第二章-57『暴竜覚醒』
「……──────!!」
「あ……」
一方その頃。
キヨシたちを見送ったトラヴ運輸の従業員たち及び、二児の母アニェラは、ジェラルドに促されるままトラヴ運輸跡地から避難していた。当の本人たちには計り知れないことだが、約束を反故にしたパオロの主導によって、トラヴ運輸は襲撃を受ける"はずだった"のだ。実際のところ、裏方での活躍によって連中は辿り着くことすらできなかったのだが、それはまた別の話。
その避難する道中のことだった。
「……カルロマーマ。なんか地面から感じなかった?」
「カ、カルロマーマ?……あ、私か。うん、さっき地面から……というか今も、ピリピリするね。これが何なのかは分からないけれど……」
アニェラがそう答えるとアレッタは片膝をついてしゃがみ込み、目を閉じる。間違いないかどうかを確かめようとしているのだろうが、そんな事をするまでもなく答えは出た。
「────ッ!!?」
ズン、と辺りの重力が増したような感覚と、激しい震えによって、それらが気のせいでもなんでもないことを証す。ただし、震えているのは地面ではない。アレッタやアニェラ自身が無意識に身震いしていたのだ。
感じ取っていたのはアレッタたちだけではない。アレッタに歩調を合わせる者や空を飛ぶ者に至るまで、トラヴ運輸のハルピュイヤたちは皆、何かに怯えているような様子を見せ、一様に下──地面をじっと見つめている。
誰もが地の底から、震えが来るような気配を感じ取っているのだ。そしてその得体のしれない気配は少しずつ、しかし確かに強くなり、どんどん昇って来ているような気がした。
「……何、これ」
「分かんない。分かんないけど……」
『けど』。アレッタがその先を語ることはなかった。皆分かっているからだ。オリヴィーを、そしてハルピュイヤたちを救うため、戦いに赴いているキヨシたちと無関係ではないこと。そして──
「カルロマーマ。皆を連れて、急いでここから離れて街へ……いや、もっと…………もっと遠く。できるなら、オリヴィーから…………」
「……アレッタちゃん?──ッ!!?」
瞬間、アレッタはズタボロの翼を大きく広げて、猛スピードで西へと向けて飛び立った。
このアレッタの危機感には理由がある。人間より、そして仲間たちよりも数段優れた動物的な本能からか、皆が感じていた気配の本質をキャッチしていたのだ。
動物は自然災害の気配を鋭敏に感じ取り、避難を始めるという。実際、ハルピュイヤたちが感じていたのはそういった類のものだ。だがアレッタはその気配の中に、謂わば"感情"のようなもの──それも、ドス黒い悪感情を孕んだそれが、力を持って暴発する寸前。アレッタはそう感じたような気がした。
──……まるで、何かの唸り声みたい。
推察は、悪いことに的中していた。
──────
立ち上る炎で辺りの景色は一気に白み、月明かりの届かない地下採掘基地は、昼間の如く明るくなる。
「うあ゛ッ…………ああ、ああああ…………!!!」
愕然とする他ない。キヨシも、カルロッタも、先程までうずくまり動けなくなっていた少女の変調に目を奪われるばかりだった。何せこの地下を明るく照らす炎は、セカイの──いや、ティナの身体から噴出しているのだ。
変調をきたし始めたのはティナだけではない。
「アぐ…………ギ……ギギ…………あ……"熱い"よォ…………ッ!!」
──"熱い"!?
彼女の相棒、ドレイクも唸り声を上げて苦悶しているのだ。しかも何故か火の精霊のくせにその悲鳴の内容は"熱い"。日々ヘマしたりドジを踏んだり、余計な一言を漏らすキヨシを炎で折檻する火炎蜥蜴に、そんな事が起こりうるのだろうか。とてもではないが考えにくい、というのが恐らく一般論だろう。
結局の所、今目の前で何が起こっているのか、誰にもさっぱり分からない。唯一つ分かるのは──
──何か…………ヤバイ!!
このままで終わらない。この常軌を逸した変化ですら序曲に過ぎないという、確たる予感があった。
「クソッ!!」
「ぅあ…………!?」
キヨシは『手管』の影響で未だ動けないカルロッタの周囲をソルベリウムの壁で囲むと、痛みを忘れてロンペレに向かって突撃する。奴さえ仕留めればそれで終わり、落ち着きを取り戻す可能性があると、そう考えたのだ。しかし──
「邪魔を……するなッ!!」
「ガハッ!!?」
真後ろ、しかも完全な死角から入ったにも関わらず、あっさりと回避された上、肘がキヨシの首筋に叩き込まれて再びダウン。そうして叩き伏せられたキヨシを見つめるロンペレの眼差しを見た瞬間、旗色がさらに悪くなったことを理解した。
──ロンペレの"慢心"が……消えちまったッ!
