第二章-61『望むところ』
『「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!!!」』
暴竜の咆哮に呼応したかのように、地面の至る所から灼熱のマグマが吹き上がる。身内限定で火傷は負わない白い炎と違い、そんなものに巻かれたら確実に死ぬと判断し、キヨシは周辺の地面にソルベリウムを割り込ませてそれを防ごうとする。
が、達成率は目算するにおよそ八割といったところ。自分の周りにはしっかりと生成されたが、すでに吹き出ている部分に蓋をしようとしたところ、ロンペレの首を刎ね損ねた時と同じく、光る線が走っただけでソルベリウムは生成されなかった。
──どういう基準なんだ? 共通してそうなのは……温度? しかし生物とマグマでは……。
体を動かしながらも少しでも攻略の糸口を見出そうと、脳ミソをフル回転させるキヨシだったが、実例が少な過ぎてどうにも芳しくない。肝心要で足枷になる前に、どうにか条件を見破りたいところだが、
『「ガァッ!!!」』
鞭のようにしなる炎が、キヨシを滅却せんと薙ぎ払われる。キヨシは前に出していた左腕の籠手で、衝撃を受け止めようとするが、
──素受けしたら、飛行機の動力が破壊される!
左手の籠手に仕込まれているのは、アレッタのチャクラが貯蔵された、飛行機の動力ソルベリウム。ロンペレに対してであれば大いに役立つものの、今のティナを相手にするとなると、使い所が難しい。
「ええい、クッソ──ぐあッ!?」
身を翻し、右方向へと回避を試みたものの、左頬を掠める。やはり肉体的なダメージはないようだが、今のティナは火炎竜サラマンダーに類する何か。ちょっと掠めただけでも、とてつもない苦痛を伴うようで、思わず悲鳴を上げてしまう。ドレイクにくっつかれたり、以前アニェラに火のチャクラを直接流し込まれた時とは比べ物にならない程の激痛だ。『最悪炎の中に突っ込んでも火傷は負わない』という考えは、今完全に消え失せた。
両脚部に具足を分厚く生成し直して、同時に飛んでくる炎弾を蹴り返す。まるで実体のあるものを蹴っているような手応えと凄まじい熱を感じて蹴った足を見やると、四、五回使った左の具足に走った亀裂から炎が吹き出し、ボロボロと崩れてしまった。さらに畳み掛けるようにティナの背中から翼のように出現した炎の槍が、次々にキヨシへと向けて伸びる。受けてキヨシ、空を幾度となく引っ掻いてソルベリウムの遮蔽を複数生み出して防御を試みるも、炎の槍が一点に収束して瞬く間にソルベリウムを貫通し──
「これならどうだッ!!」
しかし、確かに威力は弱まっていた。すかさず左の籠手を突き出して風を発生させ、炎を物理的に散らし、さらに威力を減衰させる。それでも完全に消し去るには至らなかったが、残りは咄嗟に右足を上げて具足で防ぐ。右の具足も、左のそれと同じく破壊されてしまったが、とにかくやり過ごせたことにホッと胸を撫で下ろした。
自身の精神が参ってしまう前に燃えるソルベリウムを引き剥がし、慌ててもう一度具足を装着。幸いなのは、今のティナからはこういった大きな隙を突こうとする知性を感じないことか。
『「グオ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」』
感じられないのは知性だけではなかった。叫び声と共に辺りに一際激しく炎弾を撒き散らし、破壊の限りを尽くし暴れる竜人に、元の人間の面影は感じられない。アレが少し前まで人間だったと言って信じる者はいないだろう──赤の他人となると。
──あつい! あつい! あつい!!──
──こわい! こわいよ!!──
だが、キヨシの耳には届いている。炎弾を放出する瞬間、暴力的な汚らしい言葉の羅列の隙間から聞こえてくる、苦痛を訴える少女たちの声。先の一幕は、気のせいではなかったのだ。
──まさか……『苦しみで叫んでいる』のか?
