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第二章-59『絶望に差す』

「グオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッッッ!!」


 叫び──暴竜ティナの内に渦巻き、肥大化した憤怒と憎悪の叫びは、滾るような白き烈火を呼ぶ。辺りの景色を歪ませ、全てを圧倒し押し潰す程の熱気と威圧感が、地下深くの大空洞に張り巡らされていた。常人ならば相対するだけで気を絶ってしまいそうな、おぞましい存在を前にして──


「……ヒヒ」


 ドッチオーネ空賊団首領──ロンペレは薄ら笑いを浮かべ、そこに立っていた。


 彼にとって、周囲を取り巻くこの雰囲気も、熱気も、心地良いそよ風に等しいものだ。


 この場は戦場のイメージからは程遠い。闘争の鉄火も、勝鬨の咆哮も、敗者の悲鳴も何もない。いや、何も要らないのだ。少なくともロンペレは、目の前の怪物との闘争こそ唯一絶対の価値があると踏んだ。それ以外の一切は、甘美なる果実に混じる不純物でしかない、と。


「……十五年前と同じだな」


 感慨深げに口を開いたロンペレは、水弾をその辺から吹き出る炎に向けて発射する。


 炎は鎮まらない。ほんの小さな種火ほどの炎すら、ロンペレの水で消すことは叶わないのだ。


「蜥蜴女の消えぬ白い炎、ほとばしる光、そしてこの熱……全部が俺に向いている」


 十五年前味わい、以来焦がれた闘争。それが今目の前にある。それだけでロンペレははち切れそうになっていた。十五年前絶たれた再生しない角を弄り回して、迫る始まりの時に心を躍らせる。


「……幸せだ。お前も、待ち切れないだろう? 俺をブッ殺す、その瞬間をッ!! やってみろよ、お前の大事な大事なお仲間を踏みつけにした男はここだぞ!!」


『「グオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!!」』


 相対する"狂気"と"狂喜"は、遂にそれらを抑えきれずに爆発し、真正面からぶつかり合おうとしている。これこそが、ロンペレが心の奥底から望んでいた『猛き闘争』。その極致。


「さあ、いざ! いざいざいざァッ!!──……うおッ!?」


 その時は来た。が、激突寸前の二人の間に、光る線が走ったかと思えば、純白の壁がバリバリと音を立てて顕現した。さらに、目の前の闘争で頭が一杯になっていたロンペレの首筋を突っ切るように、再び光る線が走り──


「……チッ」


 走るが、走った線はすうっと虚空に溶けて消え、何も起こらない。


 興を削がれ、様々な意味で苛立ち舌打ちをしたロンペレに向かって、物言わぬ白黒が一直線に駆け抜けていく。が、『このパターンは飽きた』とでも言わんばかりに溜息を吐いて、ロンペレは拳大の水のビットを一つだけ向かわせ、唸る拳を完全にシャットアウト──するはずだった。


「オイ。俺をハブってんじゃねえよ」


 ソルベリウムの篭手と具足をまとったキヨシが、乱入してきたのだ。水のビットに触れた瞬間、篭手が緑色に輝き超局所的な風を巻き起こす。風に揉まれた小さなビットはたちまち掻き消され、キヨシはすかさずロンペレに組み付いた。左の篭手に仕込まれた、アレッタのチャクラが貯蔵されているソルベリウムの効果だ。


