第二章-58『人として当たり前の』
「『火炎竜サラマンダー』…………」
キヨシの口からふと漏れたのは、この土地の伝説に関わる精霊の一角の名前だった。キヨシはサラマンダーのことは詳しく知らない。伝説も、現地民であるアレッタから簡単に聞いただけだ。それについても、不毛の土地が残っているという物的証拠はあれどかなりの眉唾モノだと、内心疑っていた面は否めない。
だが、そんな疑心を微塵に打ち砕く生きた証拠が、君臨したのだ。
大地を揺るがし、自分の内にあるチャクラを感じ取れないキヨシにすら、そこら中に撒き散らされる火のチャクラを感覚として理解させ、一歩後退りさせてしまうほどの、圧倒的猛威。伝説上のサラマンダーも、怒りが引き金となってサラム大山なる山を下り、暴虐の限りを尽くしたという。
間違いない。状況から見て──恐らくドレイクと"融合"し、異形の怪物へと変貌を遂げたティナ、そしてドレイクは、サラマンダーの伝説と何かしらの関わりがある存在となり、その力を持て余し謂わば暴走状態に陥っているということは、誰の目にも明らかだった。
「親分ンンンーーーーーーーーーッ!!」
「なッ!?」
例えば空賊の下っ端にすらもだ。
たじろぎ固まっていたキヨシの顔のすぐ横を、水弾が何発も飛んでいく。キヨシたちの突入の際に天井の崩落に巻き込まれて気絶していた構成員が目を覚ましたらしい。そして状況を全く理解できないながらも、異形の怪物と相対するロンペレを見て援護射撃を試みたようだ。
まるで意味がないどころか、むしろ状況を悪化させるだけではないかとは、考えが及ばなかったようだが。
「マジかよ、このクソ馬鹿野郎ッ!!」
「え──」
キヨシの叫びも虚しく響き、暴竜と化したティナが下っ端ガーゴイルを一睨みする。
全ての水弾は射線上でみるみる小さくなっていき、着弾することなく蒸発して消えていった。間髪入れずにティナが手の平をバッと広げると、そこから炎の槍がガーゴイル目掛けてぐんと伸びて、爆炎を立ち上らせる。
「……雑魚が。テメエなんざ同じ舞台にも立てないってのが、見て分からんかね……ん?」
自分の下僕が一撃の下に吹き飛ばされる様を見ても、ロンペレは涼しい顔をしていたが、止んだ爆炎の向こう側を見て、ほんの少しだけ驚いたようだった。
「……クソッタレがッ…………!」
なんとキヨシが炎槍の直撃寸前で間に入り、ソルベリウムの盾を生成して背後のガーゴイルを守ったのである。助けられたガーゴイルも、様々な意味で理解の及ばない現状に目一杯困惑している。それはそうだろう、見ただけそのままさらってしまえば、『味方の攻撃から怨敵を庇った』と映るのだから。
そのような信じられない行動を取ったキヨシの顔は、苦渋に満ち満ちていた。
ロンペレは『一体どういう風の吹き回しなのか』と考えあぐねているようだったが、今この場で少し考えても──いや、ロンペレには永遠にキヨシの心を理解することはできないだろう。
『「オ゛オ゛オ゛ッ!!」』
「うおゥッ!!?」
余所事を考えているロンペレの隙を突いて、ティナは超高速でロンペレとの距離を詰め、首根っこを引っ掴んで地面に叩きつける。ロンペレもされるがままでは終わらず水のビットで応戦しようとするも、ティナが触れたそばから蒸発して消えてしまい役に立っていないようだ。
そのまま馬乗りになって拳を振り下ろそうとするティナを前に、ロンペレはまだ笑っていた。
「いい! 素晴らしいッ!! すまなかったな、無視するような真似して。だがテメエはこんなもんじゃない。まだまだ秘めたる力を感じるぞォッ!!」
ティナよりも先に拳を地面に叩きつけたのは、ロンペレの方だった。直後地面から水が吹き出すと同時に辺りの地面が割れて崩れていく。どうやらこの真下にさらに大きな空洞があるようだ。
二人は地割れに飲み込まれ、その空洞へと落ちていった。
威圧感の発生源が離れていくと共に、この場の空気が少しずつ弛緩していく。息をするのも忘れていたキヨシは滝のような汗を流し、両手膝をついた。
「ハッ……ハァッ…………!! 馬鹿な…………ッ!!」
キヨシは眺めているしかできなかった。もっと言えばほんの数瞬のぶつかり合いの中で、特にティナから発せられる重圧に呑まれていたのだ。最早アレがティナなのかどうかも疑わしいとすら思えた。両の眼で変貌する様を見ていたにもかかわらず、である。
──なんでだよッ……なんでこんなことにッ!!
