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第二章-62『熱烈な抱擁』

 今、キヨシは自分がどういう状況下にいるのか、イマイチ飲み込めずにいた。


 真っ暗な空間、そのくせ自分の姿はくっきりと視認でき、そしてそこにいたのはティナであってティナでもない──とでも言うべき何か。事ここに至るまでの全てを体験しているキヨシの理解すら超えている不可思議。ただ一つ分かるのは、今目の前にいるこのティナに近い姿を象る何かを、排除せねばならないということだけだ。


『「足りん……足りん足りん、まるで足りぬわァッ!!」』


「会話が成立しねえな……あんだけ暴れてブッ壊して、まだやり足りねえってのか」


 目を血走らせ衝動のままにくっちゃべるティナめいた何かへと、間髪入れず一気に間合いを詰めにかかる。タフなセリフとは裏腹に、キヨシに余裕はない。ティナたちと共有しているあの感覚は、未だキヨシの心身を蝕み続けているからだ。


『「灰にして"放り出してくれる"ッ!!」』


「──!!」


 ティナもどきがぐんと伏せると、その口から真っ暗な空間とは対象的な、白く輝く炎が地に叩きつけられ爆裂する。盾の生成も間に合わずまともに受けてしまい、足を踏ん張って飛ばされないように堪えていると、その隙を突くかのように再び口から噴出した炎が、鞭のように薙ぎ払われた。キヨシは慌てて地に伏せやり過ごし、即座に走り出してさらに間合いを詰めていく。直後、ティナもどきの背中から炎が噴出し翼のようなものを象ると、羽ばたかせたそれから炎弾の横殴りの雨が発射され、キヨシを襲った。


 ──動きが"ヒト"じゃねえな。


 ティナもどきの動きを見て、キヨシがまず受けた印象はこうだ。人知を超えた挙動をしている、という意味合いではない。どことなくだが、一挙手一投足から人類とは違う生物の雰囲気を感じ取った気がした。地に伏せ、翼を持ち、そして口から炎を吐く──まるで、お伽噺に登場する竜のような。先程まで戦っていた竜人よりも、人がイメージする竜により近い。


 とはいえ、だ。見たところ、これまで相手をしてきたそれを超えるような規模ではなく、正面からでも十分に対処が可能と判断したキヨシは、左の籠手を突き出し、風のチャクラで掻き散らそうと試みるが、


 ──風が……吹かないッ!!?


『「燃えろ! 万物一切、焼き尽くしてやるッ!!」』


「ヤ、ヤバイ──うおッあ゛ああぁぁぁーーーーーッ!!?」


 魔法の風は起こらない。炎のつぶてをその身に受けつつも、地を蹴り二時方向へと回避するが、炎はその手を伸ばし、いとも容易くキヨシの左手を焼き尽くさんと絡みついた。元々感じていた感覚の半分──痺れるような快楽すらも滅却される激しい熱が、キヨシの脳にまで焼き付いていく。


 しかしながら、キヨシの思考は未だクールなまま。炎に晒される左腕を伸ばして右手の指で引っ掻き、ソルベリウムでガッチリと覆ってやると、ごくあっさり鎮火した。ソルベリウムの割り込みにより、燃えていたジャケットの袖が消滅したからだ。もう一度指を振って消火に使ったソルベリウムに割り込んで両断すると、緑色に光る籠手が再び出現する。そこのところは抜かり無い。


 そしてキヨシは、ただ左手に攻撃を被ったというだけの出来事から、様々な不可解な現象に気が付いていた。


「……ハァッ、ハァッ…………ソルベリウム、無事みてえだが」


 これまでティナの攻撃を受けたソルベリウムは、莫大なチャクラの過貯蔵により、その全てが破壊されていった。だからこそ、キヨシはソルベリウムの篭手で直接防御するようなことは避けて、戦略を組み立ててきた。その前提条件を守れず、一瞬だけキヨシの心を絶望が覆ったが、今直接攻撃を受けたはずのソルベリウムは破壊されず、透き通った緑の光を湛え続けていた。


 この事実と何故か発動しなかった風の魔法、そして今いる奇妙な空間。


『「ガァッ!!!」』


「うおッ!!?」


 ティナもどきの攻撃に合わせて指を振ると、反射的に生成されたソルベリウム。


 そしてもう一つ。


「オイ。お前さっき、『放り出す』とか言ってたよな? まるで、俺が今ティナちゃんの身体ン中にいるみたいなことを──」


『「黙れ! 貴様のような小さき者と交わす言葉など、一つも無いッ!!」』


「……マジなら後で、ティナちゃんに土下座して詫びなきゃいかんな」


 以上の事実から想像できるのは──今キヨシが見ている景色は現実のものではなく、言ってしまえばティナとセカイが見ている夢で、キヨシはそれにアクセスしているようなものである、ということ。ソルベリウムの篭手は見た目だけで、風のチャクラは持ってこられなかったが故にキヨシは攻撃を受けてしまったが、篭手が破壊されることはなかったのだ。ソルベリウム生成能力は発現したが、それについてはキヨシ固有の能力という判定なのだろう。夢に判定もへったくれもあるかという話だが。恐らく、片腕が消滅したジャケットも現実では無事だ。