 戦意はある。にも関わらず、ロンペレの態度は冷ややかだった。


「なんだ、お前まだいたのか。とっとと失せろ、邪魔だ」


「邪魔? そりゃこっちのセリフだ。テメーが俺のことなんか眼中にないように、俺だってテメエのことなんざ眼中にねえよ」


「そう言うんなら、その"眼差し"をどうにかしてからにするんだな。今更それを見せられても、全然心躍らねえ」


「……何度も言わせんな。俺は、テメエの楽しみのために戦ってるんじゃねえんだよ」


 ロンペレは見透かしているようだ。キヨシが今のやり取りの中で、ロンペレを討ち取るつもりだったことを。


 ロンペレの首筋を抜けて走った白い線は、キヨシが右手を振った際──ソルベリウムを生成しようとした時に発現するもの。そして、ソルベリウムが生成される座標内にあった物体は、割り込まれて消滅する。つまり、キヨシはこの力を使ってロンペレの首を飛ばす気でいたのである。これまでも幾度となくそういったチャンスはあったが、ティナたちの関知しないところで、秘密裏に行う予定だったため、ここまでズレ込んだ。直前に作った壁も、今この場にいるティナを遠ざけるためのものだった。


 だが、その尽力は実らない。ロンペレを殺すための力は、何故か発動しなかった。


『「グル゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!」』


「ッ!!」


 畳み掛けるように、ソルベリウム壁が橙に発光したかと思うと粉々になって崩れ去り、ティナが姿を現す。先と同じように、ソルベリウムのチャクラ貯蔵量の限界をブッちぎったようだ。スケールがスケール故に相応の時間がかかったが、それでもほんの数秒。火のチャクラの昂りは、まだまだ留まるところを知らない。


「……オイ、どういう理屈でそうなってるのか分かんねえけど、もう止せよ! もう十分、俺たちはお前のおかげでとりあえず危機を脱した! その、変身? とにかくそれを解け! そしたら──」




        ──ころす──




「ッ、クソ!!」


 ティナに語りかけている最中、キヨシの頭の中に声が響く。ロンペレを放り出し飛び退くと、キヨシとロンペレがいた地点から、激しい火柱が立ち上る。


 再び(まみ)え、そして対話を試みようとして再確認できた。キヨシとティナの心は、恐らくセカイを通して繋がっていて、ごく限られた状況下で言わずとも心中が感じ取れてしまうのだ。これまでも、特にここ最近は特にそういう節はあった。セカイはキヨシの作戦を言わずとも理解して、『聞こえた』と言っていたし、空でパオロに率いられた空賊たちと戦っていた最中、片方が飛行機に乗って高速で移動中にも関わらず、キヨシととティナの間で会話が成立していた。ティナがキヨシの母国の文字を読めていたのも、そういう理由だったのだろう。


 それとは別に、分かったこともある。

 


──ひねりつぶすひきさくころすやきつくすうちくだくころすころすころす──



 ティナも、セカイも、最早完全に正気を失っていることだ。さらにもう一つ、キヨシの脳髄を殴りつける狂乱の思考と同時に、やってくるまた別の感覚。


 ──この感覚……"気持ちいい"?…………全身が熱で溶けてるみてえだッ!!


 ティナへと近づくと少しずつ、しかし確かに強まり、そして聞こえてくる声からも感じる二人の"恍惚"。全身を焼かれるような痛みと、頭から爪先まで駆け抜けていく甘い衝動。相反する二つの突き刺すような感覚が、キヨシをも虜にしようと襲いかかってきた。


 何かが向こう側からやってきて、キヨシに細い腕を伸ばしてくるのだ。


 ──取り込まれる……ヤバイッ!!


 指を強く噛み、必死で自分の感覚にしがみつくが、触れられた所から一際激しい痛みと快楽がいっぺんに押し寄せる。これがきっと、ティナやセカイが今味わっている感覚なのだ。この痛み堪え難く、この快楽抗い難し。身を捩ることも、退くこともできない。だからこそ恐ろしい。まるで地獄の責め苦を受けているようだ。


「く…………」


 目を固く閉じ、一切の情報をシャットアウトする。それでも容赦なく、それらはキヨシにまとわりつき、その小さな体でしなだれかかって──





















──こわいよう、きよしさん──

         ──たすけて、きーくん──





























「ッ! うわッ!?」


 キヨシとロンペレは、吹き荒れる熱風に巻かれてほうぼうへと吹き飛ばされていく。空中で制止するロンペレとは裏腹に、キヨシは受け身も取れず放り出されたが、キヨシの心を支配している感情によって、その苦痛は掻き消された。