事態は、渦中にいるキヨシにすら及びもつかない程に混迷を極め、最悪の方向へと動いていた。
キヨシとカルロッタは危機を脱した。そして、ティナは今恐らく単騎でロンペレと渡り合うだけの力を引き出している。大局的な目線で言えば、状況は好転しているのかもしれない。だが、それはキヨシの胸中に秘められた思惑からは、大きく外れていた。
──違う……"それ"をするのはティナちゃんでも……セカイでも…………ッ!!
瞬間、至近距離で鳴り響いた乾いた音で、キヨシの思考は中断される。顔を上げるとすぐ目の前で、爛々と輝きを放つソルベリウムが、真っ二つに両断されていた。キヨシが聞いた音は、盾として使ったソルベリウムが、ひとりでに割れた音のようだ。しかし、それ以上に異様なのはその"状態"だ。
「……ソルベリウムが…………燃えてる?」
普遍的に存在する街灯に用いられているソルベリウムは、橙の暖かい光を放ち周囲を照らす。ただ、街灯のソルベリウムは燃えているワケではなく、内部に貯蔵されたチャクラが作用して発光しているに過ぎない。そもそも、ソルベリウムが可燃性の鉱物であるという話は聞いたこともない。推測される理屈としては──
「……『チャクラの過貯蔵』よ」
「! ロッタさん。大丈夫か!?」
「大丈夫じゃない……けど、あんなの見たら無理せざるを得ないじゃない」
『手管』の影響が幾分薄れてきたのか、カルロッタがフラつきながらも自分の足で歩み寄ってきた。
「欠陥飛行機で事故りまくってた時と同じ。動力に使ってたソルベリウム、割れてたでしょ」
「あ、ああ。俺が直したやつか? 事故で割ったとは聞いていたけど、不時着が原因だと思ってたぞ?」
「間違っちゃいない。けど、正確に言えば……どうにか飛行状態を維持しようと、アレッタがいっぺんにチャクラを流し込んだら、割れちゃったっていうのが真相なのよ。でも、その時も流石にこうはならなかった。こんなに大きなソルベリウムを、しかも一撃で……」
以前、カルロッタが『ソルベリウムのチャクラ貯蔵量は、その体積に比例する』と説明していた通り、飛行機の動力に使っているような拳大のソルベリウムだと、確かに貯蔵量は少ないだろうと想像はつく。だが、先程盾としたソルベリウムは、人一人くらいなら影に隠れていられる程度には大きい、ソルベリウムを高価な鉱物として見ている一般人の価値観からすれば、とてつもなく巨大なものだった。そのソルベリウムの貯蔵量を、鬱陶しい羽虫を払うような感覚でブッちぎってしまったのである。
「……どうもそれだけじゃなさそうだ。見てみろ」
「え──」
そう言っている間にも辺りから次々に火柱が立ち、周囲の温度がぐんぐん上昇していく。キヨシに促されたカルロッタが、よもやと思ってティナとロンペレが落ちていった大穴を覗き込むと、奥へと行けば行くほど明るく、真っ赤に発光しているようだった。そしてその光源は──
『「ギオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!!!」』
およそ人間から発せられているとは思えない咆哮と共に、大穴の壁面が砕け割れ、"それ"は流れ出す。
「……何故かさっきまでなんともなかったってのに、そこら中から"マグマ"が吹き出てる。今、ここはどうなってるんだ?」
ワケが分からない。それが今の状況に対するキヨシの感想だ。採掘基地に突入してから、確かにキヨシたちは随分地下深くまで進んできてはいる。しかし、果たしてそれはここまで湯水の如くマグマが流れ出てくるような深さなのかと言われれば、疑問に思わざるを得ない。
餅は餅屋、大地のことならカルロッタに聞くのが一番正確な情報を得られると、キヨシは踏んだ。カルロッタがこのタイミングで復帰できたのは、僥倖と言えるだろう。
「……何、この感じ…………」
だが、地面に手を突っ込んで気配を探っているカルロッタの青ざめた顔を見るに、ティナのことを抜きにしても、状況はとてもじゃないが『悪くない』などとは言えないようだ。
「どうした? 何か分かったのか!?」
「…………ティナが、地下から引っ張ってる」
「ああ!?」
「オリヴィーの地下にこんなもんがあるなんて。いや、そもそも盆地地形になってるのって、まさか……」
「一人で勝手に納得するなよ! 分かるように言え分かるようにッ!!」
「大量のマグマが昇ってきてるんだ!!」
「…………何?」