これまでのキヨシの戦いは、あくまで相手が慢心し、こちらを値踏みするような戦いをしているのを前提として、心理的な死角を突くことを主とした戦いだった。さもなくば元より勝ち目など無い。相手は国教騎士団の長と互角に渡り合うほどの実力があるのだから。
ロンペレは最高の闘争と、至極の得物を目の前にして、キヨシが期待していた姿勢を正してしまった。前提が覆ってしまったのだ。
「オイオイオイオイ。興が削がれるような真似するなよ」
「何ィ!?」
「だから。せっかく楽しくなりそうなのを邪魔するなって言ってんだ」
いや、やはり姿勢自体はそのままだ。キヨシたちとの戦いは、ロンペレからすればただ遊んでいるような感覚で、奴の初陣はここから、ということなのだろう。前提が覆ったのではなく、前提からして『間違っていた』。実はキヨシが想像していた以上に甘かったのだ。
そして、その甘さにすら付け入ることに失敗したばかりか、恐らくもう二度とチャンスは巡ってこない。どうにもならない。
深い悔恨に歯噛みするキヨシを、ロンペレは冷淡に嘲る。最早キヨシ──創造の使徒は、ロンペレの眼中から消え失せた。
いるのは、白炎を従える少女のみ。
「…………!!」
キヨシが地面に叩きつけられたその瞬間、セカイから発される威圧感が大きく増し、炎が一際激しく煌めいたのをロンペレは見逃さなかった。
「……こいつがそんなに大事なのかい、お嬢ちゃん?」
「──────」
「答えねえな……違ったか? よっぽど腹に据えかねてるようだったから、てっきりそうなのかと思ったよ」
ロンペレが心にもないことを言っているのは、誰の目にも明らか。目的など決まっている。闘争のためだ。
「しかしなんだな、コイツには随分ガッカリさせられたよ。あっちでブッ倒れてる女もそうさ。ま、宗教に裏打ちされた存在と大義なんざ所詮そんなもんなのかもなァ」
「……ケッ。ちょっと当たりどころが悪けりゃ終わってた雑魚が、イキイキしてんじゃ──ぐガッ!!?」
足元で反論するキヨシの顔面を、ロンペレは足蹴にして踏み躙る。
炎は勢いを増し、ロンペレの顔はますます喜びで歪んでいった。
「負け惜しみ結構。現実そうはなってないんだ。結局の所、最後にこうして立って、敗者を踏みつけてんのが勝者。誰も反論できまい。この世が生まれてからずっと、生きとし生けるもの皆そうやってきてるんだからな。分かるだろ、お前は負けたんだよ『創造の使徒』。使徒だなんだとカス共に持て囃されて、大した力も無いクセに分も弁えずに突っかかった挙げ句、このザマだ。正義や大義を掲げんのは勝手だが、"分相応"ってもんが──」
『「その穢らわしい口を閉じろ、虫ケラッ…………!!!」』
「え…………」
辺りに響いた声に一番驚いたのはキヨシだった。聞こえたのは間違いなくティナの声色──いや、ティナの声色にドレイクの声がダブったようなものだ。だがその声で発されたのは、ティナやドレイク、そしてセカイの内、誰の口からも出てきそうにない、極めて暴力的且つ傲岸不遜な物言い。
キヨシの口からふと、思ったことがそのまま出る。
「……誰が喋ってるんだ?」
視界からの情報では、ティナとドレイクが寸分のズレもなく、完全に同調して喋っていると見て間違いないはずなのに、キヨシの思考はそう結論付けるのを完全に拒否している。ではどう見る? その答えは至極単純。
『まるで何者かがティナの身体に取り憑いて、無理矢理喋らせているかのよう』。キヨシはそんな印象を持った。
「ヒヒ、虫ケラときたか。で、その虫ケラ以下のこいつらはなんだと思う?」
『「口を閉じろと言ったァッ!!」』
「おっとォ!?」
声に呼応するかのように炎が無数の剣の形を成してロンペレに襲いかかる。さしものロンペレも堪らず大きく距離をとって空中でホバリングし、水のビットを再び生成し始めた。とりあえずこれで態勢を立て直す暇ができたワケだ。
「ゲホッ……助かった、サンキュー。しかしセカイ、さっきあんな調子だったんだし、あんまり無茶は──」
キヨシはここまで言いかけて、また別の違和感を覚える。セカイがキヨシに対してしかとを決め込むばかりか、一瞥もくれないのだ。それだけではない。
「…………なあ、オイ。その……おたく…………『どっちだ』?」
「──────」
「オイ、なんとか言えよ。ドレイク、これどーいう魔法なんだ? こんなのできるんならハナから……なあ」
「──────」
キヨシには、今目の前で風景を歪ませるほどの熱を発する少女が、ティナなのかセカイなのか、まるで分からなくなっていた。キヨシが恐る恐る問いかけるも、セカイ─か、どうかすら定かでないが─とドレイクはやはりキヨシに一瞥もくれずに、熱い呼気で喉を鳴らしながら、フラフラとロンペレに近付いていく。
「ちょっと待てオイ! この大事な時にそんな調子で──!!?」