 一見、『危ない危ない』で済ませることができそうな事柄だが、良いことばかりでもない。それをキヨシの腕にまとわりつき続けている痛みが物語っている。


 ──火傷、しているッ……!!


 キヨシの腕は、本当に燃えていたのだ。察するに、今のキヨシは自分の肉体から飛び出した意識体──以前ティナが言っていた"エーテル体"、あるいは"魂"そのもの。それに傷を負うということは、命を脅かされているということに他ならない。この場での死、それ即ち現実での死をも意味しているということだ。


「……良かった…………おたくはやっぱり、ティナでもセカイでもないんだな」


 だが、キヨシはそれら全てを真に理解した上で歓喜すら感じていた。何故なら、キヨシを容赦なく焼く炎を操るあの少女は絶対にティナやセカイではなく、その意思も介在していないと分かったからだ。最早、懸念事項は全て消え失せた。


「なら……俺だって容赦しねえ。姿が"それ"であってもな!!」


『「グル゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アッ!!!」』


 ティナのような何かが放つ炎のカーテンを掻い潜り、キヨシは少しずつ前へと向かっていく。カーテンの端が身体のどこかに絡みつこうと、炎弾が真正面を捉えて炸裂し吹き飛ばされようとも、敵が最も親しい女性の姿だろうと、キヨシは一切迷わない、そして絶対に止まらない。それがキヨシをキヨシたらしめている重要な要素なのだ。


『「グウウウウッ……」』


「フン、『何故』……そういう顔してるな。火力はイマイチ、攻撃はワンパターン、総じてキレがねえ。さっきまで喧嘩していたときのことを覚えているんだったら、もう分かってるはずだ」


 ティナもどきが狼狽え、いきり立つのは当然と言える。ついさっき"羽虫"呼ばわりしたロンペレにすら遠く及ばない、激痛に晒され心身共にズタボロの矮小なる人間が、心折れることなく、膝をつくことすらなく、己を打ち砕かんと向かってきているのだ。


 何故か──それは戦っている自身が一番よく分かっている。分かっているが、受け入れ難かったからこそ、激しく苛立っているのだ。


「おたく……さっきより弱いぜ」


『「黙れッ!! 何故だ、何故貴様を殺せないッ!! 何故、これ程までに俺は弱いッ!!?」』


 ──やっぱ、そこまでは分かってないんだな。


 この空間が現実のものではなく尚且つ、ティナの精神にアクセスしているのではないか、という突拍子もない話をすんなり受け入れることができた理由は、もう一つある。


「『私たちを守ってくれています』か。その言葉、そっくり──いや"俺からも"、贈らせていただくぜ。二人共」


 より強く、そしてより近くに。いや、()()()()()()とすら言える程の距離に感じられる気配。




   ──キヨシさん!──

         ──きー君!──





 ティナもどきの身体に、真の身体の持ち主とその同居人である二人の少女が、まるで枷のようにまとわりついていたのだ。


『「な、なんだ……!? 何故このような小さき者共に……この俺が抑えつけられてッ!!?」』


「……簡単さ。この場所そのものが、俺に味方してるんだよ。ここが本当に、アイツらの頭ン中だってんなら……!!」


『「グゥッ…………!!」』


 この空間は、ティナとセカイの夢。ならばティナとセカイが思い描いたことはそのままその通りになるだろう。これまでは二人とも目の前の存在が放つ狂気と、膨大な火のチャクラに苛まれて正気でいられなかった。だがそこにアクセスしたキヨシの存在そのものが、二人の正気を繋ぎとめ、体を乗っ取った意思を抑えつけた──それ程までに、二人にとってキヨシは大切な存在なのだ。これが恐らく、サラマンダー伝説の正体。伝説に登場した少女も、きっとこのようにしてサラマンダーを狂乱から解き放ったのだろう。