そこに思い至ると、見た目の印象も変わってくる。あの喉が裂けんばかりの叫びが、苦悶の悲鳴なのだとしたら? もしも溢れる力に堪えかねて、炎弾を撒き散らしているのだとしたら? 想像するだに恐ろしい。それでいてとてつもない快楽も同時にやってくるのだから、性質が悪い。
「どんなに熱くても、苦しくっても……アイツら程じゃねえ、か」
ティナとセカイの精神に直接触れたと思しき一幕──苦痛と快楽の奔流の中にキヨシは放り込まれた。今も己の内に精神を集中させると、少しずつその残滓のようなものに蝕まれる感覚がある。それを思うと、この程度でへこたれていられない。彼女らが味わっている苦痛は、こんなものではないのだから。
それにいつティナとセカイの精神が、そして今もロンペレと戦い続けているカルロッタが限界を迎えるか分からない。
とにかく今は、ロンペレを相手にしている時とは違い近付くことすらできない、という現状を打破する必要がある。ただ、近付くことさえできれば光明が見えてくるのは、ロンペレの時と変わらない。キヨシはそう思っている。
──手の届くところまで近付くことさえできれば……コイツで。
籠手をはめた右手を固く握りしめ、叫び声を上げ続けるティナをじっと見据え、
「……待ってろ、すぐに引っ張り出してやるッ!!」
『「ゴオ゛オ゛オ゛オ゛ッ!!」』
ティナが両手の平から炎弾を出現させてキヨシに向かって投げ飛ばす。先程までの無差別攻撃とは違い、今度はしっかりとキヨシに向けて意識的に飛ばしてきているようだ。
近付けないとなれば、キヨシも遠距離攻撃で対応するべきというのは自然な考え。炎弾を右へ左へ器用に避けつつ、ソルベリウムを弾丸のように飛ばして弾幕勝負にもつれ込むが、相手は実体のない炎だというのに、ソルベリウムが相殺されていく。やはり莫大なチャクラを内包した攻撃には、キヨシの能力は相性が悪い。たちまち押し負け、生成した遮蔽に隠れるも、崩されるのは時間の問題だ。そこは目論見通り。本命は別に用意してある。
「ちょっと痛いのは、勘弁してくれよ!!」
陰で大きく右手を振り抜くと、遮蔽に割り込んで生成された大きなソルベリウムがティナに向かって飛んでいく。当然、この程度で決着が着くなどと甘い見通しはしていない。着弾後、怯んだ隙を突いて一気に距離を詰めようという算段だ。
だが、その算段こそが正に、甘い見通しそのものだということを思い知らされる。
『「あ゛あ゛ア゛ア゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ア゛ぁ゛ァ゛あ゛あ゛ッ!!!!!」』
ティナが自らに向けて高速で飛んでくるソルベリウムに対して、耳をつんざく絶叫を浴びせると、ソルベリウムが一瞬激しく輝くと同時に内側から弾け飛んで四散した。白い炎を使ってもいないにも関わらず、滅茶苦茶な方法でチャクラを流し込んで防がれたことに愕然とするキヨシだったが、この恐るべき現象すらも、始まりに過ぎなかった。
「……炎、どこいった?」
先程まで雨あられの如く飛んできていた炎弾の一切が消え失せていた。そうして暗くなった大空洞とは対象的に、ティナの身体が赤く発光している。しかもよくよく見てみれば、移動を止めて大きく息を吸い込んでいるような素振りを見せているではないか。
すぐに気付いた。直前の叫びは、吸い込む為に吐いたが故のものなのだと。
──避けッ…………!!!
『「ギオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ア゛ア゛ア゛ーーーーーッッッ!!!!!!」』
「う゛あああぁぁああぁッ!!!?」
危機察知能力の赴くままに身を投げたキヨシの頭上を掠めたのは、ティナの口から発射された煌めく極太の熱線だった。薙ぎ払うように放たれたそれは、辺り一帯全てを灰燼に帰し、無垢なる白き業火で焼き尽くしていく。岩は溶け、ソルベリウムに至っては最早"消滅"と表現するにふさわしい。すぐ目の前で起こったこの惨状を見たキヨシの背に、冷たい汗が流れた。
「……ゴジラか何かじゃねえんだぞ。そう何度も堪えきれねえ──!」
激しい振動の後、天井部分がバックリと裂けて水が流れ込んでくる。どうやら地下から迫るエネルギーと今の衝撃によって、遙か上部の地下水脈を刺激してしまったようだ。こんな深層まで流れ着く辺り、もうこの辺りの地盤はガタガタになっていると見てよさそうだ。
「オリヴィーの寿命も、そう長くはねえってとこか。クソッタレ」
悪化していく状況を肌で感じ取り、半ばヤケクソ気味に指を振って穴を塞ごうとする。が、またしてもソルベリウムは生成されなかった。
「……──────」
何もない空間、その辺の石ころ、そしてもう一度水の流れ込む上の穴へと向けて、指を振る。上の穴以外に座標指定したソルベリウムは生成され、石ころは真っ二つに両断された。仕上げに左手の指に向けても振ってみる。生成されない。先程も、吹き出るマグマに対しては生成されなかった。
──そうか、『液体』……液体がある場所に、座標指定はできないってことか。理屈は全然分からんが。
割り込みで生成されなかったものに共通するのは唯一つ。それは液体である、または液体を内包しているということ。生物の身体には血が流れている。つまり、生成したソルベリウムを突き刺す、といったことは可能だが、生物の身体に割り込んでソルベリウムを生成することはできない、ということ。純粋なこの右手の能力だけでは、蚊も殺せないだろう。
「……土壇場で、結構重たい制約に気付かされたな。ま、気付かないまま死ぬよりかマシだが」
──しかし、どうする俺? 正直、手詰まり感半端ねえぞ。またアレッタさんのチャクラで飛んで、死角から……けど、空中でまた今みたいなのが来たら、避け切る自信はねえし。
キヨシが持っているのは、アレッタのチャクラが込められたソルベリウムに、チンケな石ころを無限に生成できる右手。奥の手もあるにはあるが、それは接触できた時にしか使えないとっておき。切れるカードの持ち合わせはほぼ無い。
──どうする? どうやったら、アイツらに触れる……触る?