マグマが昇ってきている? 盆地地形がどうというのは、サラマンダーの傷跡という話ではなかったのか? それ以前に、ここは火山でもなんでもないのでは? という疑問がキヨシの頭の中をグルグルと巡っていくが、無学故に結論を導き出せない。
キヨシが無言で教示を願うと、カルロッタは重い口を開いた。
「……マグマっていうのは、その軽さ故に自然に上へと昇ってくるもんよ。普通はその途中で冷えて固まる。けど、例えば近くの火山だとかの活動が活発だと、地上まで昇ってきて噴火を起こす。ここもたぶん元々そうだったんだと思う。で、マグマを吐き出した後に残った空洞に地面が沈み込むと、オリヴィーみたいな中央が窪んだ地形になるの」
「……カルデラってヤツか」
「そう。ここからは大地の気配を感じ取った上での推測だけど……ここは、マグマを全部を吐き出したワケじゃなかった。マグマの一部が昇ってくる途中で冷えて固まって、出口が塞がったんでしょうね。そうなると、それ以上昇っていくこともないから、残りは生きてる状態が保たれた……サラマンダー伝説の裏側に、こんな秘密があったなんて」
「じゃあ、どうして今になって──ッ!! まさか"ティナちゃんが地下から引っ張ってる"ってのは!」
「そういうこと。地下から莫大なエネルギーが生まれて、どんどん昇ってきてる。たぶんティナに刺激されて、火山が復活したんだ」
カルロッタによる懇切丁寧な解説により、門外漢のキヨシにもなんとなく状況が見えてきた。キヨシたちは知る由もないが、ここまでは空賊たちも長い時間をかけて解明し、既知の事柄ではあった。土の魔法使いの存在そのものがレア故に、解明にここまで時間がかかってしまったが、本腰を入れればこうもあっさりと分かってしまうものなのだ。
その先に待つ、破滅的な結末も。
「……放っておくとどうなる?」
「まずアタシたちの命は無い。それどころか……最悪、オリヴィーはお終いよ」
カルロッタが言っていることの突拍子の無さに、一瞬だけキヨシは固まってしまう。オリヴィーが滅ぶ──そしてティナの覚醒と暴走がそのきっかけになってしまったと、カルロッタはそう言っているのだ。
「……ティナは…………何になったの?」
ティナの姉たるカルロッタですら、こんな事を口にしてしまうほどに、ティナはどこか遠くの存在になってしまったようだ。キヨシもそう感じた。ほんの数時間前まで、空を飛んだことにはしゃぎ倒して心から笑っていたのが嘘のようだ。
「……分からねえ。なんなのか、なんでこうなっちまったのか…………いや、なんでかは分かってる。俺が不甲斐ないばっかりにッ!!」
「違う、アタシもだ。アタシも……アタシがアイツに侮辱されるくらい弱いなんて、思わなかった」
ティナが力を暴走させるに至ったトリガーが怒りなのだとしたら、引いてしまったのはロンペレだろう。しかし、"引かせた"のは間違いなくキヨシとカルロッタの"弱さ"なのだ。弱いばかりにロンペレの策にまんまと嵌り、深手を負い、侮蔑された。それにティナ、そしてセカイは怒り、事態を悪戯に深刻化させてしまったのだけは、揺るぎない事実。オリヴィーを救うどころか、知らず識らずの内に滅亡一歩手前まで追いやってしまっていた。
激しい自責の念に駆られ、二人は酷く沈痛な心情を表情に滲ませる。カルロッタなど、歯を食いしばって嗚咽を噛み殺し、涙を流している。そんな彼女の様子が、またどうしようもなくキヨシの心を容赦なく抉ってくるのだ。
「何故だ……なんだってんだ、創造の使徒」
そこへ話しかけてきたのは、当惑している様子のキヨシが庇ったガーゴイルだった。
「なんだってテメエが、俺を庇う? あ、テメエひょっとして処女?」
「──ッッッ!!!」
助けてもらった身分でよくもまあこのような物言いができるものだ。恐らくこのガーゴイルは『人死は初めてか』という意味合いでこう言ったのだろうが、なんにせよ今の荒みきったキヨシの神経を逆撫でし、逆上させるには十分だった。
「カァッ!!」
「グボアッ!!?」
「ちょっ、キヨシ!!」
振り向き様、生成したソルベリウムの籠手を装着した拳が、ガーゴイルの腹に景気よくメリ込み、腹の中の空気を一気に絞り出させる。さらにうずくまったところに革靴の踵落としが一閃。ガーゴイルはもんどり打って倒れるしかなかった。
「勘違いすんじゃねえクズ野郎ッ……!! 貴様らのような極悪人が、一人二人一万二万と苦しんで死のうが知ったことじゃねえし、なんなら殺したって全く心は痛まねえ!! だがそれをやるのは俺であるべきなんだ、"アイツら"を人殺しにすんじゃねえ!! まだやるってんなら、そうなる前にこの俺の手で素っ首叩き落としてやるッ!!」