そんな態度が癇に障り、ティナの身体の肩を掴んで気を引かせる。とにかく顔を見れば、瞳の色でどちらが表に出ているかは判別がつくと、そういう魂胆だ。が、ようやくこちらを向いた少女の顔を見て、キヨシは絶句した。
首筋から顔の輪郭にかけて爬虫類のような鱗が張り、こちらをじっと睨む瞳孔はキュッと締まって細くなっていた。早い話が、人類のそれではなくなっていたのだ。そして一番知りたかった瞳の色は、両目共に血潮の如く赤く染まり、どちらなのかどころではない。ただただ、激しい憎悪の炎が燃え盛っているような、そんな見るも恐ろしい目をしているということが分かっただけに終わった。
"どちらでもない"。これがキヨシの中に見出された結論だった。
「……あ…………」
ようやく情けない声を絞り出したキヨシを見る"爬虫類の目"は、当初の鋭さからほんの少しだけ穏やかさが表面化したように思えたが、やはり彼女はキヨシに対し何ら語りかけることはなく、再びロンペレの方に向き直る。
『「この人は……貴様のような下等な羽虫風情が踏みつけにしていい人ではない。あの人は……貴様のような下衆が侮辱していい人ではない。分を弁えるのは貴様の方だ……"人間"」』
「……まるでテメエが人間じゃねえみてえな口振りだな。つーか俺、亜人な?」
『「"俺"にとって、ガーゴイルもハルピュイヤもエルフもオーガも人も何もかも……皆等しく…………人間だ。思い上がるな、小さき者…………!!」』
──"俺"……?
一人称にも変化が現れ、語気が強まっていくと共に撒き散らされる力も文字通り段違いになっていく。いよいよ持ってどちらでもない、という推察が俄然現実味を帯びてきた。そして、直後に起こった現象が、その推察をさらに補強することになる。
──私、何を言っているんだろう……?──
「ッ!!?」
キヨシの頭の中に、再びティナの声が流れ込んでくる。いや、事態はそれだけに留まらない。
─『殺すッ!!』─
─汚い言い方……ああ、きっと私は悪い子なんだ─
─『己の大事な物を傷つけ、辱める者、万死に値するッ!!』─
─いいよ、アイツはもっと悪い奴なんだから─
─そうか……それじゃあ別にいいよね─
同じ声で、一人で会話をしているように聞こえるが、そうでないことは先刻承知。重要なのはそこではない。二人──ティナとセカイの声に混じって、キヨシの知らない何者かの低い声が混じっているのだ。
「……やめろ…………」
─いいよ。どうしたって─
─いいよね。どうなったって─
─『絶対に許さんッ! 引き裂くッ!! 焼き尽くしてやるッ!!』─
─いいよ。"アイツさえ殺せれば"─
─いいよね。"あの人さえ消えれば"─
「……やめろッ! 貴様は何者だッ!! アイツらにそんなことをさせ──ッッッッ!!!?」
「う゛あ゛あ゛あ゛ァぁあァァあああああアァぁあアァああああああああーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!?」
雪崩込む狂気。その奔流に晒されて、キヨシは絶叫する。耳を塞いでも聞こえる。きっと潰しても聞こえるだろう。何故なら、繋がっているから。"セカイ"によって、二つの"世界"は──心は繋がっているのだ。そのことをキヨシはようやく理解した。
手に取るように分かる。ティナが、セカイが、何を思い、何を感じているのか。聞こえてくるのだ。
─あぁ……─
『「あ゛あ゛ア゛ア゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ア゛ぁ゛ァ゛あ゛あ゛ッ!!!!!」』
地の底の底で耳をつんざくような轟音が鳴り響き、地面がバキバキと割れていく。その裂け目からは灼熱の炎が吹き上がり、それらはたちまちティナの中に吸い寄せられ取り込まれていく。だが、取り込まれているのは炎だけではない。
「ア…………ぐぁ……………………ッッッ」
なんとドレイクがうめき声と共に、体中が引き伸ばされるように広がって、ティナの身体の中に溶けていっているのだ。
「……アガ、あ…………ハァ、ハァッ。い、一体何が起きて…………ッ!!?」
声が止み、現実に戻ってきたキヨシは、割れるように痛む頭を抱えながら這いつくばる。どうにかそれに耐えて顔を上げた先に広がっていたのは、
「おお…………おお! イイ! それだ! 俺はずっと待っていたぞ!! 宣戦布告の日から、十五年前からッ!!」
『「ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛……ギオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッッッ!!!」』
「さあ征くぞ、今このひとときが正に、猛き闘争の極致なのだァッ!!! ハァーーーーーーッハハハハハッ!!!」
灼熱の消えない炎が立ち込める焦土と化した地下で、白き炎に包まれ『竜人』のような様相となったティナが、闘争の化身と相対する──地獄のような光景だった。