否、あるのだ。キヨシの巡る思考が、ある一つの答えを弾き出す。
──ちょっと待てよ……さっき俺は、ティナちゃんとセカイに触られてなかったか? それさえまた起こせれば……。
ティナとセカイは、キヨシに向けて『たすけて』と明確にSOSを発信した。あれは言ってしまえば、キヨシたちの心がダイレクトに繋がっていたからこその現象で、現実の出来事ではないだろうが、その時垣間見た情景の中、二人はすぐそばにいて、言葉を交わそうとしていた。再び同じ現象が起これば──いや、起こすことができれば、それはチャンスと言えるのではないだろうか?
──だが、そうするとまたあの感覚が……そもそも、全く確証のない話だ。滑ったら今度こそ本当に死ぬかもしれない。俺が死ぬのは別にいいが……アイツらは、気に病むんじゃないのか?
しかしながら当然、それができるとして、実際行動に起こすとなると、同時にまたあの感覚──全身を焼かれる苦痛と、溶けるような快楽に満ちたそれを、もう一度味わうことになる。その果てに命がある保証など、どこにもないのだ。
そうなると、一番嫌な思いをするのはキヨシ本人ではない。きっとティナもセカイも、『キヨシを手に掛けた』という事実に打ちひしがれてしまうだろう。そして何より、ティナやセカイに人殺しの業を背負わせたくないというキヨシの意志からは、相反する行動にも思える。
「……ようやっと見えてきた、割と現実的な可能性だろ!! ビビってんのか伊藤喜々ッ!!」
だが、キヨシにはもう時間も、選択肢も残されていなかった。破れかぶれになっているワケではない。最早それしか、『ただひたすらティナに向かって突進し続ける』以上の可能性を持つ策がないのだ。
「……お前らも、『望むところ』……そう見て良さそうだな?」
『「ウ゛ウ゛ウ゛ッ……!!」』
キヨシの上げた視線の先では、ティナが再び赤く輝き、熱線の"溜め"を行っていた。キヨシが小粒のソルベリウムを生成して飛ばすと、さっきまでと同じように撃ち落とされていく。しかしその度に炎弾が発射され、身体の発光が少しだけ弱まるようだ。止めることはできないが、遅らせることはできるということ。
身を焼かれないよう、しかし炎を決して絶やさないよう、ソルベリウムの弾丸を飛ばすことでコントロールしながら、キヨシは静かに歩き出す。あの大技を受ければただでは済まないが、攻撃を中断されれてしまうと状況は振り出しに戻ってしまう。残された時間は少ないのだ。
そうして一歩、また一歩と距離を縮めていく内、"それ"はやって来る。
──……来やがったッ!!
初めは微かに、そして歩を進めていく度確かに、流れ込んでくる。身体が内側から燃え上がり、そしてとろけるような、あのおぞましい感触がキヨシに襲いかかってきた。全身に力を入れ、下唇を噛んで己の気をしっかり持ちつつ、自らの足で、その不快且つ甘美な感覚の渦の中へと身を投じていく。
──分かっちゃいたが……なんて恐ろしい。だが、その中心でアイツらは待っている!
決意と共にさらにもう一歩強く踏み出した瞬間、辺りの景色がどんどん崩れていき、真っ暗な空間へと放り出された。それでもキヨシの足はしっかりと大地を踏みしめ、光を求めて前進し続ける。
『「俺の邪魔をするな、小童ッ!!」』
一瞬が永遠にも感じられるような狂った感覚の中、自分を罵る声に顔を上げると、そこにはキヨシのよく見知った少女が立っていた。しかしキヨシはそれを一目見ただけで、ティナでも、セカイでもないと、そしてティナの身体の主導権を握っている存在──即ち、諸悪の根源であると見抜く。先程まで対峙していたそれとは違い、ティナの面影を僅かに残しつつも、放つ雰囲気は全く別──それはつまり不幸中の幸いか、キヨシの目論見は見事に当てはまったことを示していた。
やはり、表面化していたのはティナでもセカイでもなかった。この存在こそ、ティナの身体を乗っ取り、暴れていた意思そのものなのだ。
「……テメエが、『火炎竜サラマンダー』なのか? ドレイクって感じじゃねえもんな。いや……お前が何者なのかはいい」
未だ全身を蝕む感覚を振り払うが如く、キヨシは激しく腕を振り、大袈裟に構えをとった。
「その身体は二人いるだけでいっぱいいっぱい……定員オーバーだ。出ていきな」