「ヒィッ!!?」
キヨシが打ち震えるほどの怒りのままに凄んで見せると、ガーゴイルは悲鳴を上げてそこら中にぶつかりながらキヨシたちが入ってきた穴から逃げていってしまった。すぐさまキヨシは指の照準をそちらに向けるが、時間の無駄だと悟り、行き場を失った指先を悔し紛れに振り下ろす。
「ぐゥッ!?」
そこへカルロッタが詰め寄り、憤怒を顕にした様子でキヨシの胸ぐらを引っ掴んだ。
「……キヨシテメエ!! 何だ今の物言いはッ!!」
「やかましいッ!! あんな奴に暴言程度──」
「そうじゃねェよ!! リオナにロンペレの処遇を聞かれて言い淀んだりして、なんか変だと思った!! テメエ、ハナっから全部自分一人で片を付けるつもりだったな!?」
そう。これこそがキヨシが誰にもひた隠しにしていた、この一件の決着の付け方だった。
敵の本拠地に殴り込みをかけ、ティナやカルロッタ、そしてセカイさえも出し抜いて自らの手でロンペレを殺す。それがキヨシの中で打ち立てられていた、最大の目標。酒場でパオロたちと遭遇したあの日に決意し、そしてリオナにそれを聞かれても適当に誤魔化そうとしていた本音だったのだ。
「アイツら──ティナやセカイにそういうことさせたくないってのは分かる。けどまさかそれアタシに対しても同じことを──」
「当たり前だッッッ!!!」
「なッ──!?」
怒り、キヨシを問い詰めていたカルロッタだったが、逆にキヨシの方から怒鳴りつけられ、狼狽する。力の弱まったカルロッタの手を引き剥がし、キヨシは俯いてその心を吐露した。
「……ロンペレは強え。それこそ、俺たちが束になっても敵わねえくらいにな。よしんば倒せたところで、アイツを無力化して止め置ける方法なんざ恐らく存在しねえ。そんな奴の手からこの街を救うには、どんな卑怯な手を使ってでも虚を突いて、息の根を止める以外に方法はなかったんだ! だがどんなに高潔で正しい志からの行動だったとしても、人殺しは人殺し。それをお前らに、どうしてもやって欲しくなかった。最低限、最後のトドメはな」
「テッメエ……ザケてんじゃねーぞクソ白髪、自分勝手もいい加減にしろ!! 大体どうしてアタシたちはダメで、アンタは手を下せるんだ!? その必然性は!?」
「俺は"初めて"じゃねえ」
「……え…………」
キヨシが背を向けて言い捨てたのは、カルロッタが全く想像もしていなかった発言だ。キヨシはこう言っているのだ。『己は人を殺したことがある』と。その業と罪を、キヨシは仲間たちに背負わせまいとしていて、カルロッタもまたその対象だった。
キヨシからすれば、カルロッタもまた自身が最も尊ぶ"人間性"を持つ人だから。
「……アンタ」
「……分かっただろ。俺一人で充分なんだよ、そういう役回りはな。だが、俺は誓った。そういう身分にあっても、人並みを……お前ら程、とは言わない。人としての当たり前を守ることができる人間を目指すってな。例えそれに背く行為だとしても……お前らがヘタを掴むくらいなら、俺がやる」
そこら中に散乱したソルベリウムを用いて、籠手と具足を新調するキヨシの心中に映し出されるのは、思い出したくもないようなドス黒い記憶。それも元いた世界の、自分の家族との記憶だった。
──『お前は人間じゃない、最低の人殺しだ』──
当のキヨシ本人もその通りだと思っている。しかしそれでも、目指し尽力することそのものに、きっと意味がある。
そして、最後に笑うことができたならそれでいい。他ならぬティナに、そう教わったのだ。
だからこそキヨシは決して諦めず、先に進めるのだ。
「……行こう。今ティナちゃんたちがどういう状態なのかは未だに分からんが、どう見たって止めねえとヤバイだろ」
スーツのジャケットを拾い上げ、大穴に向けて指を一振りする。そうして生成された壁面に沿ってソルベリウムの螺旋階段を、キヨシは足早に駆け下りた。
「……馬鹿野郎」
そんなキヨシを見ていたカルロッタは、その背中にどこか悲壮な覚悟を見て、やりきれない表情でボソリと呟いた。カルロッタはキヨシの過去を知らない。どういう生き方をして、どういう人生を送っていたかなど知る由もない。ただ一つ分かるのは、キヨシが未だ無意識に悩み、苦しんでいることだけだ。
カルロッタにも、ティナやセカイの目に見えているキヨシと同じ──自分の在り方に悩める男、伊藤喜々が見えてきたのだった。