 『私たちを守ってくれています』。それはキヨシがティナから賜った、キヨシにとっての最高の賛辞。


 ティナとセカイは今、キヨシを守ったのである。


「ありがとうな。お前らがいてくれなかったら、ヤバかった」


 誠心誠意礼を述べたキヨシは、全てを終わらせるために猛然と駆け出した。


『「許さん……許さん許さん許さん許さん許さん許さんッ!! 貴様等烏合がこぞってこの俺の邪魔をッ!!」』


 身体の持ち主たちの意思すらも、力づくで捻じ伏せんと暴れるティナもどき。しかし、いくら炎を猛らせようとしても、ガス欠を起こした車のようにプスプスと煙が吹き出るのみで、全く意味を成さない。そうしている間にも、キヨシの固く握られた拳は目鼻の先にまで迫り──


「返してもらうぞ、このパチモン野郎ッ!!」


 刹那、ティナもどきの口からか細い声がボソリと漏れる。


『「足りん…………俺の力……どこ──────ッ!!!」』


──────


『「グア゛ア゛ア゛ア゛アッ!!!?」』


「ッ!!! ッシャア!!」


 現実に戻ってきたキヨシを迎えたのは、暴発したエネルギーで己が身を焼く竜人だった。キヨシの介入によって、熱線を放つために溜めていたチャクラが制御できずに暴走し、爆裂したのだ。堪らず壁を生成してその裏に逃れるが、キヨシは正に"したり顔"という風な表情を浮かべていた。


「ハッ……ハァッ…………よし、色々と予想外だったが、上手くいったぞ! 今の内に近付いて──!」


 陰から飛び出し、一気に片を付けようとしたキヨシだったが、どこからともなく吹き飛んできて、壁にぶつかって止まった血だらけの女性を見て、動きが止まってしまう。


「うぇ……ゲホッ!! ぐうぅッ…………!!」


「ロッタ!? 大丈夫か?」


「キヨシ……ゴメン…………」


 キヨシの傍らで、ロンペレの足止めを買って出たカルロッタが、血みどろになって倒れていたのだ。傷の具合を見ようと駆け寄ったキヨシに対し、カルロッタが開口一番に放った一言は"謝罪"だった。


「お前がここまで飛んでくるってことは……」


 思い至った直後、大量の水のビットと共に空中から直下着地を決めて、土煙を立ち上らせる者が一人。


「お待たせした、お嬢さん」


 カルロッタとの戦いを制したロンペレが、こちらに乱入してきたのだ。元よりカルロッタはただの足止め要員であることを本人も承知故、いずれこうなること自体は覚悟していたが、よもやここまで早いとは思っていなかった。しかし、キヨシは動じない。


「……来やがったか。とことんまで馬鹿な奴だ、もうアイツの出る幕は無いってのによ」


「え──」


「壁を作っておいてよかった。そんななりを見ちまったら、またキレてぶり返してたかもしれねえ」


「それじゃあ、ティナは」


「ありがとうな。もう大丈夫──休んでてくれ」


 『もうダメだ』──そう言わんばかりの絶望に歪んだ表情をしていたカルロッタに、キヨシは口の端を上げて笑ってみせた。


 ティナはまだ完全に正気を──というよりも、身体の主導権を取り戻してはいない。そこへロンペレが乱入。見る限りでは確かに、とても良い状況とは言えない。後者に至ってはカルロッタがロンペレを止められなかったが故に起こった事柄。カルロッタが絶望するのも無理はない。


 だが、キヨシはこの状況を前にしても全く狼狽えてはいなかった。


「……んん? オイ、待たせたのは悪かったって。さあ、再開といこうぜ? なあ」


『「グウ゛ウ゛ウ゛ッ……」』


 ロンペレは間もなく違和感に気付く。


 あの竜人の戦意、その矛先が自分には全く向いていない。眼中にないということを、直感的にキャッチしたのだ。無論、それが誰に向いているのかも。


「オイ、今コッチは取り込み中なんだ。邪魔すんなよ」


「……は? コイツ? 俺じゃなくて?」


 そう、竜人の目標はただ一人。ソルベリウムの壁の陰からするりと出てきたキヨシその人だ。


 ロンペレは、今日一番の不愉快さを隠そうともせずに顔に出していた。


「…………ッハァー。お前らさあ、俺とやり合う中で分からなかったかね? 俺はなあ、シカトされるってのがな……一等好かねえんだよなァッ!!」


 ロンペレが衝動のままに、水弾を撒き散らし始める。さらに、水を収束させて連続で射出することで、カッターのように着弾部分を削り取るといった芸当も披露した。恐らくカルロッタはこれにやられたのだろう。これを何度も何本もとなれば、手強いことこの上ない。