 ──今の声……。


 再び耳を澄ませてみても、またあの憤怒と憎悪の言葉の羅列しか聞こえない。だが、その隙間から囁くように紡がれた声。聞き間違えようはずもない。


「熱ッ!!? ケッ、さすがにこの手の攻撃は、ちゃちな水じゃ防げねえか」


 空中で足をばたつかせながら、背中の熱傷をボヤくロンペレだったが、同じように巻き込まれたキヨシも熱は感じたものの、どこにもそのような傷は負わなかった。キヨシがふざける度その身に受ける、ドレイクによる制裁の炎と同じだ。


 それの意味するところは一つ。


「…………ティナ! セカイ! ッ……どっちでもいい!! 俺だ、伊藤喜々だッ!! ロッタもすぐここに──」


『「ガァアアアッ!!」』


「ふんッ!!」


 キヨシの呼びかけを遮り、無差別に撒き散らされる炎弾を、左右の籠手で完璧に防ぎ切る。左は風のチャクラで遮蔽できたものの、右は直接殴って弾き飛ばしたため、またしてもソルベリウムが割れて激しく燃え盛った。


「頼む、聞いてくれ!! いや、聞かなくったっていいから聞こえていてくれ!! 俺は──」


 今一度、何度でもと、形振り構わない言葉を投げかけようとするが、そんなキヨシの鼻先を、水の刃が掠め飛んでいく。飛んできた方向を見やれば、大変に不愉快そうな表情を浮かべたロンペレが、


「……お前なんかに何かできるとも思えねえが。一応邪魔はさせてもらう。言ったはずだぜ、興の削がれる真似をするなってな。今度こそ殺してやるよ」


 極上の獲物を横取り──というより、台無しにだけはされるまいと、ロンペレはキヨシを先に排除することに決めたようだ。


「『何かできるとも思えない』、ね……確かにな」


 ──だがな、ロンペレ。アレッタさんは教えてくれた。怒り狂うサラマンダーは、少女の声とかけがえのない宝物によって、その怒りを鎮めたんだぜ?


 アレッタが語ったサラマンダーの伝説。共に過ごした日々は、少なくともキヨシにとっては、伝説と同じくかけがえのない宝物。もしもそれがティナやセカイにとってもそうならば、その伝説の登場人物にできて、キヨシにできない道理などない。


 ないはずだが。事ここに至るまでのことを思うと、『何かできるのか』と思えてこようというもの。結果的に、だかこの一件の引き金を引き、空賊の三下にすら出し抜かれ、ロンペレには敵わず。そういった負の積み重ねの結果として、ティナは暴走を始めたのだ。そんなキヨシが足掻いたところで、丸く収まる可能性は限りなく低い、というのはキヨシ本人すら認めるところだ。


 だが、だからとて動かなければ、そのごく僅かな可能性も閉ざされる。世の中、降りた方がいい勝負もあるだろうが、


「だからって、退けないね。今退くくらいなら、死んだ方がマシだッ!!」


 例えば、真に大事なものを守り通すためであれば。


「あっそう……じゃあ死ね」


『「あ゛あ゛ア゛ア゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ア゛ぁ゛ァ゛あ゛あ゛ッ!!!!」』


 前門に怒り狂うティナとセカイ。後門にキヨシを殺すロンペレ。絶望的な状況の中、ほの見えた光明。


 二人は、キヨシに助けを求めていた。ただ一方通行の、独り善がりな気持ちではない。それが、サラマンダー伝説をも遙かに超えた、キヨシが諦めない根拠であり、希望でもあった。


 ならば、キヨシにとっての光を頼りに、ただただ邁進するのみ。


 まだ、終わっていないのだから。


 ポケットから小さなソルベリウムを取り出し、右手の籠手の再生成に巻き込み、装着した。


「……さて、正念場だなッ!!」

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