……童女趣味ですか?」
「断じて違ァーうッ!! ええい! 何で行く先々でこんな扱いなんだ! ヴィンツの手先呼ばわりのがまだマシだよコンチクショー!」
今日一番殺気立ったマルコが双剣の柄に手をかけ、セレーナは背後からそれを抑える。この後誤解を解くのに小一時間かかった。