 ただし、それはカルロッタのように、相性が悪い相手にも関わらず孤軍奮闘していた場合の話だ。


「……聞こえなかったようだから、もっぺん言ってやる」


『「ギオ゛オ゛オ゛オ゛ッ!!!」』


「えっ、やっぱり俺?──」


 突如、キヨシと竜人ティナが同時にロンペレへと敵意を向ける。水弾もカッターも、竜人が全てを蒸発させて無効化し、キヨシと調子を合わせて猛進した。


 こんな話をキヨシは漫画か何かで読んだことがある。


 『獣の殺し合いに邪魔が入ると、殺し合っていた獣たちが結託し邪魔者を排除する』と。


「"喧嘩"の……邪魔だァッ!!」


『「ギオ゛オ゛ア゛ッ!!!」』


「うぐッ──あ゛あああああッ!!?」


 片や風のチャクラで跳躍して一気に間合いを詰め、片や素の脚力で突進。ロンペレは身を翻す暇を与えられず、風によって増幅された炎の渦で直火焼きにされた。しかし、ようやくロンペレにダメージらしいダメージを与えたこの大仕掛けも、二人にとっては"ついで"に過ぎない。


『「グウウ、あ゛あ゛ア゛ア゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ア゛ぁ゛ァ゛あ゛あ゛ッ!!!!」』


「なッ!? うわッ、あああぁぁあぁあああぁぁぁッ!!?」


 なんと竜人ティナの身体から本物の翼が生え、キヨシにタックルをかますと同時にひしと抱き締め、高速で飛翔を初めたのだ。火のチャクラをだだ漏れにして燃える身体に抱き締められ、キヨシの身体は燃え上がるような熱を感じ、喉が裂けんばかりに叫ぶ他ない。その隙間に、キヨシを強く睨みつける目を見たキヨシは、ある確信を抱いた。


 これは"復讐"なのだと。キヨシが叩きのめし、その身体から消えゆく寸前の暴竜の意思が、決定的にキヨシを殺そうと襲いかかっているのだと。燃え尽きるが先か、地に叩きつけられるのが先か。


「ぐぅッううぅ…………フ、フフッ! なんとまあ熱烈なハグだこと……まさかそっちから来てくれるとはなッ!!」


 そんな窮地に立たされて尚、キヨシは笑っていた。この時キヨシは、自分が立たされているこの状況が、窮地などとは微塵も思っていない。むしろ今この状況こそが、キヨシが待ち望んでいた状況なのだ。


 キヨシは左手の籠手にソルベリウムを追加で生成して、風のソルベリウムを保護すると、竜人の頭を鷲掴みにし、右手の()()()()()()を大きく振り上げる。


「もう、離れねえ。逃がしゃしねえッ!!」


 白い光、それはつまり『騎士団長の手管』の効果──セカイの能力が内包されたソルベリウム、ということ。これこそ、キヨシが狙っていたとっておき。上で戦っていた際に生まれた、『手管』が込められたソルベリウムを、右の籠手を修復した時に組み込んでいたのだ。


 勝負は、すでに決まっていた。


「うぐおおおッ、寝付きの悪いきかん坊めがッ!!」


『「ア゛ア゛ア゛ア゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ア゛ぁ゛ァ゛あ゛ァ゛ッ!!!」』


「ネンネしなッ!!」


 様々な思いを乗せて振り下ろした万感極まる拳は、竜人の側頭部を完璧に捉えて炸裂した。すでにキヨシは熱を感じていない。苦痛も快楽も全て鎮まり、元の正常な感覚が戻ってきていた。そして右の籠手から光が失われ、殴りつけた顔面から赤黒い鱗の張った身体に亀裂が広がっていき──


 中から透き通った白い肌の少女が、姿を現した。


「……おっと」


 飛翔能力を失い、力無く落ちゆく少女の手を取り抱きかかえ、左の籠手の力でふわりと着地。上半身衣服が焼け落ち、晒されている柔肌をスーツのジャケットでくるんでやる。


「……ん…………っ」


 間もなく眠りから覚めた見慣れた顔に、キヨシは心から安堵の溜息を吐いた。ようやくキヨシは、カルロッタの信頼、そしてティナやセカイの助力に応えることができたのだ。


「よう、お目覚めか? どっち?」


「……ティナです」


「そうかい」


「あの……私──」


「痛くなかったか?」


「えっ」


 酷く悲痛な面持ちのティナが言おうとした言葉を察し、キヨシは手の平をプラプラと振って笑いかける。


「割と力込めてブン殴っちゃったよ。お前、容赦ないんだもんよ」


「……キヨシさん」


「言うな。お前が今言おうとした言葉は、どっちかって言うと俺の方が──」


「ありがとう、ございました」


「……ありがとうって…………ヘッ。そのタイミングで言うか? よせよ、何だかヘンな意味に聞こえるぜ」


「もう……ふふ」


 状況に似つかわしくない、どこか気の抜けた会話。しかしそれこそが、『終わった』ということを両者に実感せしめていた。


 ティナが帰ってきたのだ。

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